さて、梅雨のジメジメを吹っ飛ばすため、今回は世間の関心度MAXのトレンド〈美容整形〉から語ろうかと思います。
ちょっとご無沙汰してしまったのは、一つに本テーマの性質上、やはり慎重にならざるを得ないという勝手な思い込みがあったせい……なのですが、いろんな動画やSNS上ではすでに忌憚のない意見がけっこう普通に飛び交っているので、よっしゃここらで触れておいても良さげかも、と判断したわけで。
最初に言っておきますが、美容上の目的で、自己負担、自己責任の上で、自分のカオをどこまでどういじろうと、本人の自由です。
好きなだけ、切ったり引っ張ったり詰めたりしていいし、おカネさえ出せるならエンドレスに変身し続けていくこともOKです。
あ、自己責任でね。
韓流文化やコロナ禍の影響もありましょうが、写真加工アプリの普及が美容整形ニーズの立役者であることは、どうやら間違いなさそうですね。
「目尻をあと5ミリ」とか「小鼻を3ミリ小さく」とか、どっからそんなオーダーが出てくるのかオバさんとしては甚だ謎だったけど、そーか犯人はコイツかと腑に落ちた次第。
美容整形沼にハマった若い女性らは皆、「可愛くなりたい」「可愛ければ幸せになれる」と同じことを口にします。
タレントの誰それのようになりたいとか、ここがもっとこうなら可愛くなれるのに、とかいった論理の飛躍は、若気の至りってことでまあ五百歩譲りましょう。
んー、でもですよ。その他人目線のヴィジョンが持つとんでもない危うさと、美意識の貧しさについて、そろそろ誰か警鐘を鳴らすべきなのではという考えも、一方で募るわけなんですよ。
人の顔は、骨格を土台に生物学的な一定のバランスのもとに造られています。
赤ん坊から老年まで、年齢なりに“自然に”変化していくのが理(ことわり)です。
美容整形は、言うなればこの自然のバランスを横から掻き壊す行為にほかなりません。
まれには、医師の腕が良くて自然に見えるラッキーな例もありますよ、まれにはね。
芸能人の場合は元の素材が恵まれているので、垢抜けて見えて当たり前。No、No、比べちゃだめですよ。
しかし一般人の整形顔は、残念ながら一見しただけで「ん?」と本能的に違和感を覚えるものなんです。
人間のそういう感覚って、本当に大したものだと感心します。
要は、設計図にないパーツを組み込むとか、ルール無視して切ってつなげちゃうとか無理な施工(施工、です)を強行すれば、「ん?」な結果になりやすいってこと。
外科的措置で形を変えても、身体に備わったホメオスタシス(恒常性)が働いて、身体のほうが勝手に元の形に戻ろうとするという説は、やや乱暴に聞こえますが理論上はあながち間違いでもありません。
美容整形の何が問題かと言えば、「美容整形では、本当の問題は解決しない」ということ。
人生が明るくなった人がいる一方で、後悔しかない日々を歩む人も少なくないのが、今の現実です。
「違った、そこじゃなかった」と気づいたときには、昔の自分はもう居ない、そこがツラいのです。
自分の容姿に百パー満足な人なんてめったにいないし、コンプレックスなんか誰にでも両手いっぱいくらいあるから、即効性のある解決策として飛びつきたくなる気持ちは分かります。
でも美容整形に関して人は、見たくないことを見ず、見たいことだけ見て決めるという、一番やっちゃいけないことをしてしまいがちだってこと。
美容整形は、工業製品のようにカタログから注文した型番通りのモノが仕上がってくるものではありません。
上手くいくかそうでないかの保証もない施術にとんでもない大枚をはたくなんて、ギャンブル以外の何だというんでしょう。
SNSでは美容整形に踏み切れない人の相談や質問があふれてますが、後悔組の体験談とか沼ハマしちゃった人の画像などなど、検討材料になり得るネガティブ情報もわんさか挙がってて、答えはもう出てると思うんだけどなあ。違うのかな。
「整形する」→「可愛く、キレイになる」→「モテ期が訪れて幸せになれる」という、ベタで短絡的な謎公式は、結局のところ他人軸の共同幻想でしかない。
このことだけは、今一度胸に刻みつけておくことをおススメします。
Sheila
Illustrated by Serafina
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