みなさん ご存知ですか?

シャプラニールには、テーマソング?があるんです。

そのうちの一つが

「シャプラ号に乗って。」

その誕生秘話が今明かされます!

映像は、今年6月の会員総会の後の親会の後

事務所で会員の方や理事、スタッフなどが

小松さんのギターを聴きながらくつろいでいる
様子を撮影したものです

7月24日に東京都の御嶽山にある写真家の吉村さん宅(古民家)でカタログ撮影を行いました。

お昼は裏山で取れた野菜を活かした吉村さんの美味しい手料理(手打ちうどん、ゴーヤチャンプル)をご馳走になり、感謝感激!

(1月15日 PM19:00 ソムニード・シャプラニールインド津波被災地緊急・復興支援調査団)

シャプラニール・ソムニード合同被災地視察調査団は、同県の地元ネットワークNGOの協力を得て、1月7日から8日にかけて、カダロール県およびナーガパトナム県の海岸部の漁を主な生業としている6か村を訪れた。この報告は第1回目の報告である(全6回 写真はこちら)。

このうち3か村(プドゥクッパン村、ムズクッテライ村、K.ムーラカライ村)は、津波よる死者数が多く、被害が甚大な村であった。これらの村は、州政府、国際NGO、地元NGO、各州のボランティア団体などの援助が集中的に注ぎ込まれている村でもある。
※K.ムーラカライ村(ナーガパトナム県)を除いて、すべてカダロール県。

第1回 プドゥクッパン村 (カダロール県)

死者数200名以上。カダロールでも、最も死者数の多かった村。植林ゼロ。
海岸線2,3キロに面していた村が、まるで原爆でも落ちたかのように跡形もなく消えていた。
海岸線にはカジュアリーナ砂防林もココナッツ林もなかった。調査団が訪れた際には、インド政府による瓦礫の除去が終わっていたため、家の土台と木の根の部分がわずかに残り、そこにかつては村が存在していたであろうことを示していた。
海岸線から内陸部へ2キロほど入ったところの家屋は、半壊の状態で残っており、生存者が、次から次へ訪れる緊急支援チームからの物資を受け取っていた。視察団が訪れた際には、OXFAM、同州ニルギリ県の住民からの米の配給、チェンナイの民間企業からの生活用品と現金の支給が行われていた。
道路沿いの学校には、避難所が設立され、そこでは常時、緊急支援物資を村人に支給する体制が取られていた。
地方行政組織(パンチャヤート)から、住民の名簿が公開され、その名簿に基づいて支援物資の供給が実施されていた。

http://www.shaplaneer.org/campaign/tsunami04.htm
現在シャプラニールはインド・スリランカにて救援活動を行っている。

日々の業務に忙殺される毎日である。

でも、大切なことを忘れてはならない。

被災者の方々の冥福を心から祈りたい。

私は学生時代に、スリランカに折りたたみ自転車を持ち込み
旅をした。

ゲストハウスやホテルには一切泊まらず、民家に泊めてもらい
彼らと寝食を共に過ごさせてもらった。あると時は食堂の机の上でも寝かせてもらった。

私は代わりに、漁や子どもの世話(といっても私が遊ばせてもらっていたのか?)などを手伝ったり、野菜や果物を買ったり。
自転車も彼らには自由に使ってもらった。

一緒にお祭りに参加したり、川で水浴びをしたり、海で泳いだり、
舟で川や池に連れて行ってもらったり。子どもの踊りもみせてもらったり。

地元のお寺にもいろいろと案内してもらった。

なんと優しい人々だっただろうか。
豊かさとはなんだろう?優しさとはなんだろう?
受け入れるとはどういうことだろう?

