以前の私。

スピリチュアリズムと出会う前の私は宗教嫌いでした。科学的に証明出来ない事を信じない現代人でした。宗教は心の弱い人がハマるものだと考えていました。

天理教を信仰する家系に生まれ、友達を誘い奈良の天理へ、こどもおぢばがえりなどをもの心ついた幼少期から小学生の頃に数回行かされ体験しました。『人類は皆、兄弟。』天理教でのこの教えはスピリチュアリズムを学んだ今でこそ真理を包括していたんだと感じます。

当時、母親の勧めもあり、旅行のつもりで誘った友達や友達の親からこれは宗教だと批判されて距離をおかれるなどの経験をし、いつしか宗教について自分も批判的な感情と勧めた母親にも反感を抱く様になっていました。

「暮らしだって全然良くならない。祈っても何も変わらない。戦争だって無くならない、神様だっていないじゃないか。家族だってバラバラ。宗教だって沢山あって何が本当かなんて分からない。第一に科学で証明する事すら出来ないじゃないか。友達を失う位なら宗教なんか信じない方がマシだ。」という子供の頃からの思いを強く引きずっていました。

一方で母は離婚し、その後、心の拠り所を求めて占いや創価学会、そして統一協会といった精神世界や新興宗教にのめり込んでいきました。

占いでは水晶や印鑑を何十万も出して買わされたり、創価学会では読みもしない新聞を買ったり、統一協会ではビデオを見させられたのか家族の為だとか、定期的に誰かと会ってる様でした。韓国にも旅行だと称して分鮮明氏に会いに行った様でした。部屋には分鮮明氏の写真が飾られています。

『何故騙されてるのに気が付かないんだ!』母に対していつもそんな苛立ちに似た気持ちでいました。

私はそんな宗教にハマる母を何としても連れ戻したい。しっかり現実を見て欲しい、騙されないで欲しいと必死に訴え、幾度も説得、口論を繰り返して来ました。

今思えば、母は精神的な支えが必要だったんだと思います。一人では立っていられなかった。辛く厳しい現実に耐えるには、何かにすがりたかったんだと思います。

母に掛かってくる宗教関係者からの電話は取り次がない事もありました。
母にこれ以上関わって欲しくない、何とかして救いたいという思いでいました。宗教嫌いがピークに達していました。

宗教はお金目的に人の心の弱みにつけ込んだ人騙しという思いしか
その時の私には考えられなかったのです。

そんな宗教に聞く耳すら持たない私でしたが、まさか、自分が意見を変えるなんて思ってもいませんでした。

見えない世界への否定的な考えを180度変えざるを得ない出来事が起こったのです。

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