前回、酒々井町で行われた東日本部落解放研究所研究交流集会について記事を載せました。
実は翌日も交流集会があったのですが、母親の介護もあり参加は断念しました。
その発表内容としては昨年、隣の佐倉市内で見つかった差別的な戒名が彫られた墓石群についてでした。
この「差別戒名」については一般的にこのような考察がなされています。
近世被差別民である長吏・かわた(いわゆる穢多のこと)、非人、猿飼等の芸能民、願人等の民間宗教者といった賤民が亡くなった時、寺の住職達が共謀して「畜男」「畜女」「非男」「非女」「革男」「革女」「人外」といった差別的な戒名が付けられ、識字率の低かった賤民達はそのことに気付かず、後の時代になってやっと判明した…
これがおおよその流れです。
ここに、私が持っている差別戒名についての資料写真を載せます。
生きている時だけでなく、死んでもなお「人」として認められない…
それが仏教の名のもとに公然と行われていた…
これは紛れもない真実です。
さらには、賤民は過去帳さえも平民とは同等ではなく、わざわざ白紙を1ページ設けてから記載したり、段を下げたり、帳そのものを別にするなどの差別を受けました。
又、明治4年に発令された「賤民解放令」の際、過去を葬り去るという理由で賤民の名が記された過去帳が破棄されるという出来事も起きたといいます。
佐倉市内で見つかった差別戒名墓石群は手厚く供養されました。
年代は明和四年(1767年)や、寛政七年(1795年)です。
実に250年の時を経てようやく「人」になれたのです。
私が何故部落史や部落差別の勉強をしているのかについては詳しくは書きません。
でも1つ言えるのは、まずは人間、何はなくともまずは人間、それが全ての始まりだ、ということです。
私は生き物をこよなく愛していますが、それとて人間ありきです。
人間を無視した生き物への愛など絶対にあり得ません。
それでは今回はこの辺で。