母が教えてくれたこと ~コロナ感染とその対応~ | 3女2男 犬と猫の愉快な家族

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長女:シェリー姉さん(チャイニーズ・クレステッド・ドッグ)
次女:アリス先輩(ヨークシャー・テリア)
三女:リタさん(チャイニーズ・クレステッド・ドッグ)
長男:ティガー氏(スコティッシュ・フォールド)
次男:ラー隊長(サイベリアン・フォレストキャット)




母は9月に3つの病気を併発し
一度は危険な状態に陥りました。

しかし、治療の選択肢が良かったのか
一命を取り留め
口からものを食べられる状態まで回復し
病院を退院し、そのまま老健へ移動しました。

が、そこでは全く食べず点滴だけの生活。
本人の病院での点滴が受けたいという希望もあり
先の病院とは異なる病院へ入院しました。

毎週土曜日に洗濯物を取りに行き
看護師さんからは
「1〜2割しか食べないけど、元気にしておられますよ」
って聞いてました。

「退屈だと言われるので、塗り絵ブックと色鉛筆を持ってきあげてください」
と看護師さんからお電話をいただき
私が持っていた月星座の塗り絵ブックを
看護師さんに渡しました。

12月21日、病院から母のいる病室(4人部屋)で
感染者が出たとの連絡が入りました。

母は検査の結果、陰性とのことで
今後3日に1回検査をしていくとのこと。

が、12月23日、職場に主治医から電話が入り
発熱したので検査したところ陽性だと。

食事がとれないので、お薬も飲めない状況
なので新薬も使えず点滴での治療になり
どちらに転ぶか分からないとのことでした。

看護師さんのお話では7日間コロナ病棟で隔離
念の為もう3日間ほどコロナ病棟とのことなので
母は2023年をコロナ病棟で迎えることに。

年末から帰ってきていた娘家族が
2日には旦那さんの実家に移動したので
3日は3ワン2ニャンを車に乗せ
菜の花畑に向かいました。



まだ市内を走っているときに病院から電話が入り
てっきりコロナ病棟から出ることになったのかと電話に出ると…

「もう今日持つか持たないかの状態です。
3名まで面会を許可します」って。

「母には姉弟もいるので、確認して面会時間を連絡します」
と一旦電話を切り、母の妹と弟に電話するものの
みんな高齢で自由に外出できない状態。
ましてコロナ病棟なんて無理。

うちも主人と二人とも感染するわけには行かず
取り急ぎ娘に状況を伝えた上で
私一人で面会に向かいました。

目は閉じたまま、肩で大きく呼吸をし
呼び掛けにも反応しないし
手を握っても握り返さない
指は変色しだしていました。

15分以内とのことなので母には
「もう帰るよ」って言ったら
片方の目頭から僅かに涙が光りました。

帰り道お昼を買って帰宅すると
娘から電話が入り
病院に来たけどどうすれば会えるのかと…

面会は一度だけ
もう誰も会えないことを伝え電話を切ると
また病院から電話。

「今、心臓が止まりました。
確認はどうされますか?
一緒にされますか?」

「これから向かいますけど
確認はそちらでお願いします。」
と依頼すると

「能体袋に入れるので
もうお顔が見れなくなりますよ」
って言われ

「待ってください。
下に孫(娘)がいるので会わせてあげてください。」
とお願いすると

「では、待ってます」
と、みんなが揃うのを待ってくださいました。

私と主人と娘が病室に行き
死亡確認に立ち会いました。



お迎えの車を手配しなければならないのですが
コロナ感染者を迎えに来てくれるのは1社だけ。

ちょうど10ヶ月ほど前に父でお世話になった
葬儀社でした。

電話したところ…
感染者は部署が違うとのこと
また、葬儀社と病院で連絡を取ってから
折り返しの連絡をくださるとのことでした。

その電話では
24時間病院で預かっていただくので
明日迎えに行き
その後、火葬まで葬儀社で預かるとのこと。

感染者はそのまま火葬になります。
お骨になるまで会えない、そばにいられないのです。

次の日、葬儀場で打ち合わせ。
そこでわかったことは
棺を目張りするので何も入れてあげられない。
霊柩車は使えず病院へのお迎えの車。

父のときには
シャワーをして綺麗なお召し物に着替えさせていただき棺の中はお花で埋めつくし
霊柩車は従兄弟のサプライズでリンカーン。

感染者は全て最低ランクのセットがあるみたい。
あまりにも情けなくて…
棺を布張りに変えていただき
棺の中の顔の周りを小さな花束で
囲んでいただきました。

もちろん能体袋は不透明なので顔は見えません。

そして、住職さんにお願いし火葬前に
お参りをしていただきました。

通常と同じように棺の窓を開けていただき
顔は見えないけど、お別れをしました。

以前は収骨にも人数制限がありましたが
今は緩和されているとのことで
私たち夫婦と子供たちで行ないました。



あと1つ、荷物も直ぐには持ち帰れません。
昨日、取りに行ってきました。

そのとき、看護師さんが
「もう素手で触っても大丈夫ですよ。
洗濯してもらっていいですよ。
もう落ち着かれましたか?」
って、大変な中
優しい言葉をかけてくださいました。

黒い袋にまとめられた荷物を開けてみると
父の遺影
孫の写真
娘家族の年賀状が出てきました。

何故か父の遺影は額縁が割れて
写真が飛び出していました。

誰が悪いわけでもないからこそ
怒りのやり場がなく
気持ちの整理がつかなくて…

でも母はずっと言いました。
「泣くな、泣かなきゃならないときは他にある」
泣かなきゃならないときが今なのか
それとも違うのか
答えは分からないままです。

最後までお読みいただきありがとうございました。

こんな経験をされる方が一人でも少なくなるよう
1日も早く感染者の葬儀が通常に改定されることを祈ってます。