鬱回復期なんだ

と気づいた

 

結構調子が良くて

回復してると思ってたので

調子よくて動き回った

 

本も読んだし

書き物もいっぱいした

いろいろ考え事もして

アイディアもいっぱい降りてきた

 

なのに動けない

眠い

動けない

動きたいのに

できない

どんどんやりたいことがたまる

犬の散歩に出かけられない

料理できない

 

自分最低

怠け者

やっぱりなんもできないやつ

ダメかも

 

ぐるぐるぐるぐるして

動けなくなって

寝た

ずっと寝た

 

あ、もしかしてまだ回復期?

仕事辞めてまだ3か月

え?まさか

調べたら症状はドンピシャ

典型的な鬱回復期

急性期は脱したか?

ちょっとショック

 

調子がいいと、

もう鬱は終わった!!!!!

やったーーーーー!

私すごい!!!

 

全然脱してなかった

まだまだ回復期

無性にタルタルソースが食べたくなった

いつもそんなもの食べないのに

 

つけて食べた

味がしない

大量につけた

味がしない

 

そういうものかと思った

 

疲れ切って寝て

起きてまた食べた

味が濃すぎてびっくりした

 

疲れがたまると

味も感じない

恐ろしい

7月2日から7日あたりまで

体調悪かった気がする

6月末から3回ほど

友人の結婚式やセミナーなど

出かけることが多く

疲れたのかもしれない

 

今思えば・・・の話

 

数日たってからでないと

体調が悪かったと認識できてないような気がする

 

眠りが浅い

すぐ目が覚める

そうかと思えば滾々と眠り続ける

食欲が以上に高い

2回も箱アイスを1回で全部食べた

アイスは別にそんな好きじゃない

 

このままぶくぶく太って

死ぬんじゃないかと思ってた

むくみがひどく

おしっこの量が少ない

飲んでも出ない

暑くて汗で出るせいかと思ったけど

それでも足がしびれるくらい

むくむ

 

調子はどうと聞かれて

大丈夫と答えたけど

実は調子よくなかったかも
ちょっとだけ回復した日に思った

鬱の回復期の記録

 

7月入って1週間

調子がよくなかった

 

毎日眠い

なかなか寝られない

身体がだるい

熱が体にこもって、汗が出づらい

むくみがまたひどくなってきた

動けない

もう7月も10日

やばいやばいやばいやばいやばい・・・

 

 

また怠けている

最近ルーティーンをなんとかこなせていたのに

今はとぎれとぎれ

やっぱり私は何もできない人間だった

 

 

また怠けてる

どうしよう

ちゃんとしなきゃ

起きないと

寝てちゃだめ

どうしよう、どうしよう、どうしよう

 

すごく苦しくて寝込んで

ちょっと調子が良くなって

なんでこんなことに

と考えたら

アップダウンのダウンのときかも

と気づいた

 

でも

気づいてももどかしいこれをどうしよう

もう頭が回ってない

「ダメだ」

「起きてなんかしないと」

「本読まないと」

「いまのうちに何か自分の中に蓄えないと何の意味もない」

「ただの無職になりたくない

なんかは成長してる無職のほうがいい」

 

その思いが頭をぐるぐるして苦しい

でも何もできない

今日も一日これで終わった

やるべきことは何もできてない

気づいたら夜

今日も何も成長しない私だった

悲しい

FIREは、お金をたくさん持って

働かずに毎日楽しく暮らすこと

 

ではない

 

お金のため、生活のために

好きでもない仕事をして

本当にやりたいことをやれてない

大事なものを大事にできていない状態

に疑問を持ち

 

人生という時間を

なんのために使いたいのかと考えた結果

仕事を辞めて一番大事なことに時間を使うという

「生き方」「あり方」だと思う

 

 

だって、

「今の仕事」が楽しくて生きがいだったら

FIREしろって言われるほうが拷問なはず

 

 

 

だから、手取りが少なくて

一生FIREなんてできないって思う必要はないんじゃないか

 

責任や重圧を感じながら

毎日胃を痛めて仕事することから

解放されて

毎日ぼーっと空を眺めて

穏やかに暮らしたいだけ

 

だったら、すぐにできる。

資産なんかいらない

生活費がかからない生活術を体得すればいいだけ

ものすごく簡単にできる

 

 

やり方を知ってればあとは慣れるだけ

電波も入らない人里離れた僻地にいかなくても

我慢しなくても実現できる

ノウハウの問題である

 

じゃあそれを阻んでいるのは何か?
仕事を辞めて、

フリーターという

なんでもない人になるという恐怖か?

