明石の魚
今朝のJR、大幅に遅れましたね。
濃霧でこんなにダイヤが乱れてしまうとは。
しかし、この霧のおかげで塩屋~須磨の区間で見える海がいつも違う姿を見せてくれました。
霧の中を光が乱反射し、優しく明るい光が空気全体に広がっていました。
太陽、淡路島、瀬戸内海…あらゆるものの輪郭はぼやけて、印象派の絵画のようでした。
なんとか写真におさめたかったですけど、とてもじゃないですが、カメラを取り出すことはできませんでした。うーん、残念。
今日は魚の棚周辺のセリで撮影した魚の写真を少し。
セリは活気がある場所なのですが、
熱気から少し引いて見てみると、
死がそこに迫っている生き物たちのドラマに溢れています。
ふぐの静かなまなざしやアカエイの必死の抵抗。
淡々と魚たちの命を絶ち、運んでいく人間。
それを眺めていると、色々と考えます。
生命への感謝。
生命の尊さ。
生きることへの執着。
知らず知らずの残酷さ。
他にもいろいろ、いろいろ、いろいろ。
魚はおいしい。
肉もおいしい。
野菜もおいしい。
毎日、食べることができる。
当たり前としすぎているのかもしれないな。
と魚達の写真をひっぱりだしてきて思いました。
亀の水→明石図書館の道
正月休みの最終日は「明石のまちあるき」でしめることにしました。
墓参りと図書館の本の返却を兼ねて、さあ出発だ。
みんなたくさんボトルを持ってきて、汲んでました。
僕が小さい頃から変わらない風景です。
宮本武蔵作庭の枯山水があります。
鼻緒のぼろぼろ感、迫力あります。
小さくて、つつましくて、品を感じました。
明石の中に、小さいスペイン、見っけ。
日本の庭園や植木を見てると、芸術家顔負けのデザインに出会います。
日本の文化は自然を抽象化するのが、うまい。
僕は、この写真の丸みから「何かの広がり」や「優しさ」を感じます。
みなさんはどうですか?
見る人それぞれの解釈できるのも大きな魅力です。
おまけに、日本のデザインは機能美までついてくるから、参ります。
うーん、深いなあ、にっぽん。