そんなことを感じた。

目を閉じて、彼らに心からの冥福をささげます。
■インドからの最新レポート4
(1月11日 PM20:00 ソムニード・シャプラニールインド津波被災地緊急・復興支援調査団)

2005年1月7日から9日にかけて、タミールナドゥ州の津波被災地を調査し、効果的な復興、再建支援の方策を探った。

<調査団員>
和田信明(ソムニード代表)、原康子(ソムニード)、R. Jayachandran(ソムニード)、Samuel Jespatam(ソムニード)、白幡利雄(シャプラニールダッカ事務所長)

<調査地>
今回調査を行ったのは、インド、タミールナドゥ州カダロール県である。カダロール県を選んだ理由は、被害の大きさに比べて脚光を浴びることの少なく、援助の手が十分届かない恐れのある地域であるということにある。また、地元のNGOのネットワークによる緊急援助の受け入れ態勢が比較的良好であることも、その理由である。

<今回調査の目的>
今回の調査目的は、インドの津波災害の被災地において、シャプラニールとソムニードがそのもてる経験とノウハウを最も生かせる効果的支援方法を見出すためと、緊急援助の現状を判断するためにある。

両団体のノウハウを活かすには、巨額の費用と膨大な設備を必要とする災害初動期の緊急支援よりも、緊急支援の第一段階が終わった後の、復興、再建を住民の希望と現状に沿った形で支援することにあると思われる。実際に、今回の津波災害についても、初動期が終わろうとしている現在、被災民に対する緊急支援は、概ね行き届いていると、調査団は現場での状況から判断した。被災したどの村にも仮設テントの配給所が設けられ、治安を確保するための警察官2人以上が配置され、政府からの食料、調理器具などの支援物資に加え、外国のNGOによる類似の支援、また、インド各地からのボランティアによる支援など、まずは十分と言える。また、国道沿いの、アクセスのよい場所のみならず、主要道路からはずれた場所にも、我々が訪れた範囲では、全てそれなりの援助が入っていた。

ただし、現行の緊急支援が終わった後、どのように復興に取り組んでいくかは、全体的にまだ不透明である。その中で、復興支援の方策を、現場の実態に沿い、かつ両団体の特長を生かした形で定めることは、現場で復興に取り組む他の機関にとっても極めて貢献度が大きいと考えられる。

<調査結果>

カダロール県の海岸部49ヵ村が被害を受け、そのうち17ヵ村が甚大な被害を受けている。全て漁村である。
直接被害を受けた被災地の周辺に避難所が設けられ、被災者が村毎、あるいは数ヵ村単位で避難している。避難所には、食料、衣料、医薬品などほぼ十分と言える量が届いている。
避難所以外、被災した村々へも緊急援助物資は届いている。幹線道路からかなりの距離を入った村々へも、くまなく援助物資は届いている。
援助物資は、インド政府、国際機関、国際NGO、インド各地からのボランティアによるものが届いている。地元のNGOが、物資が被災者に届くことをコーディネートしている。
避難所内に、簡易クリニックが設けられているところもある。また、避難所の子どもたちを対象とした遊戯、ゲームなどのケアも行われている所もある。
避難民たちには配給用のカードが配られ、二重、三重の配給がないように配慮も行われている。
衣料品などは、トラックから放出された衣料品が使用されないまま放置されている場面をよく見かけた。
水タンクへの定期的な供給などは、確認することが出来なかったが、タンク車による住民への直接の給水場面は、しばしば見かけた。住民は、ポリ容器を持参し、列を作って給水を待っている。
地元のボランティア団体(女性自助グループなど)の協力を得た住民調査が始まっている。
仮設住宅建設への住民の希望の聴き取り調査も、一時始まっている。
住民の再建への希望の聴き取りも、平行して始まっている。
政府の再建計画と住民の希望とのコーディネーションは、調査した限りではなかった。

全体的に、緊急物資の配給計画、復興、再建へのさまざまな政府からの支援策など、住民への情報の伝達は十分とは言えない。
上記のような住民の聞き取り調査を行っているのは、民間の団体、大学からのボランティアなどである。

被害状況に関して、海岸にカジュアリーナ林が植林してある場所は、人的被害が少なく、また建物に対する被害も比較的少ないようである。この点に関しては、データマップを作成する必要性があると思われる。逆に、灌木が無秩序に生えていた場所などは、女性のサリーが枝やとげに引っかかり、逃げられなくなったとの証言を得た。

被災地への救援が、被災地の死者数に比例しており、死者が少ない、あるいは死者が皆無でも、経済的打撃の大きいところでは、復旧の方策の立て方が薄くなっている。

今回の津波の救援の重点は死者の多い地域に集中しているが、死者数がそのまま復興の困難さを現しているのではない。死者数、負傷者数に関わらず、漁船、家屋、漁網への損害があれば、それはそのまま現在生活の糧を失っている状態を意味し、生活の立て直しを極めて困難な状態にしている。そのような人々に対する復興支援が、軽視されてはならない。

