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わがまま母の記録ー認知症ー

父が亡くなり、母の面倒を一人っ子の私がみないといけなくなりました。この母が、かなり困った人なのです。

2013年3月後半
母は、私が手伝うのも、父の弟妹が心配して電話してくるのも気に入らない。嫌みと暴言が絶え間なく続き、父に私や父の弟妹に対する悪口を言いまくる。

少しは動こうという気はないの?!(動けない病気なんだってば)
余計な事しないの!(リハビリですが何か?)
娘と何を企んでるの?!(仲がいいだけです~)
私を仲間外れにして!(話通じないんだもん)
あの子は私の子供じゃない!(じゃあ誰の子よ?)
あなたは娘ばかりかわいがって、私をかわいがってくれない!(娘に嫉妬してどーする)
あの子の性格、だいっ嫌い!(はいはい)
私なんかいない方がいいんでしょ!(ノーコメント)

言い返すと父の被害が酷くなるから、心の中で突っ込んでた。
昨夜の叔母(母の弟の奥さん)からの電話は、母の様子はどうかとたずねるものだった。また何か母に言われたのかと思ったけと、違ったから良かった~ニコニコ

母は亡くなった叔父(母の弟)と仲が悪く、この家族を毛嫌いして一方的に絶縁宣言している。叔母は母にかなり酷い事を言われたみたいだ。
でも私は叔母や従兄弟とは仲が良く、子供たちを連れて遊びに行く事もある。
だから、叔母は母には電話せず、私に「最近どうしてる?」と電話してくる。

母の様子を話したら、「もう施設探し始めた方がいいんじゃない?」と言われた。世話するのは無理でしょ、って。

でも介護度がないと入れる施設は限られる。介護度は、医者に何か書いてもらわないと申請できないはず。

包括センターから、物忘れ外来のある病院が訪問診療を始めたと教えてもらってたので、電話してみた。
明日、説明を受けることになった。
夜、練習に出かけてる間に、叔母(母の弟の奥さん)から自宅に電話あり。帰ってから聞いたのだが、もう電話するには遅い時間。
急用なら携帯にメールして来るだろうし、明日でいいか、と思って電話はしなかった。
2013年2月頃

父、悪性脳腫瘍、余命半年と判明。自宅介護が始まった。

介護がプレッシャーになったのか、母の機嫌は悪くなっていった。認知症の影響も出始めた。

嚥下障害の父が飲み込める食事が作れない。父の好き嫌いもわからない。みかねて私が差し入れると「もう私はいらないのね!」「全部娘に世話してもらえばいいじゃない!」と興奮して父に当たり散らすので、手が出しにくい。興奮しすぎて気を失い、119した事もあった。

この頃、夫は「結婚なんてするんじゃなかった…」と父にぼやかれ、すごく返答に困ったそうだ。
そりゃ、母がこんなじゃ否定はできんし、肯定するのも、ねぇ。
2013年2月
脳神経外科の病院から携帯へ電話がくる。お父様が歩けなくなり受診したんですが、あなたに医師の説明に立ち会って欲しいと言ってます、とのこと。
脳腫瘍、形から見てどこからかの転移だろう、とのこと。

この日、父は、母に携帯を預けて診察室に入ったが、返してもらおうとすると「知らんよ」と言われ、さらに母のバッグから見つかった時に「あんたが勝手に突っ込んだんでしょ」と非難され、驚愕したそうだ。
それで、いつもなら私を心配させまいと病気を隠す父が、娘に立ち会ってもらわんとまずい、と判断したわけ。

