バイク、乗りますよ!




天候やスケジュールに嫌われて

ずっとバイクに乗れていませんでした。


この日もそんなに時間があるわけじゃないけど…

でも、こんな晴天☀ある?

っていうぐらいの晴れ。



自分の都合は自分でどうにかできるけど、

天気は自分でどうにもできないって

誰かが言ってました。







と、なれば、

行ってきまーす。








気温17℃


17℃ってどれくらいの服装が正解なんでしたっけ?

これでいいのか?

いや、寒すぎないか?


17℃の世界が思い出せない。





気持ちがはやる。





久しぶりの横浜横須賀道路。

大好きな道。


あぁ、風景が近い。


そうだった。

ダイレクトに景色が迫ってくるのがバイクだったよね。








この日の目的地は

ひらさんのブログで教えてもらった


横須賀の海が見えるスタバ。








全国にスタバ多しといえど、

海の見えるスタバは多くない。


ここは今年オープンしたばかりの

新しいお店です。










1階にも席はあるけれど、

メインは2階。


平日だけど…

けっこう混んでる!











数少ない

海に向かった席に座れました。



ラッキー乙女のトキメキ

嬉しい〜。

でもね、実はここも窓が汚れていてね。風景をウリにする場所は窓は綺麗にしておいてほしい😢







開放感のある綺麗な店内でした。




なかなかバイクに乗れませんでした。


天気もあったけど、

なんだか噛み合わなくて。



誰のせいでもないのだけれど、

誰かのせいにしたくなる。

誰かのせいならラクになるわけでもないのに。





半日にも満たない時間だったけど、

バイクに乗れたことで


ちょっと落ち着きました。











スタバを出て、
窓から見えた海岸に出てみました。


対岸の千葉県が
すぐそこ。

横浜の方が遠いんだ。
ランドマークタワーが霞んでる。





対岸の千葉県








私ごとですが、

1月に母を亡くしました。



父は癌を患っており、

この1年で3回手術を受けています。


その日は急遽2日前に決まった

父の放射線治療の初日でした。

たまたま休みだった私は

父の治療に付き添うべく実家のある水戸に向かいました。



病院に行くと主治医より

「大変申し訳ないが放射線治療は出来ない。」

とのお話が。


父は10年前にも癌の放射線治療を同部位に受けており、

それを見逃していた、とのこと。

同じ部位に放射線治療をすることは出来ないそうなのです。


横浜から早起きして来たのに

父の治療はなくなってしまいました。











するとそこに、


母がお世話になっている施設の方から

母が嘔吐したので病院に連れて行く

と電話がはいりました。


予定の無くなった父と私は

母が連れていってもらったという病院に向かいました。






母は私たちが到着すると

30分もたたずに亡くなりました。





高齢ではありましたが、

特に何か患っていたわけでもなく、

寧ろこの1年、

どちらかというと父の癌に向き合う日々でした。



母はなんの前ぶれもなく、

死の気配を感じさせることもなく

ある日突然逝ってしまいました。










以前に娘たちから

「お母さんのお葬式はどうしてほしい?」

と聞かれたことがあります。




それに対して私は


「特にないから好きにして。」

と言いました。

「色々言ったところでどうせ死んじゃっているんだから確認のしようもないし。」


娘たちは「無責任だ」

と憤慨していました。






生前、母は


「死んだら終わり」

「死後の世界もなにもない」

「死んだらなくなる」


と言っていました。



私はそれを少し悲しく思ったように思います。


でも、私は、

母のその強烈な言葉に

影響を受けていたのでしょう。











娘たちの気持ちはわかります。


私に

「死してもなおあなたたちを見守っているよ」

とそういう想いが欲しかったのだと思います。


なのに、

『死んだら確認もできないからなんでもいいや』

というのは、


母に見守ってもらえない

と感じる寂しさだったのだと思います。






妻を失った父は

放射線治療が叶わなかったので、

手術を受けることになり

人口肛門を着けることになりました。


父はその半生を障害者教育に尽くした人でした。

長く聾学校の教師を勤め、

養護学校の校長として教員生活を終えました。




障害者手帳を持つことになった父は

障害者に寄り添ってきた人生の最後に

自らもその道を歩むことになりました。












私は愛されて生きてきました。


両親からも

祖父母からも


生きていれば

当然嫌ななこともあるし辛いこともあります。

でも、

振り返ってみれば


いつも愛されていたのだと

思えます。






葬式にリクエストはしなかった私ですが、

葬式に流してほしい音楽には

返答することができました。


ずっと、私の大好きな歌です。