ククルスドアンの島の感想文
視聴しました。
劇場版「ククルスドアンの島」
今回はアマプラで解禁になったので。
■はじめに
今回もネットでレビューをググりましたが、まあ酷い酷い笑
恐らく、酷い感想を書いている人は私と同じ1st老害ガチ勢のアラフィフのオッサンらが主流でしょうね。
もしくは、ちょっとガノタをこじらせた人達というか。
スノッブを効かせてマウントを取るのがガノタの流儀なので、彼らにとって手放しで1st以外の作品を称賛するのは敗北を意味し、だからこそ辛口の批評をするのでしょうが、そんなクサレガノタの意見など置いといて私なりの感想を書こうと思います。
あと、この感想文は実は何度も書き直しています。
超長文になって、自分でも何を書いているのか分からなくなったので。。
また、私の感想文はレビューではなく飽くまでも「感想文」なので十分にネタバレを含みます。ご注意下さい。
というか、私の拙い感想文をちょこっと読んだ後で本編を観ても、何ら差し支えないはずです。
本作はそれだけ見応えがあり、それはもろ手を挙げて保証できます。
ちなみに、本作は原作となった1stの15話の翻案なので、全くの別物と捉えてもいいと思います。
設定がかなり変わっており、変わってないのはククルス・ドアンという名前とジオンの脱走兵、戦災孤児を保護し共に暮らしている、といういうことくらいでしょうか。
脱走した理由も深くは語られていません。
なので、むしろ1stをあまり知らない人でもすんなり観れるというか。
いや、1stを知らない人はそもそも食指が動かないか笑
■身も蓋もありませんが内容は
アムロが敵のカッコいいオッサンに人生を教わりながら成長する、という、ガンダム定番のお題目で物語は進みます。
冒頭の数分で誰でも結末がハッピーか否かは分かります。
どストレートに、善人は善人、悪人は悪人、お調子者はお調子者と描かれていて、どんでん返しはありません。
強いて言うなら、スレッガーがあまりにもお調子者キャラで描かれていて、そこまで活躍しません笑
そもそも1stの15話ではまだ時間軸的にスレッガーは登場していません。
この映画編で特別の大抜擢です。
しかもジムの専用機まで用意されて、セイラが操縦するコアブースターの背中に乗って颯爽と戦闘に加わりますが。。
さすがにその後の結末は映画で観て下さい笑
でもこの映画はそんなところを観る映画ではありません。
■難しくなり過ぎたガンダム作品に一石を投じる
40年以上もアニメ界のトップを走り続けるお化けコンテンツであるガンダム。
長期に渡る人気の要因はいくつもありますが、逆にだからこそ理解が難しくなった面もあります。
特にニュータイプ論に関しては未だにその答えが得られていません。
富野御大の手を離れたガンダム作品ですが、それを手掛けたクリエイターは自分達なりの解釈を持って作品を世に送り出しましたが、富野御大の言葉を借りれば「未だに1stを超えるガンダムはない」に尽きます。
そこで本作ですが、本作ではニュータイプのニュの字も出てきません。
「ジークジオン!」も聞こえませんし、アナハイムなどの企業のよこしまな思惑も暗躍しません。
ニュータイプを顕在化させるためにサイコフレームという物質まで作る必要に迫られた正史作品に比べ、この映画版ククルスドアンの世界はあまりにも牧歌的です。
ガンダム作品なんてMS同士が近接格闘をドンパチやってなんぼだろ、という諸兄らには何とも物足りないかも知れませんが、40年も前からガンダムを観続けているオッサンからしたら、こんな呑気な風景が愛おしくも感じられるのです。
また、この映画版ククルスドアンの公開挨拶で、安彦監督は「愛が溢れている場面が随所にあります」と話しました。
そんな中で、このオッサンが一番愛を感じたのが、BGMでTV版の主題歌や挿入歌が使われた場面です。
物語の終盤の戦闘シーンでドアンが窮地に陥った時、60mmバルカンを掃射しながら真打登場といわんばかりに78ガンダムが現れます。
このシーンでは1stで育った諸兄らなら誰もが知っているサウンドトラック「ガンダム大地に立つ」が使われており、いやあね、もう古めかしいとかダサいとかそんなの1周回って、やっぱガンダムはこうでなくっちゃ、と思うんです。
ガンダムはね、大地に立つだけでガンダムなんですよ。
こんなガンダム、他にいます?
■ナショナリズムを考える
兎にも角にも、このオッサンがこの映画版ククルスドアンで、開始10分少々で不覚にも目頭が熱くなったシーンがあります。
この何気ない、ブリッジでのミライとセイラのツーショットなんですけどね。
いやね、1stの母性の象徴でしょ、この二人は。
彼女らの年齢が当時17歳と18歳だったとかの突っ込みは要りません笑
とにかく、この二人がホワイトベースのブリッジに居るだけでどれだけ安心感があるというか。
その安心感はアムロやカイやハヤトだけでなく、視聴者も巻き込んでいるんですね。
もうね、このブリッジの風景を見ると「帰ってきた」って感じしません?
自分がどこに帰属するのか、いやもっと書くとどこが原点なのか。
私はこの劇場版ククルスドアンを視聴して、そういったものを考えさせられました。
■とはいえ、結局はみんなコレが見たかったんだよね
と、長々と講釈じみた感想を書き綴りましたが、結局はこの2022年のガンダムで何が見たかったってコレですよね。
はい。この詳細なディティール。
モデラーの皆さんなら、美少女フィギュアのスカートの中よりもよく見たデカールやモールド。
作画崩壊した昭和のガンダムから比べると、もうココだけで涙が止まらないでしょ?
もうね、関節の可動方向や可動範囲が正確過ぎるんですよ。当たり前の話なんですが。
重複しますが、作画崩壊した昭和のガンダムだと、金属が伸縮してどうにか人の動作に近い動きをしていたんですね。
で、大地に降り立ったら振り向いてツインアイを光らせる。
そう。歌舞伎役者の見得を切るのと同じ原理です笑
とにかくですね、この現代アニメ技術の3Dで動くガンダムをオッサン達はどれだけ待ち望んだことか。
■まとめ
結局、感想文なのに、ククルスドアン本人や巷で話題になったドアンザク、また敵役のサザンクロス隊のホバー走行する高機動型ザクには触れませんでした。
5機登場する高機動型ザクなんて、武装が違うのは分かりますが、デザート迷彩カラーが1機ずつ微妙に違うんですよ。
余談ですがORIGIN版のガンプラでは、黒い三連星の高機動型ザクの武装が違って、結局3体全部買いましたけど、バンダイは今回は5体買わせるつもりなんでしょうか?笑
いずれにせよ、この劇場版ククルスドアンは、1stの15話の翻案で、別物とはいえ物語の大枠や結末は決まっていたんです。
なので、物語の内容自体をレビューしたり感想を書いたりするのは不毛だと思い、別の視点で書きました。
私的には大満足の一本でした。