付属的な問題として、漁村から魚を仕入れて商いをしていた小規模商人、あるいは、漁村で仲買をしていた人々は、漁師が休業状態にあることによって、これも完全に生活の糧を失っている。

さらに、復興支援で問題なのは、大手NGOなどが仮設住宅建設に対する資金投入を行おうとしているが、被災民は必ずしも仮設住宅を必要とはしておらず、それよりも、その資金を、漁船の修理、漁網の購入などの資金としてローンを組んでもらった方がよいという希望がある。この様な、復興期の復興施策の行き違いの是正は、地元NGOのコーディネーション能力に大きく関わっている。

また、中央政府、州政府、地方政府への情報伝達、そして県レベルでの情報の共有に関して、さらには、政府からNGOなどの民間機関との情報共有、被災者との情報共有など、従来でも円滑に行われていなかったことが、この様な状況ではさらに決定的な重大さを持つ。この点でも、地元NGOのコーディネーション能力は大きな意味を持つが、そのようなマクロとミクロを包括的に結びつけるキャパシティーが地元NGOにあるとは思えない。
http://www.shaplaneer.org/campaign/tsunami04_india.htm
(1月8日 AM2:00 小松豊明)

1月5日から6日にかけて、スリランカで最大の死者を出したアンパーライ郡へ視察に行った。これからの協働を検討しているMONLAR(Movement for National Land and Agricultural Reform)のスタッフと一緒である。
<1月5日>
先日ハンバントタへ行くときも通ったラトナプラから今度は真っ直ぐ東を目指す。長い道のりでみんなぐったりし始めていたとき、何か妙な音がすると思って耳を済ませるとどうやら我々の車から出ている音らしい。まさかと思って窓から顔を出してみると、左後ろのタイヤがすっかりパンクしてホイールが路面にぶつかっていた。降りてみてみると左前も空気が抜けているではないか。とりあえず、パンクしてホイールから外れかかっている左後ろのタイヤをスペアと交換し、タイヤを売っているような店がある街までゆっくり車を走らせることになった。結局タイヤ屋は見つからず、しばらく行ったところで応急処置だけをし、目的地へ向かった。タイヤのパンクで大幅に時間をロスしてしまった。今日は現地視察は断念するしかない。結局宿泊地であるアンパーライ郡の郡都に到着したのは夜の9時。夕食をとり、水を浴び、明日の予定を確認しているうちに夜中の12時を過ぎた。私もMONLARのスタッフも前日2時間ほどしか寝ていなかったので、早々にベッドへ向かった。

<1月6日>
朝7時半に宿泊先を出発し、アンパーライ郡の中でも被害の大きかった地域のひとつ、カルムネイへ向かった。海岸近くまで車で行こうと思ったら、道路の損傷が激しく車では近づけない。車を大通りへ止めて歩くことになった。海岸へ向かって歩いていくと、水に浸かった痕が壁に残る家々が目に付くようになり、さらに進んでいくと突然視界が開け、そこにはほぼ全壊した家が連なっていた。ここはまだ全く片付けが始まっておらず、遺体こそは既に運ばれて無くなっていたが、それ以外は被災当時のままという感じであった。被害のすさまじさに言葉を失っていると、スタッフが「骨がある」と指を指したその先に、大腿骨だろうか、大きな骨と変色した頭蓋骨が転がっていた。すると、周囲にいた村人が、「あっちに遺体が2つある」と教えてくれた。確かに異臭が激しくなってきていた。恐る恐る見に行くと、壊れた家の瓦礫にはさまれる形で、2つの遺体が放置されていた。スタッフの一人がすぐに警察へ連絡したが、こうした遺体はまだ他にも発見されずに残っているものと推察された。

パンディラプと呼ばれるこの地域だけで、およそ700人が亡くなったという。我々に遺体の場所を教えてくれた青年は1kmほど離れたキャンプで生活しているという。大学のキャンパス内に設けられたキャンプであるため、新学期の始まる今月中旬には別の場所へ移らなければならないが、見通しは立っていない。また、隣の家で残された食器などを探していた家族は、キャンプへは行かず親戚の家に身を寄せているという。しかし、いつまでも親戚の家に厄介になるわけにもいかないので、次のことを考えなければならない。キャンプ地は遠いため行くのが難しく、支援物資の配給を受けたことはないという。

