幼少期のおもひで 1 | Coyote Happy! My Life in Arizona

Coyote Happy! My Life in Arizona

2011年3月からSan Diego、2012年7月からArizonaで生活をしています。

私のひとりごとに耳を(目を)傾けていただけたら嬉しく思います。

シエリさんの記事を読んでから何か自分の故郷のことを色々考えていて
また色々思い出しちゃって。幼少時の話まで遡っちゃった。

いい機会だから思い出したことを記しておこうと思います。長いよ。
他人事だし古いしつまらない話だろうけど、興味がある方は読んでね。

「故郷」「ふるさと」って語感が鄙びた感じだけど、私にとっては東京。
生家はお江戸日本橋と深川の大体中間地点でした。
渡米するまでも大体その辺りをふらふら。
出生地は築地。(でも魚と一緒に陸揚げされたわけではないです)

もう半世紀生きてる(今年で!)から、小さい頃って本当に昔の話。

近所にはまだ『長屋』があったの!意味分る人いる?
「長屋のケンちゃん」と呼ばれている友達もいました。
(他に長屋に住んでないケンちゃんがいたから)
落語みたいだよね。

今も様子を思い出せる。昼でも薄暗いようなトンネルみたいな建物?の中に入ると
コンクリートじゃない土の地面があって、その細い路地の両側に各家庭がある。
玄関とかないのよ、確か。(あれ、違う?)中の人に即声がかけられて暖簾か何か
上げると人の顔があった…。居間兼玄関って感じだったような。
で、大人になって江戸資料館に行ったときに、「あ、これこれ!」って思った。

育つ間に確か長屋は取り壊しになって、その前にケンちゃんと会話したのも覚えてる。
ケンちゃんは高校を卒業してからすぐ消防士さんになったらしい。今どうしてるかな。

都電も走っていました。確か二車線を分断するみたいに道路の中央に線路が
あった気がする。

地下鉄は、銀座線なんか木造だったし!
駅と駅の間で時々電気が消えて真っ暗になる瞬間があったの。しかも揺れるから
ちょっとお化け屋敷にいる感覚でこわ楽しかった。

私の氏神さまである神社では三年ごとに大祭があって、近隣の町からの御神輿が
合計120基以上集まるの。私は神輿は担いだことないけど、小さい頃に山車を
引きました。家の前は町神輿のルートにもなってたので、家族や親戚で二階から
水をかけて激励してたのを覚えてる。

で、近所には何人か、年間を通して祭り袢纏を着ているおじさんやおじいさんがいた。
今思うと赤塚不二夫のマンガだよね。鉢巻きもしてたなあ。

ド下町なので近所付き合いも密だったの。近所を徘徊?巡回?(笑)しているおじさん
たちや、大人や子供や…皆が皆を見守ってた感じ。誰かさんちの子、ってより
みんな『町の子』。いたずらして怒られたり、何かもらったり。

毎日夜になると家の前に椅子を出してきて座るおじいさんがいて、私は夕食が終わった
後に昔話とかよく聞きに行ってた。どんな話を聞いたか忘れちゃったけど、たぶん
戦時中のこととかかなあ?

私と「長屋に住んでない方のケンちゃん」は親同士も仲がいい幼馴染で、近所中
では一番年少だったから近所の大きなお兄ちゃんたちがいつも遊んでくれて、
指導もしてくれてた感じ。

小学校に通うようになってから私は学校で会った女子の友達と遊ぶようになったので
そういう近所の悪ガキ男児たちとは次第に疎遠になっていったけど。

近くのお米屋さんで毎年新年に食べるお餅を買ってた。お店でついて作ってたの。
お米屋さんの若店主ゆうちゃんは大きなお兄ちゃん的存在で、大きくなってから
友達が車で私を迎えに来たときに見つかって、その男の子はただの友達だったん
だけど、「お前こいつに何か妖しいことしたらただじゃおかねーからな!」って
ドスの効いた声で脅したの。友達ビビりまくり。おかしかった。

その米店の中ではセントバーナードと狆を飼っていて、一緒に遊んだのを覚えてる。
セントバーナードは大きくても優しくて全然怖くなかった。
美容院のダックスフントも、魚屋さんの半野良だった猫のタマちゃんもいた。
確かタマちゃんは(代々同じ名前)よく車に轢かれてお亡くなりになってた…。
でもまたどこからともなく猫が現れて店猫に。ちょっとレスキューみたい。

あと、エレクトーン教室の先生の所のプードル!手を噛まれそうになって泣いて
教室を辞めてしまったんだわ。以来プードルは苦手だし。

何でも途中で辞める癖はそれでついたわけじゃないんだけどさ。とにかく習い事
全て即やめてた。ソロバンでしょ、新体操でしょ、水泳でしょ、弓道でしょ、日本舞踊
でしょ。あとなんかあったかな…?あ、幼稚園も。続けてたら頭も身体ももう少し
健やかだったんだろうなー。歯医者さんも柱にしがみついて大騒ぎして行かなかったり
した。末っ子で甘やかされてたし父母も本当に私には弱かったみたい。子供のため
を思ったらひっぱたいても連れて行ってたらよかったのにね。(って親のせいにするし)

そうそう、近所の若奥さんに私が通う家庭教師をしてもらってたの。その人は沖縄出身で
琉球大を卒業してた。(よく覚えてるなあ私)

お家に行くと毎回冷たい牛乳にミロを混ぜたのを飲ませてくれたの!そのミロが
溶けきらずに下にたまったところを長いスプーンですくって舐めるのが好きだった。
(子供ですから。ついでにコーヒーに入れるクリープを舐めるのも好きでした。)

大人になって知った事実。ミロ(Milo)はオーストラリアのもので発音は『マイロ』、
アメリカでは売ってるけど全然ポピュラーな飲み物ではないということです。


って…。

…ここまで記録したら集中力が切れた。


またいつかに続きます。すっごいハンパな終わり方…。

読んでって言っておきながら…。