父が私へ直接連絡しなかったのは、母の機嫌が悪くなるから。
私がいるのに、娘にばかり頼るんだから!と文句言うから。

父の脳腫瘍、母の認知症がわかった日だった。
昨夜、私がいない間に母から自宅へ電話があった。とった長女は私が帰った時には寝ていたので、今朝聞いた。

今朝7時半に電話。夫がとる。私は体調が悪かったので寝ていたんだけど、「すぐ起こして」と。
母「雑記帳、持って帰ったでしょ?!」
私「見たこともないよ」
母「えっ?あんた、貸してって持って帰ったじゃない」
物盗られ妄想、思い込み。あったことを忘れるのは解るけど、なかったことをあったと思うのは不思議。過去のいろんなシーンが合成されてそうなるんだろうか。
認知症によくある周辺症状らしいが、もともと被害妄想が強い母だから、絶対こんな風になると思ってた。
「無責任ね!もういいわ!」
で、ガチャ切り。かなりの興奮状態だった。

もう、来週の子どもたちの学習発表会には誘えないな。

子どもたちが電話で怒鳴られるのは避けたいと思い、ナンバーディスプレイを契約した。固定電話はあまり使わないし、以前の母は私の携帯にかけてきていたので契約してなかったんだけど。光電話ですが、HPから契約して10分後には使えるようになっていました。
次女が腹痛で学校を休んだ。夫と話し合い、今回は私が仕事を休んだ。
実家は近いが、預ける選択肢は私たちにはない。

長女が帰宅してから、実家へお米と惣菜を持って行く。管理人さんから、母が最近買物に行ってないと聞いたから、おかずがないだろう。ウオノメが痛くて行かないのかな。でも、ウオノメが3つできるほど、どこを歩いたんだろうか(謎)

夕方5時半なのに「昼御飯は食べた?」と聞かれた。時間の感覚がアヤシくなってる…
晩御飯作らないといけないから、と言ってすぐ帰った。
一週間ぶりに実家へ行った。手土産は職場で余ったお弁当。

母が玄関の鍵を変えたいと言う。なんで?と聞いたら、私の夫が黙って家に入ってくる、2、3日前には会社の従業員連れて入ってきて台所で何かしていた、嫌だから鍵を変えてと管理人に言ったが、かなりお金かかるらしい、と訴える。

もう、ため息しか出ない。

捨てたいという物干し棹をベランダから玄関の外に出してやる。
足のウオノメが痛いと言うから、長引いたら皮膚科だね~と言いながら何とか介護度申請に繋げられないかな~と思う。
夫の悪口を聞きたくなくて、仕事行くね~と言い、さっさと退散。

気になって管理人に電話した 。本当に母は鍵交換を頼んだらしい。でも、婿が入ってくるという話におかしいと思い、費用がかなりかかるよと言って諦めてもらったそうだ。
時系列が違いますが、一番実家が荒れ、大変だった2年半前の事を先に書きます。
私が、母は絶対にオカシイと思ったのも、介護関係の方たちが、私が母の介護を自分でせず人に任せるように勧めるのも、

この頃の母が、半身不随の父を虐待していた

からです。
しかも母には、虐待していたという意識はまったくありません。それどころか、1人で熱心に介護していたと思っています。

詳しくはまた後で
小さい頃なら、過保護も過干渉も、『子どもを可愛がる教育熱心なお母さん』と言える。私もそれが普通だと思っていたし、あまり苦痛には思わなかった。
中学生になると、友人の家の様子や、親戚付き合いの中で、あれ?と思う事が増えてきた。

だが、中1でイジメにあって登校拒否、友人不信になり、そっちの方が大変だった。母も、私が子供を守らなくては!と必死だったようだ。
ひょっとしたら、イジメがあったために母の干渉がますます強くなったのかもしれない。
私はイジメを小学校のとき担任だった先生に打ち明けた。その先生は卒業生たちから証言を集め、小中の連絡会の席上で訴えた。校長先生がその場で、全校で取り組むと約束し、指示を出し、先生方が本気で動いた結果、私は学校に行けるようになった。

学校が落ち着くにつれ、家ではだんだん母の管理を窮屈に感じ、家出したいなーと思い始めていた。
父と2人で出かけたり、何かやらかしたりしては、母に「あんたたちは!」と怒られる事が多かったな。