母が旅立って3週間ほど経ちました。

正直まだ、実感がわきませんが想いを記しておこうと思い書いてます。
どうぞ皆さんこの記事はスルーしてね



母は、入退院を繰り返す人生だったかも知れません。
もともと腎臓が悪く、子供の時にも生死を彷徨う事もあったようです。

我家は転勤族で、数年ごとに西日本を何ヶ所か回りましたが、最後の転勤先、滋賀県でとうとう人工透析をする事に。

そこから20数年間、食事制限が厳しくなり大好きな果物、ほうれん草、ブロッコリー(カリウムが多いものは避けないといけない)など、コーヒーも好きだったのに水分の摂取も気にかけて生活してました。

私を、五体満足に産んでくれた母の身体が年々小さくなる姿は寂しいものでした。
ただ、持前の明るさは底無しでした
透析の病院でも、明るくみんなを和ませてたようです。後々いろんなお友達や、先生、看護師さんが教えてくださいました。



家族誰もが、母はまだまだ頑張れると思っていたんですが...本人も疑ってなかったと思います。

亡くなる前日の夜、血圧が上がらずシンドい。と言う事で救急車で病院へ。
いつもは入院など、すぐに知らせて来ない父が連絡をしてきました。父なりに想うところがあったようです。
直ぐに出向き、母とたわいもない会話をしました。
母はいつも「もう大丈夫やから、帰ってええよぉ」と心にもないことを言います
その時も、そこからしばらく様子を見ながら話したり、黙ってみたり、冗談を言って笑ってみたり...

「じゃぁまた明日、仕事終わりに来るね〜またね〜」と手を握って病院を出ました......

ほぼ7時間後の早朝4時前に、病院からの電話...

今回の直前の入院で、お薬のせいもあり自分で点滴の針を抜いて、家に帰る。と初めて駄々をこねた事があって看護師さんからSOSの連絡があったので『今回も、やっちゃったかね...』と思ったら、想像もしなかった言葉「容体が急変しました。すぐご家族の方に......」

母の小ちゃい身体に先生、看護師さんが交代で心臓マッサージを延々...
ドラマなんかで見る、心拍数や血圧のモニターと母の姿を見ながら、祈る事も忘れて、ただただずっとその様子を見てました。

しばらくして奇跡的に一命を取り留め(←ホント言葉通りな姿だな!と実感!)集まった親戚も一安心して帰宅したり、出勤したり...
ただこの時には、脳はもうダメだと言われ、時間の問題です。と宣告...
後に思えば、スゴいワードばかり

そこから数時間後の朝。母は何も言わず、言えずに旅立ちました。
人の死とは、こんなに呆気ないのか...が家族の意見。

そこから今日まで、バタバタバタバタバタバタ💨

離れて暮らしてたぶん、私の日常に変化はなく実感がやっぱりないけど、この先いろいろ身にしみるんだろうね。
かんなり先に、事故で逝ってしまった兄とは会えただろうか?
これだけが我家の、明るい想い。母に『いってらっしゃい』が言えた要因だな


来月、私はスポーツアロマの試験です。
出張先の今も、ホテルで苦手なお勉強
アロマの精油にも『薬にもなれば毒にもなる』作用があります。
腎臓というワードが出ると、真っ先に母を想います。
母にも、気持ち良くマッサージしてあげたかったな...

私のまわりには、優しい人ばかりいてくれています。
普段と変わらない優しさ。
私にどう接してあげれば良いか?迷う優しさ。
泣いて良いよ。と直球な優しさ。
などなど


ありがとう
の想いをこめて、今日も笑いますよ〜
楽しんでお仕事も頑張ります

いってきま〜〜す


読んでいただいた方。
長々とありがとうございます。
今日の時間。どうか自分のココロとカラダに嘘つかず笑えますように