「年金改革法」もう一つの柱
前回のお話で出てきた平成28年(2016年)成立の「年金改革法」では、もう一つ重要な年金額改定ルールの見直しがありました。
それが「マクロ経済スライド未調整分のキャリーオーバー」です。
そもそもマクロ経済スライドとは?
マクロ経済スライドは、年金の話になると必ず出てくると言っても過言ではない、話題のキーワードですね。
でも、専門用語が難しくて、よくわからない方も多いと思います。
いったいこれは、どういうものなのでしょうか。
原則として、公的年金は、物価や賃金が上がると、それに合わせて増額してくれる仕組みになっています。
これによって、年金の実質的な目減りが抑えられるわけです。
しかしながら、現在の日本では、平均寿命の延びによって、年金を受け取る年数が増える一方で、少子化のため現役世代の減少が続いています。
つまり、お金はたくさん出ていくのに、保険料を負担する現役の被保険者数が、減少傾向にあるということ。
こういった社会情勢にもかかわらず、原則通りに年金を増額していたのでは、将来の年金財政が破綻してしまう可能性もありますね。
そこで採用されたのが、マクロ経済スライドという、年金額を調整する仕組みです。
この仕組みは、「年金制度の長期的な給付と負担の均衡を保ち、将来年金を受け取る人の年金水準を確保する」ことを目的としています。
具体的には、賃金や物価による改定率から、平均余命の延びや年金の加入者数の減少に応じて「スライド調整率」を算出し、それによって年金の給付水準を調整します(つまり減らします)。
平成16年(2004年)の年金制度改正で導入されました。
調整期間は、「年金財政が長期にわたって均衡すると見込まれるまで」です。
なかなか発動されないマクロ経済スライド
ただし、マクロ経済スライドによる調整は、次の図のように、賃金や物価の上昇率が大きい場合のみ、発動されます。
●賃金・物価の上昇率が大きい場合
マクロ経済スライドによる調整が行われ、年金額の上昇は調整率の分だけ減少します。
ですが、次の2つの図のように、賃金や物価の上昇率が小さかったり、下落した場合は、調整されません。
●賃金・物価の上昇率が小さい場合
調整を行うと、前年より年金額が下がってしまう場合は、年金額据え置きとなります。
●賃金・物価が下がった場合
マクロ経済スライドによる調整は行わず、賃金・物価の下落分のみ引き下げられます。
(上記3図は日本年金機構HPより抜粋)
このようなルールがあるため、マクロ経済スライドは導入されたものの、デフレ経済が続いて物価上昇率が低迷したことから、実際には発動されない年が続きました。
このままでは、年金財政の長期にわたる均衡は、なかなか実現できません。
そこで、2016年(平成28年)改正法で、マクロ経済スライドによる調整ルールが見直されました。
それが「マクロ経済スライド未調整分のキャリーオーバー」です。
新ルール
「マクロ経済スライド未調整分のキャリーオーバー」
改正法成立時に公表された、厚生労働省の趣旨を引用します。
年金額の改定ルールの見直し(平成28年改正法)
制度の持続可能性を高め、将来世代の給付水準を確保するため、年金額改定に際し、以下の措置を講ずる
マクロ経済スライドによる調整ルールの見直し(少子化、平均寿命の伸びなど長期的な構造変化に対応)
●マクロ経済スライドについて、現在の高齢世代に配慮しつつ、できる限り早期に調整する観点から、名目下限措置を維持し、賃金・物価上昇の範囲内で前年度までの未調整分を調整(平成30年4月施行)
→景気回復局面においてキャリーオーバー分を早期に調整(高齢者の年金の名目下限は維持)
この新しい改定ルールを、図にまとめてみましょう。
これまでは、マクロ経済スライドが適用されなかった調整分は、適用されないまま、それっきりでした。
平成30年4月からは、キャリーオーバー、つまり、未調整分は”ツケ”のように先送りされることになりました。
そして、後日、景気が回復して、物価・賃金が充分に上がった年に適用され、その分、年金額が減額することになるわけです。
キャリーオーバーの調整は、既に行われている
2019年(平成31年)度の年金額改定の時でした。
この年は、物価上昇がプラス1.0%、賃金上昇がプラス0.6%。
