先日、ゼミの飲み会で酔っ払った同期(某省庁に内定済み)の言葉を聞いて、色々と思うところがあった。彼はその省庁の内定者の中で、東大出身でない人のことを「不純物」と呼んでいた。酔って放った言葉とはいえ、咄嗟にそんな言葉が出るということは、きっと普段は口に出しこそしないものの深層心理ではそう思っているのだろう。
思えば私は、2016年の春に東大に入学してから4年経った今まで、この大学にどことなく居心地の悪さを感じていた。その理由に最近気付いた気がする。
彼らはとにかく、数字の話が好きなのだ。
大学1年の春には自分が取ったセンターや二次試験の点数、数学で何完したかといった話題に花を咲かせ、2年の頃には進振りの点数(東大には他大学と異なるちょっと特殊な進学制度がある)で盛り上がる。大学3年になり専門の学部の勉強が本格化すると、試験のGPAの話で盛り上がり、そして大学4年生になって就活が本格化すると、公務員試験の順位や予備試験の成績、内定先の企業の年収の話で持ちきりになる。
そして、その競争過程の全てにおいて良い数字を記録することが、彼等にとっての「正解」の人生で、そこから外れた人間は「不純物」と評価されるのだろう。勿論、私の大学での交友関係の大半は東大法学部生なので、上に挙げた話題は、少しバイアスの掛かった見方かもしれない。(それにもちろん、人間的に魅力的な東大生の知り合いも数は少ないが一定数いる) でも、私はこう思わずにはいられない。「彼等にとっての自己を規定できる唯一の媒体が数字なのではないか?」と。そしてその習慣は、恐らく有名私立中高一貫校に入るために物心ついた時からラットレースを強いられてきた彼等のDNAに染み付いている。
人の人生を電車のレールに例えるなら、そのレールごとに終着駅も違えば、そこに辿り着く時刻表も異なる。でも、単線的なレールしか知らないと、少しでも早い時間で少しでも良い数字を叩き出すことが至上命題になる。ある意味で、彼等が数字という客観的な存在にかくも執拗に固執するのは、自分に自信がないことの裏返しなのではないかと思う。
きっと彼等の競争は死ぬまで続く。かくいう私も、大学に入りたての頃は入試の数学で満点を取ったことを周囲に自慢気に話していたような(今思うとかなり恥ずかしい)記憶がある。でも、いつしか「こんな不毛な戦いは止めにして、自分は自分の人生を生きよう」と思うようになった。そのきっかけはあまり詳しく覚えていないが、周囲の東大生に対する形容し難い嫌悪感に起因していることは間違い無いと思う。
それぞれが好きなことで頑張れるなら 新しい(場所が)ゴールだね
それぞれの好きなことを信じていれば ときめきを(抱いて)進めるだろう
【僕らは今のなかで/μ´s/ラブライブ!】
長く続く受験戦争の末に私も忘れていた大事なことを、この歌詞は思い出させてくれたような気がする。