今回も前回に継いで琵琶湖について書く予定でしたが、急遽予定を変更して書きます。
それは、私の母校の彦根東高校が甲子園の夏の大会に初出場が決まったからです。先週、滋賀県大会の決勝が皇子山球場で行われ母校の優勝が決まりました。決勝の日は、朝から雨が降り、開催が危ぶまれましたが、予定より時間を早めて開始されました。私も球場に足を運び、観戦しました。試合の途中から強い雨になり、グランドは泥沼のようになり、砂が入れられました。また真昼なのに球場には霧がかかり、途中からはライトが点灯され異様な雰囲気な試合になりました。そんな悪条件の中、相手の近江兄弟社高校も含めノーエラーの締まった試合になり、悪条件を感じさせないものでした。
勝ち負けより感激したのは悪条件の中、素晴らしい試合を戦った両校の試合ぶりでした。県下でNo1と言われる好投手の母校の平尾君の顔は不良馬場を走った騎手のように泥んこになりながらも、素晴らしいピッチングでした。
一方、相手校の近江兄弟社高校は、有名は社会福祉家・建築家・事業家のヴォーリスさんが創立した学校だけのことはあって、あわやヒットになろうとするあたりを何回も好守備で防ぐなど素晴らしいチームでした。
試合が終わり、校歌が演奏されると思わず私も歌っていました。青春時代がよみがえったようでした。また母校の新聞部(全国コンクールで何回も優秀な成績をおさめている。)は、球場内で早速校内新聞の号外を発行して配っていました。その内容も、朝日新聞の号外よりも心のこもった素晴らしい内容で優勝と二重で感激しました。
私が現役時代、甲子園は夢の存在でした。今回の夏の大会の初出場は創立137年経っての悲願だったのです。しかし、春の大会は3回出場しています。直近では2009年に二十一世紀枠で出場して応援団は最優秀賞を得ました。夏の県大会では、この10年間で3度、決勝大会まで進みましたが惜しくも準優勝にとどまっていました。しかし、着実の強くなっていたようです。監督の村中氏は優勝のインタビューで、「皆さん悲願だったと言われるが、私は希望の光だと言ってきた。」と答えていました。この10年間指導者は選手たちに前向きな言葉で鼓舞してきたのも大きな原動力になっていたことと思います。
母校は、彦根藩の藩校を引き継いだ学校です。井伊家は徳川家の譜代でその戦いでは先鋒を赤備えで務めていました。このことで、井伊家と言えば赤鬼魂がキャッチフレイズになったのです。母校もその赤鬼魂が伝統として受け継がれています。政治評論家の田原総一郎氏も母校の野球部の先輩で、ツイッターで母校の初出場のことを聞かれて思わず泣いたと書いてありました。
是非、「赤鬼魂」で頑張ってほしいものです。がんばれ東高!