 

でもなぜ怖いのか?

自分がしたいことを実現するのがなぜ怖いのか?

 

やりたいことをやれるなら、

わくわくする要素しかないはずなのに

 

 

それは周囲からどう見られるかを考えるから。

 

 

資産7万円でFIRE達成!

なんて本当は恥ずかしくて言えないはず

でも、達成できてしまったし、

それでなんのやせ我慢でもなく

今が幸せと素直に言える自分がいれば

今すぐ幸せをつかめばいい

 

つまりFIREというのは、

大事なものを明確にした先にある

生活そのものであり

限られた時間という、誰にも奪われないけど

どんどん減っていく資産を

どこまで納得して使うのか

時間の運用方法の一形態でしかないとおもう

 

最大の障壁は

他人からの見られ方を気にして動けない自分が

勇気を出せるか

それだけの問題

 

これが一番大変で、

みじめさや

情けなさ

無力感

肩書のない丸腰の自分

何者でもない自分

全部を乗り越えてこの境地に至るまで

本当に苦悩の連続だったけど、

 

今日も幸せといえるなら

すでにFIRE達成!

自分が自分らしくいられる選択ができたら

それで満足

 

今日はシーツを洗濯できたからめっちゃ幸せ

なんのおくびもなく言える自分に

はなまるをあげたい

 

 

眠くて眠くて仕方ない
毎日家にいて、掃除して

ほんのちょおっとパソコンに向かってるだけなのに
ふと鏡を見たら
目の下、でっかいクマ!!!!!!!

なんじゃこりゃ

 

昨日何してたっけ・・・
起きて、ごはん食べて

ちょっとパソコン開いて
買い物行って
おやつ食べて
本でも読もうかと思って

でも、気が向かなくてぼーっとして

限界来たので昼寝して
掃除して

犬がせがむので散歩に出かけたけど

本犬はあっという間に気が済んだらしく

15分くらいで帰ってきて

風呂入って、布団に入って・・・

自分で言うのもなんだけど

この人、いい生活してるわ

 

で?なんでクマ?

できる要素なくない?
なんかおかしいな
眠いし眠いしダルいし

 

人生の大転換が起こるときは、

ものごっつ眠いらしいで
知らんけど
 

そうか、それやったらええなあ

えへへ・・・

 

いやいや、


てか、寝てる場合ちゃうねん
私は、こっからどうやって生きようか、

人生の岐路に立たされとんねん

ほんまにやりたいこととか、

ほんまに好きなことやりたいし

見つけたいんやわ

そもそも、そんな眠いわけないやろ

毎日10時間くらい寝てるで?

 

びっくりすると

脳内一人会議は関西弁になる

私は女なのに、おっちゃん出てくるのは

甚だ不本意だ

 

だけど、眠くてもなかなか

眠いからねよ!とはなれない自分がいる・・・

いわゆる、やるべきことをしないで

布団でダラダラするとか言語道断

という、罪悪感にさいなまれる

早急にこの心理状態を打破したいところである

そう考えながらてくてく歩いていると

思った

 

まず、一番やりたいことをやりましょう
実現するために無理をする必要はありません
一番目にやりたいことが、

無理をしないとできないことなら

2番目にやりたいことをやりましょう

それがすぐに実現できないようなら

その次にやりたいことをやりましょう・・・

いま直ぐ、無理をしないでやれる

本当にやりたいことをやりましょう

 

こうやって、自分のやりたいことを満たして

運を動かすという話

 

ほんまかどうかは、知らんけど(笑)

でも、マズロー5段階欲求はどうだろうか
いま、とにかく寝たいと思っているということは

それを満たせないと次にはいけない

でも、そこが満たせたら

自動的に次の欲求実現のステージに上がるということ

 

ということは。。。

 

どっちにしても、今の「眠い」という欲求を

満たす、それが今「一番やりたいこと」なら

それをやらないと、

次のステージにはそもそもいけないということ
ですね。

 

 

解決!!

 

質問)

人生において次にやりたいことが

なぜ見つからないのですか?

