おはようございます。

今日から12月ですね。

早いもので今年も最後の月となりました。

ですので、今年を振り返り、いろいろと反省や後悔や口惜しさが、胸中に沸き立つ事でありましょう。

わたくしも、その一人です。

 

今年は、2022・参院選挙へ出馬するつもりが、選挙資金が無い事もあり、断念せざるを得ない事態でした。

次こそはと決意しても、もうこの年齢(現在54歳)では、そうそう実現し得る願望ではないと理解しております。

また政党(自民党、国民民主党、立憲民主党)や周囲(マスコミ、企業)の助けもないこともあり、残念、無念でありますが、政界進出は運の有る者へ任せます。

ですから今日も私人として、目立たないように静かに暮らしております。

 

さて、世の中の妙な事態でありますが、まず最初に述べるのは、政府の要請にある冬節電の話しであります。

これは、企業や家庭へ西村経産相から「電気をそんなに使用するな」という政府の伝令が下されました事につき、いくつか反論と正論を述べるものと致します。

まず、電力会社の電力供給体制は、経済規模に応じた適合水準で、今現在供給されているか疑問でありましょう。

つまり発電量を調整した上で、電力消費に関する需要推移を語るならまだしも、供給計画を見直しせず、需要の抑制に動くのは、自由な経済活動を阻害する国策の一環であると見做せます。

言わば、日本国経済を発展させない圧力がなにかしら掛けられていると言えましょう。

その圧力は、計画経済国(社会主義)の外国からでしょうか。

 

結論としましては、電力会社による電力量は、増やせる前提であれば支障はないのです。

それを増やせないとした政府与党は、まさに日本国の産業売りをする傀儡国家に陥ったと言わざるを得ないでありましょう。

そしてまた、国内電力会社の電気使用料は「使えば使うほど電気代が安くなる」計算方式を用いています事でしょう。

その為、街中で「消灯しない店舗やオフイス」が多くあるのは、それら防犯の目的ではなく、電気代節約の為の非節電だったのです。

街路灯やイルミネーションも、使うほどに使用料が安くなる節電とは真逆の実態と言えましょう。

そうした点を踏まえて、今回の西村経産相の発言にある「節電の為に厚着をして家の中で過ごせ」は、まさに国民を愚弄した無策の現れであり、経済活動を活性化させ、活動的な資本主義社会を構築する目標に反した本末転倒な事と言えましょう。

従って正論で言えば、「夜間、街中の照明塔の電気を消せ。24時間放送するテレビ局は即刻番組放送を中止せよ。スマホを含め、発電と蓄電を普及させてから、使用させろ」等々となりましょうね。

 

次は、政党の公約実現率の検証についてです。

選挙の際に、政策の公約で、各候補者や各政党が、好き勝手に何でも言うのは自由でしょうが、こと「その実現は?」どうなのか?と深掘り調査すると何とも驚く結果が出ます事でしょう。

例えば、「当選したら、国民の皆様を誰一人取り残さず宇宙旅行へ招待します。その旅費は、国債発行で賄います」と公約してもよろしいとなるのであります。

それって、「嘘だよね、ヤバいよね」と、10代、20代の若者なら見抜けますでしょうが、今、そうした嘘を見抜けない有権者が大半で、これまでの選挙が実施されてきているのです。

その証拠に、先の選挙で2回目の特別定額給付金(10万円)を全国民へ払うと言っていた政党や候補者が多く居ました。

だが実際は払われていない。

そればかりか、特定の国民にだけ払われている現状です。

一人親家庭だとか、未成年者がいる家庭だとかにだけです。

これはまさに嘘が横行した不公平な社会づくりになっていると言えますでしょうね。

 

結論を申し上げます。

議員なら言った責任を果たせ、となりましょう。

有言実行を議員に求めない有権者が増え過ぎた現在、有言不実行で議員になる者ばかりが大手を振って政界を歩くようでは、我が国日本は、嘘の上手な連中だけが権力と富を手に入れ、正直者の国民はバカを見る資本主義社会になってゆく事でしょう。

それは、「この世の光が闇に支配される」ことを意味しますでしょうね。

悪意ある打算で世の中が動くと、それは毒殺、謀殺、暗殺、抹殺、撲殺、刺殺、などなどが起こり、法と人間性の支配に基ずく社会システムが崩壊してゆく事となりましょう。

穢れ無き若い生命を持つ親や、夢や希望を抱く若者や、穏やかに暮らす善人は、直ちに、選挙への取り組み姿勢を注視して、異議を唱える事が肝要でありましょう。

それが我が国日本を心の底から誇れる国とすることになると言えましょう。

 

そして本日、最後の御話は、同性婚判決が東京地裁で違憲と出された件ですが、これは2013年製作・日本映画「ゼウスの法廷」を見てから考えたい問題となりましょう。

見ていない皆さんは、是非見て下さいね。

司法の論理と仕組みと、民意の顔色を感じ取れますでしょう。

要するに、裁判官は人間です。

人間としての営みの中で、人間らしさを失わず生きなければ、己以外の人間たちを見誤り、人間性の喪失した社会システムを構築してしまう可能性を生むという事であります。

言わば、法律とは人と社会の発展ツールであり、同時に共同体である市民社会システムを維持するのもしないのも、今ある法律次第となるのが、法治国家の宿命と言えましょう。

人がつくる法が全知を越えられないのなら、人は対話を拒絶して暴力行為によって帰結を得ようと安直にするであろう。

その表れが、安倍晋三元総理銃撃暗殺であり、日々の新聞紙社会面を賑わす殺傷事件と言えましょう。

他方で、法を超える絶対的優位性のものが宗教教義となれば、宗教対立戦争が勃発する上に、好き嫌いの感情論でもあれば尚の事、戦争開始が世界各地で頻繁に起きる事でありましょう。

そうした様相を考えて同性婚を見る必要が実は今あります事でしょう。

しかるに社会の混乱を招く同性婚は、人権尊重を堅持理由にすれば認められるにしても、その事で対立や憎悪や嫌悪が拡大し、戦争となるのが人間社会と言わざるを得ない中、どうすることもできない問題として、キリスト教にある「アダムとイブ」が指し示しているのです。

この世にあるのは、「人間と悪魔と神」。

人間とは何か。

男と女だけなのか。

返答が、とても難しいなら、「AI技術で判例をデータ化し、百科事典をもデータ化し、万物創世記をAI技術に委ね、分析にかけ結果を待つとしましょうか」、となりましょう。

「意味もなく、地面を這う蟻を踏み潰す人間は子供にもいる」。

人類は進化しないまま、今日も生きている。

3000年前の人間は今より賢かったか。

その答えは、皆さんの心の中にありましょう。

優しかった自分。慈愛のあった自分。

失ってませんか?。。。

 

本日はここまで。それでは。。。