海岸線から約1km離れた辺りでは、1メートル以上が水に浸かり家の内部はかなり被害を受けているが家自体の損傷はそれほど激しく無く、人々は自分の家での暮らしを再開するため、家の片付け作業を始めていた。

この地域全体の様子を知るために、NGOの活動をコーディネートしているコーディネーション・オフィスを訪れた。ハンバントタでも同様だったが、ここでもムスリム組織が指揮をとっていた。自らの家も全壊したという代表のナジム氏に話を聞いたが、非常によく全体の状況を把握しており、外国からやってくる支援組織もここを訪れ情報を収集し、協力関係を築いているようだ。彼によると、医療関連の支援は充分行われており、水の供給も問題ない。ただ、食糧に関しては料理して配布しようとすると予想していない大勢の人々が押しかけるため管理が難しいという。また、フライパンや鍋、食器といった日用品がないので、被災者が今後キャンプを出て新たな生活を始めるためにはこうしたものが必要となる。政府は現在空き地になっている場所にテントを用意してそこへキャンプ滞在者を移す計画だが、そのためのテントやトイレの手配がこれから必要だ。

帰り道、SEWALANKAのアンパーライ事務所へ立ち寄った。キャンプ地へ届ける飲料水タンクやマット、バケツなどが大量に積まれていた。それぞれ各国のドナーや企業からの資金で購入され、配給を待っているものである。

アンパーライの街を出発したのが夕方6時近くになってしまい、結局コロンボにたどり着いたのは夜中の2時であった。

■ 現地で活動するNGOと協働
インドネシアのスマトラ島沖で2004年12月26日朝に発生した大地震に伴う大津波は、インド洋をはさんだ南アジアを直撃し、インド、スリランカをはじめとする各国に甚大な被害を与えています。今回の津波では幸いなことに当会活動地であるバングラデシュ沿岸部での被害は軽微でしたが、ますます拡大する周辺各国の被害状況をかんがみ、インド、スリランカにおいて緊急救援活動を行うことを2004年12月28日に決定しました。

シャプラニールでは、活動地以外で緊急救援活動をおこなうにあたって、現地事情に詳しい地元NGOとの協働を基本としており、今回も現地に本来の活動地をもつNGOをパートナーとして活動しております。


■ 現在の活動概要
【インド】
南インド・アーンドラプラデシュ州で活動する日本のNGOでシャプラニールの友好団体でもある特定非営利活動法人ソムニード(岐阜県高山市)への協力を決定。シャプラニールからは当会のダッカ事務所長である白幡利雄を1月6日~10日の日程で派遣します。ソムニードは被害が最も甚大だった南部タミールナドゥ州での救援活動を行っています。今後はチェンナイ(旧マドラス)、カッダロールなどの地元NGOと共同で、政府関係などの緊急支援で不十分な部分、特に子どものケア、栄養補給などを中心に活動を進めていく予定です。

【スリランカ】
第一段階として、現地のNGOであるSEWALANKA(Sewalanka Foundation)への小規模な協力を実施。現地NGOと支援活動の形成調査として、シャプラニールカトマンズ事務所長である小松豊明がコロンボ入りしています。現在、SEWALANKAとの調整のほか、被害の現況把握、その他のニーズ調査などの業務に当たっています。今後は「キャンプを出た後の生活場所の確保、恒久的な飲料水の確保、保護者を失った子どもへの対応などの中期的な取り組みが必要」との報告が入ってきており、地元NGOとの連携を通じた支援活動を検討中です。


■ 日本国内で被災者救援募金を開始
シャプラニール東京事務所では、「インド洋大津波被災者救援募金」を開始しています。津波の被害を受けた人々への復興を支援するため、緊急救援募金への協力を呼びかけています。


◆ 募金の送り先:
郵便振替口座:00140-1-133937 口座名:シャプラニール緊急救援
※備考欄に「大津波募金」とお書きください。

http://www.shaplaneer.org/campaign/tsunami04_photo.htm