所属している「オーケストラ・アンサンブル青い風」の出張演奏会で1泊2日の日程で宮城県石巻市へ行ってきました。昨年の福島県南相馬市に引き続き、東北地方へ伺うのは2回目となります。
早朝に浜松を出発し、仙台に到着したのがちょうど正午頃でした。会場となる公民館のある石巻市までは貸し切りバスでの移動となりました。仙台駅からおよそ1時間強で、石巻市門脇地区というところへ到着しました。「がんばろう石巻」という大きな看板が建てられた場所で、受け入れ先の方たちと先発で現地入りしていたメンバー、現地合流のメンバーと合流しました。
門脇地区は6.9メートルの津波が押し寄せた場所で、津波で流された瓦礫が発火して火事が発生したところです。地区にある学校の校舎も焼けてしまい、現在は建物の様子が判らないように覆いがされています(当時の記憶が思い出されて、体調を崩す方がいらっしゃるということで直接目に触れることの無いようにとの配慮だそうです)。
案内していただいた場所は石ノ森章太郎記念館のある場所から日和山を挟んだ反対側で、海がとても近い場所にあります。震災前は商店街があったり、住宅地が広がっていたそうですが、すべて津波に流されてしまい、現在では見渡す限り草の生えた空き地のようになっています。ところどころ草の隙間から建物の基礎が見えているところがあり、かろうじてそこに建物があったということが判る程度です。
少し歩いて、日和山の展望台に上りました。とても急傾斜のところに階段があり、最初は軽々昇っていたメンバーもだんだん無口に・・・。最後はマラソンでもしたかのように息を切らして昇りました。あんな急な階段をここの地区の人たちは、あの日必死になって昇ったのです。小さな子供さんやお年寄りの方はどれだけ大変だっただろうと思いました。展望台からは門脇地区が一望できます。とおくに所々残っているように見える住宅も、中は津波で浸水しているので現在はお住まいではないそうです。
この日、私たちを案内してくださった方は津波で3人のお子さんをなくされたと聞きました。ご自身は所用で留守にしていた為、難を逃れることができたのだそうです。現在は自宅のあった場所に、ボランティアの拠点となるプレハブハウスを設置し、お仕事の傍らボランティアを続けていらっしゃるとのことでした。
震災から2年半が過ぎ、被災地から遠く離れた浜松ではなかなか現地の情報が得られなくなってきています。しかし、今回石巻市へ行ってみて復興なんて他所の人間が軽々しく言ってはいけないんじゃないかなと感じました。私にできることな何なのか、これからも考え続けていかなければならないと思いました。