私は論理的な人間である。その論理は法規的なものや学術的に立証されたものに基づいている。もちろんそれだけでは空論でもあるので、自分の実践、経験を重ね、私なりの論理を再構築し、行動している。
論理はあくまでも効率的且つ効果的な方法論であると同時に正論である。しかし、正論ほど厄介なことはない。法規の解釈について、国会や裁判所では日常的に論議されていることからもそのことは明白である。そういう中ではあるが、正論は個人に関わるような小さいところでは、超資本主義の世界であるが故、お金で解決する面はある。もちろん、法規には触れない、機器の導入などの設備投資である。
しかし、正論は組織的なこととなると途端に機能しなくなる。当たり前だが、利害や人間関係が関わってくるからであり、曖昧な方がうまくいくこともある。正論と曖昧を使い分けるのは疲れてしまう。