6月14日 pm6時半から、わくわくホリディホールにて
小太鼓からの始まり。
思ったより大人しい印象。
玉三郎が、優しい語り口で、2001年からの鼓童との歩みを説明。
団員は全国からの募集で選別され、まず準団員になるとのこと。
それから一年後に、正団員になるか選別されるのだという。
団員の紹介によると、東京、埼玉、神奈川その他色々な地域の出身者で構成されている。
あるものは低学年から、あるものは高校でバスケや空手など完全アスリート男子であったが、たまたま太鼓クラブで打ってみたら、魅力に取りつかれ、この道に進んだそうだ。
特に高校から太鼓に取りつかれた若者二人は、幼稚園・中学・高校まで一緒で、鼓童も一緒に入ったという。
アメリカの音楽学校で、あらゆる楽器を勉強していた米人もいた。
何れも玉三郎のような、端正な男衆である。
太鼓の拍子を、玉三郎の説明で実践してくれた。
4拍子が多いが、その他に変拍子というのがあり、郷土音楽を研究してみると、案外新手法と思われる変拍子が、入っているのだそうだ。
拍子ごとに、実践してくれる。
13拍子とかもある。
うわぁ、すご技!
単調な祭りの太鼓の音と聴いてしまうと、私のような素人は同じに聞こえるのだが、説明を聞いて、多少とも理解を深くしたのである。
プログラム&出演者
最後の「らせん」という曲は、玉三郎が2016年まで、鼓童監督としてかかわってきた歴史を、曲にしたものだ。
古典から、現代に再創造し、また古典へ、さらに現代へ螺旋状に変化し、発展してきた過程の創作。
25分あり、大太鼓の打ち手の逞しい腕の筋肉は、力強さとしなやかさが踊る。
本来表と裏の大太鼓が、前と後ろで(本来裏は表に見えない)2台重ねで、打ち合い鼓動する。
アジアの他の打楽器も音に溶け合う。
大太鼓打ちの石塚充さんは、玉三郎がかかわった2001年の準団員である。
新人なら一からものを言ってもいいだろうと、日夜指導した団員。
玉三郎は、荒々しいだけでなく、団員の動きに歌舞伎の舞台上の美しさも取り入れ(小道具を舞台袖に下げるなどの所作も)、郷土芸能から芸術の域まで昇華したいとの意志がおありだったのだろう。
その指導は、他の団員から「お仕置き」と呼ばれたそうである。
神がかりな曲が終わると、感動の拍手が鳴りやまなかった。
今年が、最後の石塚さんの大太鼓になる。
体力的に、もう少し小さなものにも関わりたいと言っていたからね。
公演終了後、10月のキタラでの鼓動『打男』DADANの先行発売があった。
感動した方達が、並ぶ。
勿論わたくしも!
10月の楽しみが出来た。










