美術の窓に掲載されるにあたって、アンケートに答えなければならなかったが、
「夢」を聞かれて戸惑ってしまった。この歳になって「夢」?(今思うと「新人大図鑑」という事で僕は結構遅咲きの部類に入ってしまう。全く気にしてないけどね。)

自分がまだ何者でもない状態であれば、何者かになる事を「夢」として答える事が出来る。小学生であれば野球選手になりたいとかサッカー選手になりたいとかの類。アーティストになりたいというのも夢になりうるけれども、漠然とアーティストという存在についての象を持っていた時は、それなりに具体的にイメージする事が出来たけど、今はどうも違う。アーティストというものがわからなくなってしまった。いろいろな人がいるように、いろんな作家がいる。

何かを掴めたような気になっているけれど、実際は何にもわかっていない。仕方がないから、掴めたと思う所(実に頼りない)を足がかりにして、とにかく自分がおもしろいと思う事を無我夢中でやっているだけ。

僕にしか出来ない事やっています、と胸を張って言えるようになっても、アーティストです、とは言えないな。何か嘘くさく思えてならない。まあ自分としてはそういう肩書きみたいなのはどうでもよくなってしまったから敢えて言わなくていいんだけど。

ということで話が逸れたけど、今のところ何者かになるという夢はない。やりたい事はやれている。自分として生きている。

では成し遂げたい成果みたいなものについて考えると、「いい作品を作りたい」ということに集約されてくる。そうなると「いい」という価値基準の出所やステージの問題が絡んでくる。これらについて思いめぐらすけれど、根本的にこれは「夢」でも目標でもない、ということに思い当たる。これは成果ではなく、常に実践する事であり、使命であり、当然クリアするべき事。「いいものを生み出す」これはプロであったら当然の事。

ということで、夢について悩んだ挙げ句、「オリンピック出場です」というような答えに倣って「アートバーゼル参加」を「夢」とした。世界最大規模のアートフェア。参加ギャラリーへの厳しい審査、莫大なコスト、様々な高いハードル。「夢」としてはちょうどいい。

もうひとつ書いておいた「オープンカーの所持」(何それ?という意見があちこちから聞こえてくる)
これは単純に子供の頃からの夢である。僕にとっては人生を楽しむ象徴のようなものだ。やきものを志した時、予想される経済的な側面、実際的な側面から、この夢は実現できないだろうと半ばあきらめていたが、最近は計算さえ合えば特にあきらめなくてもいいんじゃないかと考えるようになった。この歳になっても、こういう「夢」を持ち続ける事ができるというのは、人生を楽しむ事につながっていると思う。

さて「夢」については、まだまだいろんな事を考えた(産業構造の変遷とともに廃れゆく地方都市の再興とか)けれど、とりあえず上記二つを書いておいた。僕という人間がまあそれなりに表現できたと思う。

そして「星座」と「血液型」。読者にとって一体何の興味を引くのかさっぱりわからなかった。ひょっとしたら星座占い、血液型占いの信憑性を高めるためにデータをとっている人がいるかもしれない。気に入った作家を見つけたら相性占いを楽しんでいる人がいるかもしれない。あるいはもっと暇な人は作品傾向と相関図を作って・・・どちらにしても実にどうでもいい。

カットされたけれど「趣味は?」という問いに、大まじめに「掃除」と答えておいた。補足しておきたいけど、まあこれもどうでもいい事なので割愛。