岸田首相をはじめ国会議員にとって、避けては通れない主義主張の届け出にあるのが安全保障の分野と思われます。

この分野を明確化して、国民へ知らせることは、政治家としての最大の義務でありましょう。

何故なら国民一人一人は、「生存権を持っていいのか?それとも他人に自らの命を白紙委任で預けるのか?」といった生死に関わる問題が、そこにあるからです。

 

「突然、路上で絡まれ暴行を受けた。突然、煽り運転に遭い怖い思いをした。突然、ピットブル犬が襲い掛かってきた。」などの事が起きた場合、どうしますか?と言う事がありましょう。

 

人間は自分の行動を正当化しますが、第三者から見たら人権侵害であったり、他者への自由権を侵害しているという事が多々ありましょう。そうした延長線上にある問題を拡張させると、紛争や戦争という問題になりましょう。

 

 

本日ご紹介する映画は、黄山ヶ原 / 2003年製作 / 韓国 / 104分 / イ・ジュニク監督 / 国家滅亡を描いた映画です。

時は西暦660年の百済、高句麗、新羅の紛争を描くものですが、その指導的権力者らの身勝手さには、呆れてしまうばかりでありますので、御覧になる際は、「人生には目的がある」という事を忘れて頂きたいですね。

 

この映画、国会議員には見て欲しいですね・・・。

 

それと、ここで注意すべきことは、我が国日本国の立ち位置であります。

その昔、日本は百済との親密な関係を持つ皇子派と、そうでない皇子派が争っていた朝廷戦争(宮廷)の時代があります。

日本の朝廷(朝鮮の朝をとり朝廷となる)の源流は、朝鮮人系と言われる所以がそこにありますが、実が中華人系が皇祖であったのは、その律令国家制度および名字が現れとして証していると言えましょう。

これに異論を唱える人々は、朝鮮人系の渡来人が祖先となる方々と御見受けできましょう・・・。

 

分かり易く言えば、朝鮮民族には、「百済系、高句麗系、新羅系」の3種の朝鮮人が存在しておりましたが、どれも顔つきが違い互いに仲が悪く、憎悪に駆られ、争いを繰り返す惨状であった国々と言えましょう。今でいう、韓国(南コリア)と北朝鮮(北コリア)の関係性でありましょう。ですから彼らが未だに統一できない理由には、そうした歴史的な民族闘争が過去にあった事が障害となっておりましょう。

 

そんな朝鮮民族ではありますが、当時の大国である隋国、のちの唐国、それらに朝鮮人は九分九厘支配されていて、百済、高句麗、新羅は、事実上の属国となっていたのは確かな事となりましょう。

主従関係で言えば、中華人系が上位層で、朝鮮人系が下位層となります。

 

我が国日本でも、その中華人系の支配力に脅威を感じ取り、すかさず遣隋使または遣唐使の派遣を行い、他国へ媚びへつらいの属国外交をしてきたと言えましょう。なにせ中国大陸の隋国なり唐国は、中東や西欧との連絡路(シルクロード)を擁した先進性のある国でしたから、我が国日本は中国大陸から「何か一つでも学びたい一心」がそうさせていた側面がありました事でしょう。

 

更に言えば、天皇は実は初めから中華びとであって、血統からすれば中華人となっていたと思われます。それが皇族同士の内乱や陰謀暗殺で、抗争は頻繁に起き、皇統の血は絶え、天皇制という律令国家システムが残存するに至り、こんにちまで尊ばれてきたと言えましょう。その根拠は、中央集権の成り立ち、貨幣通貨の変遷、貴族の名字家紋、言語となる漢字・ひらがな・カタカナの誕生、中華仏教、と言えましょう。

 

それと、いま現在、新羅系の人、百済系の人、高句麗系の人、それらが入り乱れている韓国および北朝鮮だと解釈すれば、我が国日本の外交は、ある種の見通しがつくのではないだろうか。そして我が国日本にもそうした人が渡来して、今では混血化していることが充分に考えられる。天皇家の顔、皇族系の顔、一般人の顔、それぞれ違いを見せるのは、そうした事ではないか。

 

そもそも我が国日本には、元々、王朝は存在しなかった。しかしそんな縄文時代が、渡来人の襲来や上陸・居住・永住等で、中華人系の弥生時代が幕を開け、大和政権が誕生したと言われている。そして土器から鉄器、狩猟から稲作農耕、集落から築城へと文明を作り上げてきた我が国日本国であるのならば、長女は中華人系で、次女が朝鮮人系で、三女が混血の日本人と言えないでしょうか。

 

 

 

 

ちなみに、「金日成の子どもたち / 2020年韓国製作 / 84分 / 金徳栄監督 / ドキュメンタリー映画」これも参考に見てください。

北朝鮮人民共和国の国策と共産圏の世界戦略が描かれたものとなっております。北朝鮮は新羅人系の部類となっているとすれば、今の国情を理解し易くなりましょう。百済系は韓国と渡来系日本人だとすれば、韓国好きの理由が何故なのか分かると言うものです。

 

 

 

 

まとめます。

人類は知能を発達させながら、他種族、多民族との共存や共栄を模索してきました。その最たるものが、国際社会という概念でありましょう。

一生涯、外国へ行くこともない者が大勢いる時代なのに、物と情報は行き交うのですから、国際社会というのは、良い意味でも悪い意味でも、人類の意識を壮大なものへと変える力がありましょう。

 

ですが、人類は競争を本能で宿す生き物ですから、恋愛での競争から、観戦での競争、そして臓器移植での競争もありましょう。生きる上での競争は、否応なしに迫られてきて、それに対処しなくては生きていけないような事に、昔からなってますでしょう。

 

そうしたものへ挑戦をするのは、国会議員であり、政治家の務めと言えないだろうか。

 

競争を潰し合いではなくて切磋琢磨と転換し直し、そして努力と才能を称え、勇気と優しさを軸に、懸命に生きていける社会を創る為に、社会に必要となる「チャンスの平等」を確立して頂きたいのは、岸田政権への宿題とさせていただきたいです。僭越ながら、本日2本の映画を紹介するにあたり、お願い事も合わせました。

 

それでは。。。