毎日考えているのに、わかりません

 

回答)

いま、一番したいことは

「眠いから寝たい」だからです。

これをクリアしない限り、

次のステージには行けません

 

 

つまり、寝ること、睡眠欲を満たすこと

が、次にやりたいことを見つける条件ということですね
つまり、寝ることが、やるべきことを見つける手段というわけ

やりたいことって、一足飛びに

いきなり「ポンッ」とばかりに

目の前に現れるかと思ってたけど

割と階段式なのね

 

それは知らんかったわ

質量保存の法則が適用される対象だったらしい

何もないところに「やりたいこと」

というのは発生しない

 

ちゃんと火のある所に煙が立つものらしい
どれがそこにつながる火なのかは

見えづらいかもしれないけど。

 

というか、そもそも

罪悪感とか感じてる場合じゃない
いま寝ること=本当の目的を達成する手段

というわけだから。

 

これで寝ない自分はあほだと思う

今は寝ることが最重要ミッションだから!

 

 

だから今日は、とりあえず

今の自分が本当にやりたいことを見つけたいので

布団にもぐって寝ます

私は至極まじめです!

毎朝、箒で部屋を掃除する。

さぼる日だってあるが、ほとんど毎日やっている
それなのに、大量の埃が出る。
うちには犬がいる

毛が大量に抜ける
でも、違う

この埃は、犬の毛ではない

うちの犬は真っ黒だが、

埃は毎日白くて、

犬の毛より短い何かが

ふわふわとしたまとまりになっている

塵取りに山盛りになるのではと思うほど

大量の埃を毎日戸口から掃き出している
なのに翌日になると、また大量の埃
築50年の家がなせる業なのか
毎日戸をあけ放っているからなのか

 

でも、一つ確実なのは、

 

人間寝起きし、

パソコンでモノを書き

ごろごろして本を読み

日に1,2回食事をするだけで

この世に

大量のごみや迷惑をまき散らしながら生きているということ

今日は不燃ごみの日

毎回何かしらこまごまとしたごみが出る

これも考え方によっては迷惑ということでしょう

 

生きているだけで、人様にも

この地球にも

多大なるご迷惑をおかけしながら

生きているということか

 

 

これまで迷惑をかけないように、かけないように

と生きてきたけど、

 

すみません、

生きてるだけですでに十分迷惑でしたね

 

鬱状態だったら

「生きてるだけで迷惑かけるんで、

だったらもう、この世にいちゃいけないですよね私。」

とか言い出すはずだけど。

 

だけど、この埃程度の迷惑だったら

別に迷惑ってほどではないんじゃないだろうか
 

私が生きていて周りにかけている迷惑なんて
毎日吐き出す埃程度なら許せるけどね
その辺の知らない人にかけられても

別にそこまで問題じゃないな

この埃くらいなら軽いし・・・

そういう問題かはわからないけど、

でも、そう思い至ったら

 

 

生きてるだけで普通に迷惑かけてんのに

今更迷惑かけちゃダメとかアホなのかなと。

 

この埃程度の迷惑ならOK

じゃあ、どこからはダメなの?
どこまでの迷惑ならOKなの?

 

 

もうね、あきらめましょう

人に迷惑をかけないで生きるなんて

土台無理な話なんですわ(笑)

 

人間じゃなくても、その辺の雑草だって

十分迷惑なんで。
それこそ、あの草たちは動けないものですから
「そこに存在」していること、それこそが迷惑に

なりうるわけです。
 

私の存在そのものが・・・とか比じゃないよね

だって動けないんだもん

邪魔って言われれば、よそに行ける私たちより

だいぶ存在を否定されてるよね・・・

私が世界一の悲劇のヒロインだったときは

思いもしなかったけれど

私よりかわいそうなやつがこんな身近に。

 

 

でも、その雑草だって

私は手でちぎっては、

これの薬効って?と本で調べては
掘り出しものがあると

不審者だと思われやしないかと

周りを警戒しつつ

ごそごそとちぎって集めては

いそいそ持ち帰り
瓶に詰めてチンキにしたり、

乾燥させてみたりするわけです

 

 

病院に行っても治らなくて

長年悩まされた痛みが

その辺の雑草(だと思っていた草)を煎じて飲んだら

あっという間に治ってしまった話も割とよくあるけど。



でも、ほかの人にとっては

どこまでいってもその草も雑草なんですよね

ある人にとっては妙薬となりえても

別の人にとっては

毎年しつこく生えてくる憎いやつ

かもしれないわけで

 

