んにちは。
原作・映画ともに聲の形の大ファンの者です。
 
 

8/1の金曜ロードショーをきっかけに久しぶりに映画 聲の形を見ました(ノーカット&主題歌も最後まで観たかったので以前NHKで放送されたものの録画を観ました。)

 
道しるべのようにゆらゆら灯ってた私の中の聲の形の火がこの視聴を期に豪っと燃えたので、こちらも久しぶりにブログを書いてこの熱をアウトプットさせていただきます。
 
 
 
さて、聲の形について語れれば私はなんでも楽しいのですが、きっと放送で話題になったであろう川井について話していこうかなと思います。
 
 
 
《川井ってどんな人?》
 
・将也の小学6年生、それから高校3年生のときのクラスメイト。
 
・小学生のときから優等生、学級委員長的な立場で完璧主義なところがある。
 
・人一倍正義感が強く、そしてその正義は絶対に正しいと信じて疑わない。
 
・山田監督(原作の大今先生だったかも?)は川井をシスターのような純粋な人と評する(ソースは忘れてしまいました… どこかの記事でおっしゃっていました。)
 
(・その裏表無く天然に振る舞う様子を不快に感じた方も多いでしょう…笑)
 
・クラスメイトの真柴に好意を寄せ、真柴が将也に近づいたため川井も将也に近づく。
 
 
 
 
川井の行動理念は大きく2つあると思います。
 
ひとつは自分を愛すること。
もうひとつは真柴と仲良くなること。
 
 
 
さて、小学校時代の川井を見てみましょう。
 
映画を見るとわかりますが、事実として川井は硝子への嫌がらせは一切していません。
 
硝子へは、転校初日に筆談ノートを用いて会話をしたり授業のサポートをしたりと、温かい対応をしています。
 
 
 
そんな中で、学級裁判では石田に「女子だって悪口言ってたじゃん!特に植野と川井が!」と言われます。
 
そこで川井は涙を浮かべ眼鏡を外し、「ひどいよ石田くん…」と将也への集中砲火の雰囲気を助長します。
(川井自身はあざとさや保身は特に考えておらず、「私はそんな酷い人ではない」「西宮さんを助けてあげてた」と石田に責められる悲しさで涙したと思います。)
 
 
 
 
 
橋崩壊事件
 
 
石田は真柴に硝子のいじめを掘り返されるかもしれないことを危惧し、川井に小学校のことを口外しないよう口止めします。
 
しかしそれが川井の正義の逆鱗に触れ(私がなんでもかんでも言いふらすと思ったの!?!?)、怒りがエスカレートした川井はクラス中に聞こえる声で石田の過去のいじめを暴露します。
 
 
 
さて、その後橋では「石田くん(となおちゃん)は悪!私は悪くない!」の川井式を証明しようとしますが、やはり橋崩壊事件で注目したいのは、将也が川井に放った言葉です。
 
 
 
「やめろ川井。お前は自分が可愛いだけなんだよ。」
 
 
 
橋崩壊事件で将也が長束、植野、川井、佐原、真柴に言った暴言は、それぞれのキャラクターのコンプレックスを提示することを意味します。
 
 
 
川井のコンプレックスは自分が可愛いだけ、つまり「自分本位で自分が一番大切」ということです。
 
 
 
その後将也の昏睡中に硝子が(将也の代わりとなって)みんなのコンプレックスを受け止めるシーンでも、硝子の筆談を遮り、肩を脱臼した硝子を強く抱きしめながら「辛いから死ぬなんてだめ!だめな自分も愛して前に進むの…!」と硝子の話も聞かずに一方的に持論を叩きつけます。
この時に自分のコンプレックスに向き合うのです。
 
(ちなみに真柴はこの時落とされた手帳を拾い上げて硝子の思いの丈を読んでいる。)
 
 
この課題が文化祭のシーンではどうなるのでしょうか。
 
 
昔になりますが以前の私の記事で記した通り、映画 聲の形の物語のゴールは「コンプレックスの外的除去」ではなくて、「コンプレックスの受容、内的解消」だと考えています。
 
 
自分が企画してクラスに募った千羽鶴ですが、数が集まらず「できそこない」になってしまいます。
 
それを将也に渡すのをためらいますが、真柴に「それで(できそこないでも)いいじゃないか」と言ってもらい将也に渡すことができました。
 
完璧主義の川井が不完全な自分を披露することができたシーンです。
 
 
文化祭でも相変わらず川井と植野は口論をしますが、これは橋崩壊事件の断絶と対比的なシーンで、コンプを抱えた自分自身や相手を受容したより深いコミュニケーションとなっているのです。