世間の人は、とにかく「ことば」にこだわる。
人が何をしたか、ではなく、人が何が言ったか、
そればかりをやたらと気にする。
政治家や芸能人ならなおさら、そうでなくても、
うかつなことを言おうものなら、
やれ謝罪しろ、やれ撤回しろ、だのと大合唱。
辟易、うんざりだ。
たとえ謝罪したからと言って、また、撤回したからと言って、
それで発言者の人格が矯正されるわけでもなく、
まして過去や未来の発言者の行為が正されるわけでもない。
もし、そのように本気で思っているなら、愚の骨頂だ。
日本人特有の言霊信仰とやら、
そんな理屈はどうでもいい話だが、
人のことばが、その人の気持ちや人柄を表している、
そういう思い込み、盲信が広く行き渡っている。
だから、一度何か言って、それが他人の気分を害すると、
あいつはそういう人間だ、などと陰口がついてまわり、
言われた方も言われた方で、
言われたことばがいつまでも頭の中を駆け巡り、
不快なことばを反芻し続けて、自傷行為から抜け出せない。
また、あの時あいつはこう言った、ということを
世間の人は執念深くいつまでも忘れない。
舌禍ということが、行為の害悪よりも重大になる。
なんとも情けなく、やりきれない風潮だ。
そういう風潮の下では、人はことば使いに過度に慎重になる。
本音は言わない、なるべく曖昧なものの言い方にする、
玉虫色の表現でごまかし、紋切り型の建前口上でやり過ごす、
お互いに返答の難しい質問は聞かない、
核心に触れる問題からは逃げ回る、
誰もが耳障りのいいことばで現実から逃避し、
ぬるま湯に浸って、不毛なその日暮らしを続けていく、
それがこういう風潮の行き着く先となってしまっている。
これを一国の文化、などと開き直って
正当化、挙句は奥ゆかしいと美化するに至っては、
思想の退廃も、ここに極まれりの感がある。
不言実行、という格言は、本来そういう風潮を脱し、
ことばにこだわることをやめよ、という戒めであったはず。
ところが、それも昨今では、
有言実行なる、あやしげな文句に
とってかわられようとしている。
このような浮ついた文句の意味するところ、
所詮はことばへの執着でしかない。
言葉は権謀術数の道具でしかない、
というマキャベリズムのような思想の下でなら、
ビッグマウスへの賞賛にも、それなりに意味があろう。
だが、従来卑下されてきた大口叩きへの見直しと見えても、
それがことばへのこだわりでしかない、というのなら、
結局は、不毛な風潮に屋上屋を重ねているだけ。
依然として、ことばの見栄えや形式にばかりとらわれている。
ことばの本来のあり方とは何か、
それは、あるいは単なる方便にもなり、
あるいは、心と一体となった表現の美ともなる。
しかし、そこに、見栄えや形式にばかりこだわるという、
世間的な執着・妄執があってはならない。
頼りなくも、はかなくも、あてにならなくとも、
あるいは、清くとも、美しくとも、切なくとも、
ことばは所詮ことば、一瞬一瞬その場限りの
本来の用が済めば、速やかに忘れさられるべきもの。
「ことば」に対する妄執を捨てよ、
有言実行などという妄言に惑わされるな、
世間の風潮に流され、ことばの本来を見失ってはならない。