 

 

毎日生きているだけで出している埃も

今日もすっきりした!と思えるのは
埃があるから

ある意味、埃様様なんですね
埃がなかったら

掃除した時のあの爽快感は感じられないから

そう考えると埃にも感謝できるなんて

悟りもひらけるかもなんて思ってしまって

結論

自分が迷惑だと思っていることも、

本当の本当に迷惑かどうかは、自分ではわかりません
誰かにとっては超迷惑かもしれないし
誰かにとっては超ありがたくて、どこにも行かないで

という類のものかもしれない。

でも、そんなことは自分ではわかりっこないし
自分でジャッジもできないし

それを辞めろって言われてももうね

生きてるだけで十分迷惑なんですわ

それは人間全員ね
 

あきらめましょう、
 

あなたは、今日も生きてるだけで
迷惑でもあるし、有難くもあるし、

差し引き0ってことで

 

だから何してもOK!
気にしなくてOK
あなたが何してもなんの影響もない
だから、好きなことをしましょうと

 

そういうことで、

今日は気分がいいので本屋にでも行こうと思います(笑)

 

休みたいのに、休むことに罪悪感があって休めない

どうにも限界がきて休んでしまうと

動きを止めている自分が怠け者で

このままだと世間から取り残されるのではないかと

不安に押しつぶされそうになる

 

毎日激務をこなしているときも

休んでいると罪悪感を感じる

 

私は大した仕事もしていないのに休んでいいのだろうか

ただのなまけものだ

時間をこんなことに使ってしまって

本当に頭が悪くて救いようがない

と思ってしまう。

ほぼ鬱状態なのかもしれないが・・・

 

なぜ罪悪感にさいなまれるのか?

客観的に考えると、正直疲れているなら休んだほうがいい
休んだほうがその後の効率が上がるからだ

休まなければ効率は上がらず、公私ともにやるべきことは終わらない

身体だけでなく、精神的にも疲れてしまい

状況の悪化しか見込めない

 

でも、休めない

横になっても、やるべきことが

頭の中でぐるぐるして止まらない
 

 

これは、

「誰からもやるべきことを、しっかりとこなしたと認められた人」

しか休んではいけないという、ブロックがかかっているからだ

中途半端に頭がいい、器用貧乏タイプは

周りからこれくらいはできないとダメと

思われていると思う
 

事実、周りからそういわれていることもあるが

中途半端に賢いので、

 

みんながそういうということは、

(ちなみにみんなが言っているわけでもない)
みんなが直接私に伝えていることだけでなく

あれも、これも、こんなこともできる人を

私に求めているよね!

と拡大解釈していく

 

だから

「疲れたら休みましょう」

「体力や体調は各自違いますから、

自分で疲れたと思ったら休みましょう」

ということは周知の事実なのに

 

それでも、世間が押し付けたと思っている

自分に対するイメージ像では

この程度では疲れない

という、身体的理想まで付属している

だからまず

 

この程度で疲れている自分はだめ

イメージ像から乖離している

だから休んではダメ

でも限界だから休むと
理想のイメージ像から乖離してしまった自分に

「存在価値なし」の烙印を押す

そうすると休めない

休んでいられなくなる

まだ20%回復くらいの段階で

ベッドから這い出して活動を始める

まったく回復していないから作業は遅く

遅々として進まない

そして落ち込む

こんなこともできない私

なんて頭が悪いんだろう
こんなこと知られたら、いないほうがましって言われちゃう
(誰も言わないし、思ってない)

でも被害妄想が止まらない

完全に存在価値なし

ずーーん

落ち込みすぎて、余計に作業は終わらない
 

 

これに対する

正しい対処法の一つは
「え、あほじゃない?あほなの?」

と思うこと。

 

自分を俯瞰して見てみよう
はじめは胸が締め付けられて

悲しくて、

なんで私ばっかりこんな思いするの
と思うかも。

 

だけど、例えば

ドラマや漫画のサブキャラにいるような

アホだけど憎めないかわいい部下とか後輩に

置き換えてみよう
 

使えなくて、嫌いな人を想像してはいけない
元気なら仕事はできるし、頑張るし

たまにミスはするけど憎めない

そんな後輩が
 

まだグダグダでボロボロなのに

仕事に出てきて、できませーーーんって

デスクに突っ伏してたら

 

「あほか!帰って寝ろ!」

「ちゃんと治してから出直してこい!」

ってなりませんか?

