大阪の小さなライブハウス BAHAMA がなかったら日本の音楽シーンは全く別のものになってたと僕は本気で思ってる。

 

僕は18歳の時に(今からなんと45年も昔)に〜ちゃん(二井原 実) ワッタン( 渡辺芳信) とEARTHSHAKERを結成した。

 

結成したその夏にはオリジナル曲も4〜5曲出来、ワッタンの家の倉庫にレンタルしたミキサーやマイクを持ち込みデモテープを作った。

 

僕はそのテープを持って大阪のいろんなライブハウスに「僕らを出さしてください」なお願いをしに行くんだけど、その当時の大阪はブルースとウエストコーストとソウルしかなかったんで、ことごとくのことごとくに門前払い。

今考えてみると、名も無きアマチュアハードロックバンドの門前払いは当たり前だし「僕も随分無茶をしたな〜」とは思うけど、みんなの想像通りデモテープを受け取ってくれないライブハウスが99%だったよ(笑)

 

唯一受け取ってくれたのがBAHANAで「この店での最初のライブはオーディション。そのライブが良ければその後もよろしくね」って言ってくれたのがBAHAMA。

 

もちろん僕らはそれぞれの姉や弟やその友達やらを引き込んで大成功にBAHAMAの初ライブを終えて、いまに至ってる(笑)

 

 

BAHAMAがなかったら今の僕達は無いし、その後BAHAMAに出たマグナムやマリノも無かった。

つまり世間で認識されてるジャパメタの出現はなかったと思う。

プレゼンスもガーゴイルも..............................

 

そのジャパメタがなかったら、ビジュアル系も産まれてないし、いまのロック寄りなJ-POPも全て形が違ったと思うんよね。

 

だから、それぐらい日本の音楽にめちゃくちゃ大きく、でもめちゃくちゃ密かに貢献したのが大阪のBAHAMA。

 

 

 

僕は20歳のころBAHAMAのカウンターでバイトしてた。

いろんなジャンルの勢いのあるバンドをみて凄く刺激になったし、ライブの大切さを学べた。

 

BAHAMA名物塩焼きそばも腱鞘炎になるぐらいたくさん作ったし、その焼きそばを終演後に必ず食べてた44マグナムのメンバーやマグナムファンのお客さん達の身体の一部は、間違いなく僕のBAHAMA焼きそばで出来てると確信してる(笑)

ポールやジミーはかなり酔っ払うと『シャラの焼きそば美味かったな〜、また食いたいわ〜』って今だに言うんよね(笑)

 

 

 

BAHAMAのオーナー『オトーサン』の奥さんである世間で知らてるいちばん有名な『オネーサン』には随分いろんな『本気で成功したいと思ってるならバンドで絶対やってはいけない事も教えてもらったし、デビュー目の前の僕らをそれをちゃんと守ったし、僕はそれらを今だにちゃんと守ってる。

 

 

僕はデビューしてからも大阪に帰って時間が有るときには必ず BAHAMAに顔を出した。

それだけ恩を感じてたんだろうね。

でも、そんな僕の意識とは別で、BAHAMAはいつも ごく普通に変わらずWelcomeで、いつもBAHAMAでいつも最高だったよ。

 

 

お店を締める最後の週間にもシェイカーでライブをしにいった。

その週間に出たいろんなバンドが即完だったよね。

 

でも、たったそれだけで僕らが受けた恩を全て返せたとは思わなかったんで「いつかBAHAMA出身のメンバーだけで恩返しのライブが出来たらな〜、それをオトーサンとオネーサンに見てほしいな」と思ってるうちに『オトーサン』が亡くなった。

 

オトーサンが亡くなってからしばらくして、亡くなったことを聞き悲しく思ったんだけど、妖怪的に不死身な『オネーサン』はまだ健在だ(笑)

 

だから今のうちにまだオネーサンも僕らもみんなも健在なうちにBAHAMAの卒業生バンドだけで行うイベントをやりたかったんよね。

 

オネーサンは「うちは見に行かへんで、挨拶とかは絶対いややで〜、でも30分ぐらいは見に行くかもしれへんで〜。すきに楽しんでや〜」な相変わらずな愛のある脱力返事だったけど、僕達はそれで充分。

BAHAMAの卒業生達はむしろ『それだけで充分』なのさ(笑)

 

ねーさん勝手に愛のあるBAHAMAイベントをやらしてもらうね。

 

このイベントは最初は僕の暖めてた想いと、ガーゴイルのスエヨシくんとの想いが重なり小さな話から始まったんだけど、進めるうちにどんどん大きな話になった。

 

結局僕の手に負えない大きな話になって来た時に、デンジャークルーの大石さんに相談したら、快く引き受けてくれて今回のイベントを開催できることに至った。

 

大石さんはその当時の44マグナムのマネージャー。

みんなBAHAMA LOVEで繋がってるんだよね。

大石さんとスタッフに心から感謝。

ありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

そんな中、イベントの告知予定の週に白田が亡くたったとの知らせが.............................................

 

 

このイベントが決まった時に白田もびっくりするぐらい動いてくれて、LINEでバハマ後輩のガーゴイルの状況や、プレゼンスのメンバーの状況やらを積極的に知らせてくれて 凄くイベントを楽しみしてる感情が伝わってきてて嬉しかったんよね。

シェイカーがまだアマチュアの頃から一緒だった白田と一緒に祝える一大イベントだっただけに僕は大きな喪失感があるよ..............................

 

 

 

このBAHAMAイベントにプレゼンスが参加しないのはありえないいとは思ってるんだけど、今のメンバーの気持ちを考えると『白田のためにもなんとかライブをしてほしい』とは頼めないよね。

だから、そこはもう少し時間をちょうだいね。

 

 

でも、このイベントはちゃんと演るから。

みんなも、BAHAMAにゆかりのあるみんなは必ず見に来てね。

 

この最初で最後のBAHAMAイベントは素晴らしいものになると確信してる。

 

日本の音楽史に大きく貢献した小さなお店BAHAMAの60年の歴史を見に来てね。