高校の現代国語の授業で教材にされた歌人が伊藤左千夫。
正岡子規の門人でありその教えに従って「写生」をこそ詩作の要とした。
「写生」とは何かを現国の先生は熱く教えてくれたが、その熱こそ大いに伝わったが、内容は大半が蒸発してしまった。火が強すぎたせいだと先生のせいにしておく。
僅かに覚えているのは、情緒を表す形容詞:”さびしい””悲しい””嬉しい”などを使って表現するのは下の下であると言うこと。
そして見たままを文字にすることで感じていることを濃縮すること、それが「写生」であると言うこと。
大体そんな感じだった。
当時読んだ文芸作品と自分の歌詞にどれほど差があるのか判り始めた年頃だったので、この授業で学んだことは以後の作詞の方針となった。
そのトライアルがこの曲。
何も濃縮出来てはいない。
なんの感想も湧かない。
ただただ稚拙。
第一歩なのだからしょうがないんだが。
ただこの頃は思うままにサラサラと書けた。経験や分別がない怖いもの知らずが筆の流れを遮らせなかったからだろう。
今は本当に筆が進まない。
人生も第4コーナーを回った私にとって、全くの未経験はあまり残っていない。因果が大体わかる。すると長々と言葉を並べることが無駄に思える。2行か3行で歌詞が終わってしまう。それじゃ曲になりゃしない。かくして歌メロがあっても歌詞がない曲がいくつも出来た。それらが形を得るのはいつのことなんだろう。