こんにちは。
「金曜日のノヴァーリス」です。
毎週金曜日は農業をするために移住した男の話です。とくとご覧あれ。


非農家に生まれた人間が農業に興味を持つに至るには、

何かしらのきっかけがあることだろう。
農業に関心はなくとも、食べ物に関心を抱くようになるには、

少しはハードルが低いかもしれない。
家族にアレルギーを持つ人がいたり、人工甘味料の後味がなにか苦手だったり。

人は何かをきっかけに、それまで無意識に口にしていたものに、

はたと手を止め、考える。考える。
健康診断で思いもよらず数値が良くなかったとしたら、

あなたは何をするだろう。
食生活を見直すのではないか。

ラーメンをやめよう、間食をやめよう、

睡眠の二時間以上前に食事を終えよう、毎日納豆を食べよう、などなど。

僕が食に関心を持つに至った原因は、父親の病気である。
近しい人の死に際して、やれることは全てやったという気持ちと、

もっとしてあげられることがあったのではないかという気持ちが順番にやってくる。
後悔の気持ちが押し寄せる中、僕はこんな風に考えた。

もっと体に良い食事をとるように心がけていたら、結果は違ったのではないか。

では、体に良い食事とは何だろう。
わからない。三度の食事をしっかりとることなのか、

カロリーや塩分糖分をコントロールした食事なのか、無農薬で作られた食材なのか。
わからないが、このとき僕は少なくともこう考えた。
作った人の顔が見える食材が、安心な食材である。

安心な食材から作られる食事が、体に良い食事なのではないか。
食材自身の安全性はわからなくとも、顔のわかるその人、

生産者であるその人への信頼がそのままつまり安心安全な食材となる。
そうして僕は顔のわかる生産者、安心安全な食物を作るひと、百姓になることにした。

農業に興味を持つには、もう一つ理由がある。

僕は文学部出身である。本を読むことが何より好きだ。

特にドイツのロマン主義文学が大好物である。
だいたいロマン主義者というのは自然が大好きである。

自然に入れ、とは彼らのよく言う言葉である。
ところが学生の頃は、自然、というとなんとなく好印象を抱くが、

現実の自然は優しさとこわさを併せ持ち、

おいそれとは近づけないような雰囲気を持っていた。
ヘンリー・デイヴィッド・ソローの『ウォールデン 森の生活』なんて読んでしまったら、

ムリムリムリムリ絶対ムリ!である。
ところが単純なもので、いざ農業を始めようと思うと、

ロマン派の生き方そのものを行うようで心地良い。

それで僕の目標は決まった。
安心安全な食材を作る。
=お医者さんは病気になった人を助けるが、

僕はみんなが病気にならない体をつくる手伝いをしよう。
文芸作品を書くように作物をつくり、哲学の実践形式として農業を行おう。

主題は決まった。
さあ始めよう。
農を営もう。