人間の胎児は生まれてくる前、母親の子宮のなかで、太古の昔からの発達の過程を繰り返すと、高校の生物の授業で教わった。個体発生は系統発生を繰り返す。その意味は、最初は魚、次が爬虫類、両生類、それから尻尾がなくなってやっと哺乳類の姿になって成長する。
35億年前に生命が誕生した。それから、私やあなたが生まれるまでの年月、生命の継続が保たれてきた。手塚治虫は、漫画を描くのにくたびれるとよく阪大の研究室を訪れ、精虫を顕微鏡で見ていた。彼らこそ命をつなぐものたちだから。虫、卵子と合体、人間、虫または卵子、合体、人間、虫、または卵子、・・・
この環の発想が「火の鳥」になった。道端に生えるヒメジオンにしてもドクダミにしても、35億年の生命を紡いできたのだと思うと、気がとおくなってしまう。すべての生き物は、みな同じ先祖をもつとすると、Buddhaがいった生命観はまったく先駆的であったのがわかる。
みな自己中心的に生きているが、この生命の渦のことを思うと、生きているのは奇跡中の奇跡なのだとわかる。死んでゆくのは自然であり、淘汰されるのも自然なことで、レビ・ストロースが、「人類なしにはじまった文明は、人類なしに終わるであろう」といったのも、すんなりと飲み込める。
人および生き物は生まれた瞬間に生存競争の海に放りだされてしまう。シラスはみな食べられてしまう。
弱肉強食の論理がつらぬいている。イジメというのは弱いものを食べてしまうことと同義だ。かなしいけれど、戦争もイジメの一種で、生存競争の道具なのだ。
