イメージ 1

「この作品はやきものである必要があるのか?」


という意見を僕自身、何度も聞いて来たけれど、もちろんその必要は僕にはある。そして、増田さんの作品についても、おそらくそういった意見は僕に負けず劣らずあったと思う。


 http://masutoshi117.jimdo.com/


 僕自身にやきもので制作する事に意味はあるように、増田さんにも当然意味はある。


 キーワードとなる入り口はデジタルとアナログだろう。とてもアナログな「陶」素材で、とてもアナログな手技で、デジタル化された「情報」を作る。さらに彫刻か工芸か、立体か平面か、実体かバーチャルか、様々な階層で、二項対立の境界についての問題定義が浮かび上がる。「やきもの」という素材の物質的な(視覚的な)側面を完全にフラットにし、その上で「やきもの」という素材の「意味」的側面(アナログ的というイメージの側面、あるいは陶芸という感覚的な側面)からアプローチしている。


 やきもので制作する必然性を感じられない、という意見はその通りかもしれないけれど、これはパッと見の視覚的側面においての話だ。さらに一歩進めて作品の「意味」について考えれば、そこに「やきもの」の必然性が「見えて」くる。それが見えると他の様々な関係性についての考察も「見えて」くる。


 こういう切り口は、完全に根本から従来の「やきもの作品」から外れている。多くのやきもの作品がその物質性と魅力によって確立されている(これが普通なんだけど)。この状況に対して、そうではない全く別の独自の切り口で作品を成立させている。この対立の図式も、とても重要な要素だと思う。


 この背景にはイノベーターとしての確信があると思う。その点において、僭越ながら僕は同じ志を持っている方と感じたし、とても興味を持った。これも「やきもの」の可能性のひとつだ。


「革新」を進めるには、かなり勇気がいる。様々な価値観を洗い直すか、破棄する必要がある。社会で正しいとされてきた事に異を唱えるにはそれなりに勇気がいる。簡単には受け入れてもらえない。孤軍奮闘を強いられ、とてもわかりやすいイバラの道が広がっている。さらに自分が正しいと信じてきた価値観をも組み替える事を強いられる。自分を否定する事は相当な勇気がいる。


 まあ、とてつもなくリスキーだけど、やるしかないからやる。誰でも出来る事ではない。


「あなたの作品はやきものらしくない」


 この言葉こそが、革新者たるイノベーターへの賛辞であると僕は思う。 だってアートの核心は「革新」でしょう?


 ということで、増田さんの個展のお知らせ


 2010年6月21日(月)~26日(土)ギャラリー白3(大阪)(終了) http://www.ne.jp/asahi/gallery/haku/


 2010年7月6日(火)~11日(日) ギャラリーはねうさぎroom4(京都) http://www.haneusa.com/


 関西方面の方、ぜひ。