もうあれから何年経っただろう?

俺は今生きているのか?

今、話しているのはダレ?ココはどこ?体の感覚はある。

ふと目を開くと、天井が見えてきた。確かに俺だ。

 

この10年、人となるべく会わず、限られた人との会話以外黙っていた。

今、俺は農業をしている。名前は福タロウ。

なぜ農業をしているのかというと

自分がやっていた会社を続けていけなくなったからだ。

 

俺が小学校5年くらいの時に

『もう農業はこのままでは立ち行かなくなってしまう。』

と、何人か有志の人たちとじいちゃんが

じいちゃんの部屋で話していたのを覚えている。

 

昭和の話。

何もないところから形を創っていくのは本当に大変だ。

誰もわからない。見たこともない。日常に存在しないから。

でも、見えている人には形はわかるのだ。

毎日汗と泥にまみれてもくもくと働くじいちゃんをずっと見てた。

腕相撲は俺が中学3年までは敵わなかった。

 

じいちゃん達は、どうやら農業の会社を創ったみたいだ。

自分たちの田んぼを集めて、みんなで協力して

米を作ろうという、営農組合。

戦争経験者は心が強い。

 

俺は農家の家に生まれたが、農業をしたことがない。

どこがうちの田んぼかだけは、よく覚えさせられていた。

親父も公務員。

田んぼのやり方は俺よりは知っているけど

生業としてはしたことがない。

だからじいちゃんから後は農業をしたことがない。

 

当時のことを思い出すと、田んぼにカモが泳いでいた。

ある時は、ひつじが草を食べていた。

中でも一番驚いたのは、朝道を歩いていたら

大きなダチョウに紐をつけたおじさんが

おはよう、とあいさつしてきた。

当時の俺の背丈よりはるかに大きなダチョウが通り過ぎていく。

ちびりそうだった。

 

この10年毎日、田んぼと向き合っている。

好きでやっているわけじゃない。

今では会社も大きくなり、地域の田んぼの9割は耕している。

この10年で、機械音痴の俺が、大型トラクターに乗ったり

普通の会社では見たことがない機械にも乗れるようになった。

会社には20代、30代、40代の人たちが

農業をやりたくて入社してくる。

 

平凡な日常。

未来は明るいのかもしれない、そう思っていた。

しかし…

 

来週に続く。