先日、すごい久しぶりに、渋谷を歩きました。

 

  20歳前後の頃は我がテリトリーだった渋谷、駅前の東急文化会館にはプラネタリウムもあったし、

 映画館もあった、フルーツパーラーの「千疋屋」も。(2003年に閉業されている)

 

 ↓ 岡本太郎の創作物、先日、渋谷、宮益坂で見かけたもの。

 

         

 

   「真理は汝を自由ならしめん」ー ヨハネ伝8×32 ー

 

これはイエスキリストの言葉ですが、

聖書を基に講話された知花先生も、この言葉を度々、引用されていました。

 

 

 

                                                                                                          真理の理解が深まると同時に、様々な辛さや苦しみなどの体験などを経て、真理の言葉は

宇宙法則であり、まさに事実であり、我々を開放して自由にしてくれると確信できました。

 

昔、学生時代に学んだキリスト教(内村鑑三の流れをくむ無教会派の)では、聖書を基にしての講義でしたので、聖書をいう判断基準がありましたが、知花先生から講話を聴き始めた当初は、聖書とかの判断基準が何もなく、疑いの気持ちもありで、すんなりとは受け止められず・・・

 

 

 

 

最初の頃、

「 ”例え、他の人から悪口言われたり、意地悪されたとしても、それに対して怒る自分が間違っている” と先生は言っている」とある人から聞いた時、

 

「なんですって? 相手が悪口とか意地悪とかしてくるから、怒るのは当たり前でなぜに

 怒るという自分が間違っているなんて! 納得いかないこと」 と反論したことがあります。

 

でも、真理を学んで理解が深まってから、その意味がわかってきました。

つまり、あらゆる問題もあの人が、この人がどうした、こうした云々ではなく、自分自身がそれらをどう受け止めるかの問題だと。

このことを工学博士の田坂広志氏は“解釈力”と述べています。

物事をどう解釈するかで、結果が、つまり、自分の反応が違ってくるのですから。

 

          

「愛は全てに打ち克つ力」

 

知花先生が度々言われたこの言葉が好きです。

「”赦しと愛の一日でありますように!”これを実践したらいいよ」と先生に言われて

この言葉を壁に貼っていましたが、すぐすぐには実践できず、数年以上も眺めるだけでした。

が、何度もの自己探求、自問自答を繰り返してきて、少しずつ実践できるようになりで。

 

いざ、実践してみると、なんと!自分自身の気持ちが軽くなり、嬉しくなり、自由になり

そして感謝の念もでてきて、まさに解放されたのです。

 

聖書の、イエスキリストの言葉は、真理の言葉は、まさに救いの言葉、身も心も軽くなり、

心がひろやかになり、他にたいして思い遣ることもできる優しさも生まれるのです。

 

人として幸せであれと深く広く大きく願っておられるのがイエスキリストの姿であり、

また、知花先生の姿であり、真理を深く理解した方たちの姿であると思います。

 

他を思い遣る、許せないと思う人の側に自分自身を置き換えてみると、相手の内に辛さや悲しみを見ることができました。

許せないと思う相手のなかに氷のように冷たい心、暗くて重い心を見つけた時に、かわいそうだな、気の毒だなと自然に思えると、自然に許すこともでき愛おしさもわいてくるものだと体験してみてわかりました。

 

真理の言葉は単なる知識ではなく、日常で実践してこそ、それに応じて私たちのハートは自由になり、解放されるのだとわかりました。