私はこう思う。

 

問1・日本維新の会に所属する丸山穂高氏の発言は国力とは何かを提議したに過ぎない

答え・その通りです。

【理由】北方領土の国後島を訪れた丸山穂高衆院議員は、「戦争発言」をしたという事で周囲から批難されて、即刻謝罪会見をするあたり、「リンチに遭った少年」という感じがします。ここで考えなければならないのは、「国力」とは何か?です。「平和だ、戦争反対だ」、と叫んでみたところで、この地上は、財力や生産力より勝る「暴力が支配権」を握る本音の部分がありましょう。暴力を軍事力と置き換えてみれば、米国の有する軍事力は強大だから、米国人を安易に傷つけない諸国は今でも多いのです。それは報復軍事攻撃を恐れてです。そもそも、南下進攻して日本国を占領しようとしたのは旧ソ連であります。そして北方領土を第二次世界大戦の戦利品として奪った事実が歴史としてあります。米国は同盟上、駐留政策があるものの1972年に沖縄を日本に返しました。ロシアも国際社会の一員なのなら北方領土をそうすべきです。戦争は、「敵国の領土を奪い、女を奪い、子供たちを奴隷にし、老人を処刑してきた」、と思います。そうした事実を直視しない議員らがいるから、領土問題が解決しないのだと思います。事実を直視しないのは、弱腰と言えます。そのような弱腰の議員らが、丸山穂高議員に対し国会議員の資格がない、などと発するのはロシア側からの回し者の議員とさえ思えます。日露戦争で勝利した我が国日本は1905年ポーツマス条約でサハリンの半分、樺太を手に入れた。戦争とは、敵国から何かを奪い支配する為に行われる、この事を忘れないで欲しいです。特に平和ボケしている野党議員の皆さんにはです。

 

問2日米同盟は旧ソ連からの侵略を阻止する効果で締結されたのか?

答え・その通りです。

【理由】20世紀、旧ソ連は民主主義のない世界を広めようとしてました。「民衆は愚かで、自由という無秩序を好む」、だからそうさせない為には、「共産主義で管理して、その思想でもって人心を掌握する」、とした培養政策を国家で計画していたのです。それが当時のソ連の志向であったと思います。当然、これに反するのは米国です。自由が欲しくて、新大陸に渡った子孫がアメリカ人達なのですから、「愚かでも自由があることは最も価値ある生き方だ」、と考えていた事でしょう。我が国日本は、そうした米国の持つ価値観に共感して、日米同盟が敗戦後も継続している最大の訳、と思われます。「敗戦国だから戦勝国に従属しているだけ」、「米軍は屈強だから恐れをなして従っているだけ」、そうした事ではない、普遍的価値への結びつきが日米両国にはあると理解するのが、ユダヤ人も喜ぶ、共存共栄思想だと思います。

 

問3共産主義の産物は狡賢い者たち?

答え・その通りです。

【理由】「全ての人類は、互いに分け与え、共に生きる」、ことを主題とする共産主義は、この地球上の法則としてある生存過程の競争原理やその勝者の蓄財、または私財を容認することなく、全ては社会全体の共有物と定め、計画された生産と消費の上に、全人類の活動を置く社会システムを構築しようと試みていたと思う。それは、怠け心を宿す人類をも含めた計画であったゆえ、見事に計画経済体制は内部から腐敗していった結果、1991年にソ連崩壊を迎えたと思う。分り易く言えば、「頑張る人や真面目な人ほど損をする社会」になるのが、共産主義社会に内包されていたと言う事だと思います。

 

問4・愛国とは政府を支持する者ではないはず

答え・その通りです。

【理由】昭和初期、我が国日本に愛国者がいたのならば、日米戦争の開戦を回避して、大国のあからさまな経済植民地政策を撤廃させる動きを「国際連盟改革」として見せていただろうと思う。1920年発足の国際機関である今の国連の前身組織は、第一次世界大戦を教訓とする為に出来たのだから、その役目は大いにあった事と思う。我が国は、「天皇陛下万歳で、開戦して終戦をした」、このことから、愛国とは何かを考える事は重要であると思う。国民の多くの命を失わせた戦争を指揮したのは、政府の者なのか?それとも天皇家なのか?愛国者が、偉いという発想は、政府御用達の者が偉い、という感じに聞こえるあたり、愛国の愛国たる精神が、改変されていると思える。平成の時代は、そうした戦争回顧や戦争責任の総括が風化させられていたように思える。

 

