劇場型の時代 | 世界一熱い投資会社の日記(β版)

劇場型の時代

戦争が劇場型になって久しい現在、
ありとあらゆる出来事が次々と劇場化している。

劇場化とはなにか、

それはいままで見えなかったことや見えなくてよかったことを
すべてお茶の間に見せてしまうこと。
そして大衆が勉強もせずに条件反射で評論していること。

ようするにテレビで見られて、そのテレビに向かって
突っ込みを入れる状態のこと。

戦争については湾岸戦争あたりから、アメリカ主導の戦争については、
ほぼリアルタイムでお茶の間にお届けされている。

そして最近ではM&Aがお茶の間の茶飲み話にお届けされた。

今度は選挙がお茶の間の茶飲み話にお届けされる。

これはお茶の間に届けられているということで、
大衆はすべてがオープンになっていると錯覚をしているのではないだろうか。
そして、すべてをわかったようになっているのではないだろうか。

いままで見えなかったことが、一部分だけが見えるようになって
それをすべてと信じてしまい、
見せてくれた人を盲目的に信じてしまうことこそ危険なのだ。

大衆は明確な構図が一番理解しやすいから
ちょっと頭のいい人は劇場化したものに対して
単純な図式を提示して、支持を得る。

しかし、社会はそんな単純なものではないという考察をすべきである。
単純な図式に落とし込む過程で重要なことをかなりそぎ落として
提示するものにとって都合のいい図式を作りあげているのだから。

この裏にある真の思惑こそが本当は非常に危険なものなのである。

今回の選挙においては、いまの郵政民営化だけを争点にすることは非常に危険である。
なぜなら、今回選ばれた人たちは衆議院議員として4年間活動するのであるから。
その間にはどう考えても増税や財政問題、外交、教育などの
郵政民営化よりもこの国のあり方を決定する非常に重要な課題が山積みだからである。
それぞれの候補者がそのあたりについてどういう政策を持っているのかを調査すべきである。

ちょっと有名になった企業の社長が選挙に出て、
郵政民営化とそれに関連したことの多くについてのみ言及していることに
違和感を覚えないことが、この国の現状の政治レベルであり、
非常に不安にさせる。

政治家とはこの国をどのような国にしたいのか、
国家をデザインする戦略とそれをやり遂げる意思を持ったものがやるべきであり、
その覚悟がないようなものは政治をやるべきではない。

劇場型大衆政治は、人々に深く考えさせることを放棄させて
条件反射的にどちらが正しいのか、という選択を迫るものであり
この政治が続くことになれば、日本は一部のものの明示されない思惑に支配される
大衆型民主主義国家へとなってしまうのだろう。

だからこそ、大衆から市民へ
人々が考える国へ転換を果たさなければいけないのである。

この政策の評価というプロセスは非常に時間がかかる。
これはまさに投資と同じである。

綿密な調査を行い優良な企業を発掘し長期投資をする。
政策についての調査を行い、優秀な政策を掲げ実行力のある候補者へ投票する。

非常に手間はかかるが重要なことである。

しかし、日本人というのは投資においても、
他者の推奨銘柄への投機が好きだったり、
他者が開発したテクニカル分析に基づいた投機が好きだったりと
自分の頭で考えるということを放棄してきた国民性があると思う。

そういう意味では資本市場はずいぶんと昔から劇場型なのであり、
大衆資本主義なのである。