診断(4)


有明にある癌研のセカンドオピニオンの予約を取ってきたのは夫だった。

すでに数日の入院を経てきた私は、

「どうせ癌研にうつるんでしょ?」といった看護士の視線にも

「とんでもない。こちらで手術していただきます」と真顔で首を振った。


だが、鳥のひなが最初に見たものを親鳥と思うような刷り込みは

癌研の診察室で一瞬に崩れた。

セカンドオピニオンの領域を超えようとしない医師に食い下がって尋ねると

「当院ならばこの症例は腹腔鏡下で行います。理由? それは当院がそう決めたからです」

明快な説明に、その場で転院を決意した。


だが、この転院のために12月の10日前後に行われる予定だった手術は、1カ月延びることとなった。

診断(3)


内視鏡検査を受けた病院にそのまま入院した。

入院した先は15の診療科と250人の職員と150床を抱える総合病院だった。

自宅から徒歩10分という条件を思えば、まずまずと思うべきかもしれない。


直腸癌でステージⅡ、これは難しい場所なので、開腹手術が妥当という所見に何の疑問も抱かなかった。

生まれて初めての病気入院という事態で、私はひどく従順になっていたのだと思う。

大病院ではないが、癌の手術ができないほどの小さいクリニックでもない。

そんな病院にも疑問を感じなかった。

そもそも病院を選ぶという発想がなかった。

むしろ、こんなに大変な事になってしまったのだから、細かいことをごたごた言っている場合ではないと

いつにもまして医者に忠実な生徒だったように思う。


カーテンを閉め切った病室、窓を開けても暗い壁が見えるだけ。

入院生活は退屈だった。

手術に向けての検査以外は全く元気なので、毎日外出して、本を買い、生活雑貨を整えて、

バッドの上でヨガをやったり、肌のパックをやったりと毎日を過ごしたが、

入院生活とは、こんなにも閉塞的な環境だったのかと驚くばかりだった


診断(2)


それからが大変だった。

会報誌を一人で編集している身の私には、仕事の状況が分かっている人もいなければ、

仕事を引き継いでくれる人もいない。

ちょうど前の号を校了し終えた直後だったとはいえ、

1か月にもわたる休みへの対応をどうするか、だれに引き継ぐのか未定のまま、

とりあえず第三者が見て進行状況が分かるようにするために、勤労感謝の日を含む三連休をフルに休日出勤して、状況を整理し、対応マニュアルを作って

翌月曜日から自宅近くの総合病院に入院した。


むしろ、これまで仕事に穴をあけられないと張りつめ続けてきたものが、

事ここに至って、やっと仕方ないと開き直ったような気持だった。