この場合、年金は、賃金上昇に合わせて改定されます。
それだけなら、プラス0.6%、年金額は増額するはずでした。
しかし、その時のマクロ経済スライド率がマイナス0.2%、そして前年のキャリーオーバー分で持ち越されたマイナス0.3%が適用されたため
0.6-0.2-0.3=0.1
となって、結局年金額は0.1%しか増額しませんでした。
ちなみに、今年度の調整率マイナス0.1%も、未調整なので、来年度以降にキャリーオーバーとなっています。
今後、景気が回復しても、0.1%マイナスの”ツケ”を抱えているということになります。
これまでの、年金額改定の推移と主な指標を一覧表にまとめてみました。
横スクロールで全体が表示できます。
|
2015 (H27) |
2016 (H28) |
2017 (H29) |
2018 (H30) |
2019 (H31) |
2020 (R2) |
2021 (R3) |
老齢基礎年金満額(円) |
780,100 |
780,100 |
779,300 |
779,300 |
780,100 |
781,700 |
780,900 |
物価(%) |
+2.7 |
+0.8 |
▲0.1 |
+0.5 |
+1.0 |
+0.5 |
0.0 |
賃金(%) |
+2.3 |
▲0.2 |
▲1.1 |
▲0.4 |
+0.6 |
+0.3 |
▲0.1 |
ルール (適用される変動率) |
6 (賃金) |
5*改正前 (据え置き) |
4 (物価) |
5*改正前 (据え置き) |
6 (賃金) |
6 (賃金) |
5*改正後 (賃金) |
マクロ経済スライド調整率 |
▲0.9 (実行) |
▲0.7 (未実行) |
▲0.5 (未実行) |
▲0.3 (未実行) |
▲0.2 (実行) |
▲0.1 (実行) |
▲0.1 (未実行) |
キャリーオーバー |
|
|
|
▲0.3 |
▲0.3適用 |
なし |
▲0.1 |
年金額改定率(%) |
+0.9 |
据え置き |
▲0.1 |
据え置き |
+0.1 (0.6-0.2-0.3) |
+0.2 (0.3-0.1) |
▲0.1 |
※2018年(H30)~ キャリーオーバーのルール開始
2018年のキャリーオーバー▲0.3%が、翌2019年の改定率でマイナスされています。
※2021年(R3)に、▲0.1%のキャリーオーバーが発生しています。
※2021(R3)~ 低い賃金に合わせて改定するルール開始
救いと言えるのは、ここ数年、マクロ経済スライド調整率のマイナスが、だんだん小さくなっていることです。
調整率は、次のように算出されます。
スライド調整率=公的年金被保険者数の変動率(前々年度までの3年間の平均)
×平均余命の伸び率(▲0.3%)(定率)
ここ数年、厚生年金対象者の拡大や、高齢者の雇用が進んでいるため、厚生年金被保険者の数が増加しています。
その結果、当初の政府の見込みよりも、スライド調整率が小さくなっています。
年金財政の担い手である現役の被保険者が増加していけば、物価の上昇に合わせて年金額を増額するという、本来の公的年金の恩恵が受けられるわけです。
今後もこの傾向が続くようであれば、年金財政も改善していくという期待が持てるかもしれません。
参考
表中の改定ルールの数字は、前回も載せた図の中の①~⑥までのパターンです。
図を再掲します。
今回のまとめ
●2004年(平成16年)「年金制度の長期的な給付と負担の均衡を保ち、将来年金を受け取る人の年金水準を確保する」ためにマクロ経済スライドという年金額改定の調整ルールが定められました。
●実際にはマクロ経済スライドが発動されることが少なかったため、早期に年金財政の調整を終了させることを目指して、2018年(平成30年)から、未調整分をキャリーオーバーし、景気が回復した年に、持ち越すことになりました。
平成28年の改正法に盛り込まれ、平成30年から施行されました。
●年金制度の持続性を高めるために、年金改革が進められています。これからの年金財政が改善されるためには、現役被保険者の増加と、賃金の増額が必要です。
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