 

で、代わりに仕事やってあげたりして

なんだかそういうときは

仕事してるっていう実感があって
アドレナリンがドバドバ出まくって
いつもの半分とか3分の1で

いつもの倍の仕事が片付いちゃった!

 

そういう経験が

優秀なあなたなら絶対にあるはず
 

その、あほな後輩はあなたです
 

その後輩みたいにズタボロになっている

あなた自身のやるべきことは
元気なあなたなら一瞬で片づけられるんです
 

だって現に後輩にはできてるわけですから
それを自分に置き替えるだけ

心底アホだと思いませんか?

元気になれば

10分の1のエネルギーで3倍できるのに
今は3倍のエネルギーをかけて10分の1もできない

ふっつーーーーに考えて、

休んだほうがいいです。

死ぬほどできるわけではないけど
周りよりは割とできる自分が、
そんなあほな判断していいのか

そんなわけないんです
だから、できる人はまず休む
元気になったらバリバリ働く

 

休んだほうが論理的に正しいと。

 

今しているその判断こそ
できると思われている自分から乖離していることに


まずはあほじゃない、できる自分になりましょう
 

中途半端に頭がいい人や

器用貧乏と言われる人は生きづらい

 

この生きづらさの原因は

中途半端に高い能力のせい

(だと思っていることが多いが)

ではなく

必要以上に周りの期待に応えようとする

純粋すぎるが故の生き方の問題

 

本人は悪くない。だって

あまりに純粋すぎて

素直すぎて

世の中の周りの人が

そんなにエゴにまみれた

ドロドロとした場所だと知らなかった

だけだから

 

 

いつもなにかに追い立てられ

気が休まることはない

いつも何かにおびえていて

周りの人から押し付けられた

優等生、優秀な社員のイメージから外れないように

僅かな失敗にどん底まで落ち込み

金メッキが剥がれたのではないか

評価が下がったのではないか

と毎日そわそわとして

 

「押し付けられたイメージ像」に

自分の趣味嗜好まで合わせようとした結果

「本当の自分」や「本当にしたいこと」

すらわからなくなってしまっている

 

なのにもっと褒められたい、認められたい

と思い、謙虚でない自分に自己嫌悪を抱く

 

本当はもっとできるはずなのにと思う反面

でも、期待に応えられないかもと自信がなく

 

とにかくすべてにおいて矛盾している

矛盾している自分に混乱して

余計能力を発揮できない

となっている。

 

 

はじめは、

周りから褒められたい

期待に応えたいという

純粋な思いだけだったはず

 

だけど、いつしか

周りの期待に応えないと認めてもらえない

周りの期待通りの人だったら、

そんなことしない

そんなこと言わない

そんなもの好きじゃない

そんなこと考えない

 

と、周りの人が自分に

期待していないものにまで

期待に応えようとして

期待されている自分を作り上げて、

 

周りの人に

本当の自分がばれないか、

本当の自分を知られて失望されないか

と、そればかりでいっぱいになってしまう。

 

でも。すべてが完全なる「虚構」

周りの人のイメージと

自分が勝手に作り上げた根拠のないセルフイメージ

だから、生きているのがむなしくて

悲しくて、何も満たされない。

 

 

「本当の自分」がわからなくて

本当にこれでいいのかわからない

 

これは本当の自分とは違うとわかっても

周りの人が持っている自分のイメージから

外れるから、行動を変えられない

 

そもそも

「そんなこと、私が思ってはダメ!」

と、自分が作り上げたイメージの自分とは

外れた思いが出てくると

自分の素直な思いにすら拒絶反応を起こしてしまう。

 

これが一番の生きづらさの原因

虚構のセルフイメージに全力で近づこうとした結果

自分の思考パターンすら、

「期待に応えないといけない」となり、

自分が自分でわからなくなり、

自分の人生を生きられなくなるということ

 

これをまずは、認知すること

それがまずは第一歩
これを受け入れることは、ものすごくつらい

自分が

そんな虚構に振り回されているだけなんだ

そんなこと、気にせず生きればいいんだ

なんて、自分の生き方そのものを否定するような

そんなことは受け入れられない

 

