大切な人の看取り方/デニー・コープ | ブログ

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みなさん、おはようございます。




昨日は難病の棋士の

人生を描いた書籍を

紹介しました。


その書籍を読んで

「人の命」がキーワードに

残っていたのでしょう。



たまたまでしたが、

図書館の本棚で借りていた

書籍は「看取り方」


命に関する書籍でした。



福祉職には

切っても切れない関係なのが

「看取る」こと。


これは看護師だけではなく

福祉業全般に必要だと

思います。


昨日紹介した

村山聖さん。


彼は死んでしまいました。


本書にあるように


「死」は失敗でも敗北でも

ありません。


すべての人間が通る道です。


すべての人間がいずれ

経験することです。


現在、「死」についての

話題はタブーとされている

傾向がありますが、

(介護職が敏感になっている

だけなのかな??)


お客様との会話の中で

「死」は自然と出てきますし、



あえてタブーとすることは

ないと思っています。



だって、

僕らが相手に

「死ね」って言ってるわけでは

ありませんから。



これから経験すること・・・


特に僕たちのお客様は

普通に考えて・・・

平均寿命の観点から考えても

僕らより「死」に近いのですから。



「死」について話すことは

自然なことです。

(そういえば以前、葬式について

盛り上がったことがありました。)



人生の大先輩である

高齢者が僕たちと同じように

経験していないことの一つが

「死」です。




今回の書籍で

興味深かったのが、


「死」に近いときでも

最後まで比較的保たれているのが

「聴覚」なんだそうです。


昏睡状態でも

本人に話しかけると、

その後、目覚めたときに

どんなことを喋っていたか

わかっていることが多いようです。



これを読んでいて思ったのが

「難聴」の方のことです。



つまり、死に直面した方でも

最後の最後まで


「聴こえている」


のに、


難聴となると


生きながらにして


「聴こえない」


のです。



難聴というのは

生きながら、

死と同じくらい

辛いこと経験を

しているんじゃないか?

と感じたのです。



「難聴」がうつや認知症を

悪化させるってことを

よく新聞で読んだことがありましたが、


今回の書籍を読んで納得したのです。



今まで、難聴の方への

配慮が足りなかったと

反省しながら読みきりました。




「死」について、

「看取り」について、

「難聴」について、


考えさせられた書籍です。


福祉業界にいる方は

必見ですよ。




デニー・コープ
飛鳥新社
発売日:2011-06-21


チェック項目36箇所。死は失敗でも敗北でもない。すべての人が経験する人生の延長上にあるもの。痛みを効率よく抑えることは必要。オーストラリア先住民「我々はお前を愛し、その前途を支える」と生まれ、お別れする。病気に責任はないが、病気に対処していく責任がある。食べることの意味が変わる。食べないとガンに栄養がいかないから進行は遅くなる。食べる量→質へ。断食・・・体内洗浄と精神的な世界に敏感になる。痛み・・・内臓神経性、体細胞。「死」について話す。死と直面する準備不足、何を話したらよいのか?最期のときが近ければ近いほど、静かにそばに寄り添い、一緒にいる。耳は最期まで聞こえる。昏睡状態でも回復したときに話したことを覚えていたりする。亡くなる人は死ぬときを選ぶ。シャワーが身体を洗うように涙は魂を洗ってくれる。世界には2つの感情しかない。愛と恐れ。