こういう図式を見ると、
我々は、ついつい、日本人的気質が反射的に発動する
「孔明さんは師匠だから、
仕方が無いとして。
善行さん、ずるくない?
私が
毎日一生懸命投稿して叩きだした収益なのに、
何もしていない善行さんも、
報酬もらえ続けるなんて・・・。」
「Tsu(スー)」の「報酬山分けの図式」の場合、
資本主義・民主主義のゼロサムゲームの中では、
かなりフェア(公平)だったりする。
我々が長年、勤務し続けている
会社組織の中を思い出してみよう!
仮に4人の関係が、
資本主義のルール化における、
会社の「縦社会」組織の関係だった場合・・・
報酬シェアは次のようになるはずだ。
【会社組織の中の報酬シェア体形】
・た:オーナー → 90USドル×50%=45USドル
↓
・て:真田孔明社長 → 90USドル×33.3%=29.7USドル
↓
・社:善行部長 → 90USドル×11.1%=9.9USドル
↓
・会:あなた → 90USドル×3.7%=3.33USドル
・・・そう、
上下が逆さまになる。
たとえ、
あなたの日々の努力によって、
広告収益が発生したとしても、
あなたが、
その恩恵を受けられるのは、
ごくごく僅か・・・。
この場合上位者ほど、
大きなシェアを
取っていくことになる。
実際に僕たちが今生きている
資本主義のゲームルールによって
構成された社会では、
世の中全体的に、
このような報酬体系になっているのだ。
僕たちは長年、
共に現役サラリーマンとして、
このような報酬体系の中で、
甘んじ続けて来たわけだ。
我々には共に、
そんな日々に、一つも疑問を持つこと無く、
現役サラリーマンとして甘んじ続けて来た
経験がある。
そんな資本主義の日常ベースでの、
報酬体系とは真逆の報酬体系。
それが、
「我々」の「山分け」の図なのである。
しかもこれは、
・既得権益
・紹介
・育成
・継続
・・・などの時間軸の
資本の重さの違いや、
役割分担を考慮した場合、
かなり合理的に、
公平に設定されているのだは
なかろうか。
さすがは、
合理主義・結果主義の、
米国で誕生した仕組みの中で設定されている
「Tsu(スー)」10%:「我々」90%の
報酬体系はかなりフェアな報酬体系と言える。
このように、
「Tsu(スー)」では、
「Tsu(スー)」と「我々」ユーザー側で
収益を分け合うことができる。
「稼げる」ポテンシャル・・・・
という部分一点において、
かなり尖った、
mixiやfacebookよりも画期的なSNSと
いうことだ。