モノを所有することの意味 | 九州、札幌…ときどき母と猫

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地方都市の徒然、ときどき母と猫の観察記録

約5年前に父が亡くなってから

モノを所有することについて考えるようになった。

 

父はモノが捨てられない人

もう長くは生きられない…

と言いながら

何一つ捨てずに旅立った。

片付ける役目が私にあったのでしょう

と考えるようにしてるけど

 

…けど

もんのすごく大変だった!

お金に物を言わせ?

片付ければよかったんだろうけど

処分するのにウン十万円

使いたくなかったのが正直なトコロ。

ケチですわ、わたくし。

 

おまけに事業をしていたので

関連した物を売って

少しでも現金化できれば…

というのが甘かったんだけど。

100万円超の諸々が

5万円くらいにしかならなかった(笑)

中古品ってそういうものよね。

 

父は自分の心の隙間を

モノで埋める人だった。

なので、自分が長くない

と思っても処分できなかったのよね。

(たぶん)

 

モノを所有することで

娘がこんなに大変だったということは

父は知らない(だろう)

 

はっきり言ってねー

ほんと迷惑でしたわ。

自分の尻拭いは自分でしろ!

という気持ち。

 

モノはあの世には持っていけないし

残された人たちの負担にもなるのです。

処分の費用分

別途用意してくれてるといいけど

モノを持っている人に限って

そんなことしてないのよねー。

 

モノがあふれる時代

モノを所有することがどういうことか

自分を豊かにするものか

日々考えたほうがいいですわよ。

 

自分も家に帰ってから

片付けしようっと。