問5・障害者雇用促進のような公認候補を擁立する立憲民主党って変

答え・その通りです。

【理由】性風俗店で働く女性を引っぱってきて、「こんな悲しい生い立ちや家庭環境、時代背景があるのだから、皆で同情しましょう、そして、そうした悲劇を再発させない為に、この女性を議員にしましょう」、と政党が擁立したら、どんなことが起きますか?「政治家が国民の暮らしを守る為に全力を尽くすのではなくて、国民らが一人の政治家を守り支える政治が始まる」と言えましょう。それって、変ですよね。それとです、障害者を「目玉候補者として立候補させる」、「人寄せパンダのように話題性重視で候補者と定める」、とにかくそんなことでは、人気投票に選挙が摩り替えられ、議員は「当選してもただの人」、となるのが目に見えます。「障害者が、安楽さ優先の金欲しさでホステスとなる、そのホステスが今度は経済的安定を求めて区議となる」、ここまでは「百歩譲って、地場産業のため程度であるのだから、として認められるとしても」、国政進出の事態となれば、そうは容易く容認できないと思います。そもそも、「人のハエを追うより自分の頭のハエをを追え」といったところでしょうか?自宅をバリアフリーに改築するのに、いったい幾らかかると思いですか?障害者らを議員として、自治体なり国が雇用するのに、その健常者議員との平等なコミュニケーションに幾らの費用が発生するのでしょうか?「真面目に働く主婦は、嫌悪感が満載」でしょう。障害者ホステスを国会議員にしようとする立憲民主党の本性にはです。議席数の確保に動くようだが、そうはいきませんと思います。

 

問6暴力には暴力で立ち向かう姿勢が要る?

答え・その通りです。

【理由】非暴力を唱える宗教がありますが、銃器所持を禁ずる我が国日本で、警官に拳銃を持たせる意味は、どう理解する?これは安全保障上でも同様に言えます。答えは、「死んだら、終わり」、これだと思います。虫も殺さない人間がいたとしても、生きる上では、食物連鎖で生き長らえるのですから、結局のところ、他の命の犠牲で自らの命を保つと言えると思います。「みんな良い人だと思いたいでしょう、しかし悪い人もいるのです」。

 

問7中国は金が欲しいが日本を欲しがらない?

答え・その通りです。

【理由】歴史でみても中国が日本を攻めて来たのは一度もないと思います。1274年と1281年の俗称、蒙古襲来は、源義経の逃亡先が海外であり、一族の子孫が復権を願い帰国しようとしたのではないかと思います。なぜなら、日本国を地理的に知る術はどうだったのか?という点と、危険を冒してまでも海を渡り日本を攻めるという根拠が乏しい点にあります。広大な大地を持つ大陸人が、島国を目指すというのは、困難な話と思います。むしろ大陸人は、東南アジア諸国に目が行くと思います。今でいうインドであり、フィリピンであり、マレーシアやシンガポールの辺りです。中国は、人口が多い分、その統制と統治上の治安面から、政治体制は民主化しないのであると思います。それは西暦より長い、紀元前に遡る内乱による内乱の歴史から来ていると思います。忠義や信義より、金銭が重要視された人心掌握術、これが現存する拝金主義と結合し、中国政府は民主主義を受け入れないのではなく、捨て去った国家として、その合理性を示していると思います。簡単に言えば、アラブの王族一派となんら変わらない支配階級の存在が、中国政府と思います。支配する者と支配される者の関係は、富と貧困の関係に相関します。その上で、政治は民衆を統制する手段を政策で色彩豊かに見せるだけだと思います。資本家が支配する自由主義経済社会か、油田王が支配する王族主義経済か、それとも政党幹部が支配する思想弾圧計画経済社会なのか、それぞれ持ち味はありますが、一貫するのは、「支配階級と、その他大勢の民衆」、といったところでしょう。我が国日本は、国民総中流社会を目指し続けて戦後復興を果たしてきました。それは、明治維新の革命期からの流れの一部でもありました。ですが2001年、三位一体を唱える小泉改革から我が国日本は、「一億総中流社会を脱却して、上下階層の二階建て社会」を目指す様になりました。その結果が、今の格差社会です。都市と地方、正社員と非正規雇用者、タワーマンション住民とシェアハウス住民、一貫教育付属幼稚園と待機児童保育、100円ショップと銀座高級ブランド店、それはそれは、インドのカースト制度を国内に持ち込んだ自公政権と言えるほどに、ヤバ過ぎる世界観が構築されようとしている感じは、誠に恐ろしいです。前世、現世、来世、そのような宗教観を持つことは、人生を無意味にさせ、「人生は目的」だということを忘却させる事になると思います。中国政府がインドを嫌うのは、そうしたことからきていると思います。宗教に支配され、国の統治を無価値の遊戯にさせない、とした中国の姿勢は、先進国の有する価値に、外れてはいないと思います。

 

最後まで、お読みいただき有難うございます。

私に幸あれ、あなたに幸あれ