だけど本当は、わかっていた

ずっとわかっていたことだから

かしこいあなたならできるはず

ちょっとずつ、悲しくてつらくても

まずは、振り回されているだけなんだな

 

そんなのアホらしい!とばかばかしくなって

辞めてしまえばいいんだと思えるまでは

とても怖いけど

 

まず、ちょっと考えてみよう

「こうしなきゃ」と考えていたことに

本当の根拠はあったのか?ということを。
 

 

 

中途半端に頭いいと大変だね
何度言われたかわからない
 

要は馬鹿って言いたいの?
 

小・中・高校、ひいては大学まで、みんなと同じように

右ならえをして、悪目立ちすることが悪とされ

「ちゃんとしなさい」

と言われ我慢して、社会で言う「ちゃんと」していたのに

 

なのに社会に出たら、独創性が足りないだの

みんなと同じことをしてちゃだめだと言われ

 

ぶっ飛んで、学校という枠からはみ出した人のほうが

もてはやされる

SNS全盛の時代にあるからなのか
昔からの自然の摂理なのか


でも、学校で今まで

押さえつけられるままに

我慢して、我を殺して

世間一般でいう

「まじめ」に生きてきた人間たちは

一部の

どうしても枠に収まり切れなかった

そもそも収まる気のなかった

一部の人たちが優位になる学校という世界と

優劣が逆転する社会に放り出されるわけだ。

 

 

正直言って

どうすりゃいいのよ

 

学校というのは

社会に出るまでの準備期間ではなかったのですか?

社会のルールを教えてくれていたじゃないんですか?

それを教えていた学校の先生すら
youtuberにあこがれてて、

かっこいいって裏では言っているとか、意味不明だし

だったら初めから

枠からはみ出しても全然いいんですよ!

って教えないのはなんでなんですか?

というか、そもそも枠を作るなという話

素直に頑張った私は何だったんですか?
逆にダメなんですか?

今まではみ出しまくっている自分を

何とか社会の枠にぎゅうぎゅう押し込んできたのに

それで褒められてきたのに

 

むしろ社会に出たら

型破りの劣等生のほうが評価されるなんて

おかしいと思うんですけど!!

 

しかも、ぶっ飛んだ人のほうが自由に生きられるなんて

ずるい

おかしい

 

 

これを、中途半端に頭がいいというのかもしれない
学校の枠に収まろうとして、無理して適応できてしまったがゆえに

中途半端な能力しかないダメな人間
でも、それでも強く生きていかなければならない

 

という絶望

でもできない現実

これを克服しないと自分らしくは生きていけない
勉強はできないのにぶっ飛べている劣等生

勉強もできて自由にぶっ飛べている超優等生

 

勉強はなんとかできるけど、

言われた通りにしかできない中途半端な優等生

ばかになれれば楽なのかもしれないけれど

プライドが邪魔して

ぶっ飛びきれない

これが中途半端

そのままでもいいと思えればいいのに

でも、周りからどう思われるんだろうと

自分が出せない

自由に生きている人からは

中途半端に頭いいのねと言われ

 

勉強できない人からは

勉強が下手にできると大変だねと言われ

 

下手にってなに?

勉強ができたことすら恨めしく

頑張って枠にはまってしまった自分が恨めしく

そうやってしか生きれ来られなかった自分の無能さに絶望し

 

頑張って、努力して、成果を出してきたこと

否定する必要もないのに

それすらも全部がばかの所業だといわれているようで

今までしてきたことがすべて無駄だった気がして

 

自分が自分らしく生きることはこんなにも難しいのか
そんなわけはないはずだ
 

もっと自由にと言われれば言われるほどに

どうすればいいかわからず

中途半端に頭いいからねと

 

それってどういうこと?

 

でも自由に生きていきたい

自分の殻をやぶりたい
でも今まで自分がやってきたことは否定したくない

そうやって苦しんでいる人は私以外にも絶対にいるはず

殻を破るのではなく、思い出せばいいだけ

思い出せないくらい昔は

自由な自分がいたはずだから

思い出せないけど、

でも確実にあったその時の自分を思い出せたら

 

今、本当にしたいことも

自由に生きることも

絶対にできるはず。