今サッカーのワールドカップが行われていますが、京都の町の中にもサッカーに因むものがあります。



一つは、八咫烏(やたがらす)です。この烏は三本足です。八咫烏は、日本神話で神武天皇を大和の橿原まで案内した烏と言われています。また熊野三山では、神の使いとされ崇められています。

先日京都の新熊野神社(いまくまのじんじゃ)にも行ってきましたが、この神社にも八咫烏が飾られていました。新今野神社は、熱心な熊野信仰者であった後白河上皇が、熊野から勧請した神社です。



現代では八咫烏は、日本サッカー協会のシンボルマークとなり、ユニフォームのエンブレムのデザインにもなっています。このシンボルマークは歴史が古く80年以上も前の昭和6年に制定されたものです。蹴鞠を好んだ天武天皇(壬申の乱で大友皇子に勝利した)が熱心な熊野信仰者であったとの理由によるものです。蹴鞠とサッカーは、鞠(ボール)を蹴るという共通性があるからだと思われます。ボールをゴールによく導いて欲しいとの願いが込められています。今でも、ワールドカップの前になるとサッカー協会は熊野三山で必勝祈願を行うようです。


時代が変わっても、最後は神頼みと言う日本人の精神構造は変わっていないのかもしれません。



もう一つが白峯神宮です。この神社は。陰陽師の安倍晴明を祭神としパワースポットになっている晴明神社の近くにあります。白峯神宮は蹴鞠で有名な飛鳥井家があった場所に建立されています。この神社も、蹴鞠に関係しているのです。サッカーはさしずめ現代版蹴鞠でしょうか。この神社は、サッカー選手だけでなくバレーボール選手など球技選手のボールが奉納されて、あたかも球技の神になっています。

しかし、この神社の祭神は崇徳上皇と淳仁天皇です。崇徳上皇は、平安時代後期に起こった保元の乱で敗れて四国に配流され、香川県で亡くなりました。また淳仁天皇は奈良時代に起こった藤原仲麻呂の乱に巻き込まれて淡路島でなくなりました。崇徳上皇や淳仁天皇も、怨霊になっていろんな事件や災害を起こしたと言われています。


白峯神宮は明治天皇により怨霊を鎮護するために建立されたのです。奈良時代や平安時代の怨霊を明治時代になってから鎮めると言うのは、余程恐れていたのでしょうか。日本人の持つ複雑で根深い心の構造を考えざるをえません。



以上の例のように、時代が変わっても人の精神構造はなかなか変わらないものだと感じざるをえません。