前回で書き切れなかったことを、続きとしてアップするつもりでしたが、連日のニュースにメンタル揺さぶられまくるうちにとうとうひと月が経過してしまいました。

早くどうにか、少しでも建設的に収束しないかとの期待も、ここまで裏切られ続けるとこっちもいい加減荒んでくるというもの……

 

 

さてTop絵は、恐縮ながら私Sheilaが本ブログのスタート時からプロフィールに使っているアイコンですが、つい先日まで気が付きませんでした! 

まんま、ウクライナカラーじゃないですかぁ……!!!

 

 

私がオッド・アイを持つ猫に憧れてるのも確かながら、なぜ最初にこの色をチョイスしたのかをイラスト担当Serafinaに訊いたら、

 

「何となくテキトーに描いてみた」

 

と、想像通りの返答が。

半年以上前のことは覚えてない人だし、これも偶然という名の必然なのでしょう、きっと。

 

 

 

さて。

連日、戦況の激化を伝える報道に接していると、苦難のさなかにあるウクライナの人々のために、我々ができることなど何も無いような絶望感にとらわれます。

いやいやそんなことナッシング、と即座に答えたいところですが……

 

 

うーん、でもさあ、まあ待て待て、焦るなよ。

 

たとえ毎日が失望の連続だろうと絶望はしちゃいかん、というのが私のモットーだったはず。

期待してもどうせ裏切られる、でも何があっても希望だけは持っていろ、というのもそう。

人間、絶望したら負けなのさ。

 

 

ちなみに、今がホントに2022年なのか自信が持てない人が少なくないようですが、確かにオツムが80年前にタイムスリップしてる連中が相手じゃ無理もない話です。

 

ただ、今回の侵攻においては、これまでに無かった〈情報戦〉の要素が大きく、これを制することが戦況を左右すると言われます。

大本営発表オンリーの情報統制とか、いつの時代だよと。

 

 

出来の悪いフェイク動画や捏造情報、白ペンキで塗り隠したような屁理屈なんぞ、本気で潰していけば裏は取れちゃう時代なんですけどねえ。

 

口の周りにケチャップ付けたまま「ナポリタンなんか食べてません!」と言い張ってるわけでしょ、あの彼らは。

問い詰められたら「あ、ミートソースなら食べたっけ」程度の言い訳はしそうだけど。

 

 

まあ何と言うか、全てが雑で、稚拙で、粗暴で、およそ文明国がやることとは思えないダサさ加減。

そこを残念に思っている人がどれだけいることか。

というかある意味、世界中から嗤われてると知る必要があるんではないかしら。

 

 

 

 

他国を拠点に活動するロシア(旧ソ連)の出身者らが立ち上げたサイト「本当のロシア」(https://truerussia.org/)には、侵攻に反対する著名な作家やアーティストが賛同者として名を連ねています。

 

発起人の一人、作家のボリス・アクーニン氏はNHKのインタビューで、「本当のロシアは、トルストイやプーシキン、その他多くの芸術家を輩出し、世界に誇る文化を生み出した国です」といったコメントを寄せていました。

 

 

私、恥ずかしながらプーシキンの名は知っていても、代表作『エフゲニー・オネーギン』なんて手に取ったこともございませんでした。

ところが彼らの名を耳にした途端、なぜか不覚にも嗚咽が出てしまったのです。

 

私だけでなく、おそらくは世界中の良識&美意識ある人々が大切に守ってきた知性や美について、このコメントがズバリ言い当てていたからだったんですね。

 

 

 

 

今の社会を支える多くの世代は、先の大戦の記憶は持ち合わせていないので、映画やドラマ、小説などを介して知ったつもりになっているにすぎません。

そのような手段で間接的に知り得た、イメージとしての戦争は、“あくまでもフィクション”でしかあり得ないわけです。

 

何より、終戦からすでに77年もの月日が経過して、コンテンツ自体が風化の危機にあるときています。

 

 

特に、憲法のもとに徴兵制と無縁なわが国は、長く平和を享受するうち、戦闘行為はおろか死の概念ですらもバーチャル化、エンタメ化している感が否めません。

人の死というものを、どこか美しいファンタジーとして弄ぶ感覚に、私自身は憤りすら感じていましたが。

 
 

でも、今起こっていることは残念ながらフィクションではないし、もちろんファンタジーでもありません。

 

汚く、粗暴で、陰惨で、救いのようなものなど何ひとつ無い。

この惨たらしい現実を前に、私たちがすべきこと、できることがあるとしたら?

 

 

 

 

 

 

どんなに辛くても、しっかりとそのありさまを自分の目に焼き付けておくこと。

犠牲となった無辜の人々が身をもって遺したメッセージを、余さず受け取ること。

尊厳を踏みにじる行為が、どれほど人として終わっているかを、とことん考え抜くこと。

 

良識の対極にあるあれら唾棄すべき狼藉と、数多の生命が奪われている信じ難い現実を正しく認識することは、コロナ禍を経てなお生き延びようとする人類に課せられた使命であり、責務に思えてなりません。

 

加えて、戦闘や死をバーチャルな娯楽として消費する奇妙なカルチャーも、そろそろここらが曲がり角かも知れないという気はしますね。

 

 

 

 

 

 

戦争の悲劇の本質は、「勝っても負けても、帳尻が合わない」ところにあります。

 

カビ臭いアナクロニズムに突き動かされた癇癪持ちの独裁者と、負けず劣らず腐臭を放つ政府の要人連中、加えてそれを許してきた“他人軸”な国民性が引き起こしたこの宇宙史上最低な蛮行、いったいどこにどう着地するのでしょうか。

 

そもそも着地させる気なんか、あるのかどうかだけど。

 
 

ともあれ、良識という名の〈美意識〉のもと、この時代錯誤で悪趣味なドン・キホーテの末路に、世界中の目が厳しく注がれています。

 

Sheila

 

 

 

Illustrated by Serafina

 

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