会議の後、私はリーダーを中心にメンバー個々と話し込みをしました。非常に安定していたと思っていた職場も、話し込みの中でみんなそれぞれ満たされない思いを持っていたことがわかりました。私の予感していた通り、管理され過ぎていた面があり鬱積した気持ちを持っていたのでした。



そこで、メンバーが抱えている問題の一つ一つに耳を傾け、小さな問題でも解決に向け対応するようにしていきました。私は実務が何もわからないので、メンバーが困っていることを助けるように心がけました。どちらかと言えば、実務が分かっているメンバーが職場の主役だというように仕向けていくようにしました。またメンバーの中にも、算盤が大阪府でベスト3・TOEIC900点など非常に優秀で合理的な考えを持っている人もいました。感情的な抵抗ではなく合理的に集中化の取り組みを判断できるようなメンバーもいたのでした。

それにも増して、大阪の経理部門が全国の中で同等の業務をまとめていくことができるということも理解が進みだしました。つまり、前向きな取り組みであることで組織が活性化していったのです。したがって、リーダーを中心に集中化に向けての課題などの収集や、スケジュールの策定など自律的にプランを考えていくようになったのです。



しかし、業務が大阪に移転が予想される事業所は非常に難しい問題を抱えていました。移管後、小規模の事業所では、業務を担当しているメンバーが他の業務に転用することが容易でした。しかし、大規模の事業所では移管後の人材の扱いが容易ではありませんでした。組織ごと新しい業務を取り組むことができればよかったのですが、それは簡単ではありませんでした。そのため、メンバーへ移管後の将来図を示すことができず、メンバーには不安がうっ積するようになってきました。またマネジメント層もその解決策を示すことができませんでした。特に、大阪に比べて、大事業所の東京では非常に大きな問題となって、マネジメント層とマンバーとの大きな葛藤が生まれていました。


一方、大阪事業所でも社員を増やさないで集中化を取り組むことにしました。仮に増員が必要な場合でも、当時普及が始まっていた人材派遣から供給を受けることにしました。しかし、人材派遣での対応も一筋縄にはいきませんでした。


以上述べました移管側の混乱状況や受け入れ側の大阪事業所での状況を加味して、実際の移管は一気に実施することは困難だったので、比較的単純な業務から徐々に実施することになりました。このため、集中化の完遂するまで3年程度かかりました。しかし、集中化以前は50数名で対応していましたが、集中化以後は20名弱で対応することができました。砂に水がしみ込むような効率化の効果でした。


次回も続きを書きます。