この前から、ふたたびアナスタシアにはまってまして。

 

興味深かったテーマについて、抜粋しておきます。

今、イスラエルとパレスチナの間で、戦争が起こっていますが、

実は、ユダヤ教とキリスト教の両方を操って、

うまい汁を吸っている存在がいるというお話。

 

アナスタシアの祖父が語る、ユダヤ教とキリスト教の歴史です。

 

アナスタシアの曽祖父は、古代エジプトの時代に生きていたということですから、

信ぴょう性が高いですね^^

 

~~~~☆彡~~~~☆彡~~~~☆彡~~

抜粋です。全文は本でどうぞ^^

 

ユダヤ人大虐殺がはじまったのは、エジプトのファラオの時代。

 

キリスト教国家になっていた国々の中で、

ユダヤ人大虐殺が起きた。

 

大規模に行われたのが、

1939年から1945年のヒトラー時代。

 

ユダヤ教では、ユダヤ民族は、神によってえらばれた

唯一の民族であると定めている。

 

キリスト教では、人間は地上の生のあと、

一部の者たちが天国へ行くことができる。

金持ちは天国に行くことが難しい。

隣人を愛し、隣人と分かち合わねばならない。

 

タルムードは「すべてお前のもの」と書かれている一方、

聖書だと「すべてを与えよ」と書かれている。

 

これら2つの相容れない思想は、

イスラエルという、ひとつの地点から生まれた。

 

 

このように、2つの異なる思想により、未来に生まれてくる子供たちにも

衝突が起こることが決定してしまう。

 

異なる民族が闘争しているのではなく、

異なる思想が「民族を利用して」闘争しているのだ。

 

(中略)

 

相反する2つの思想を創造した神官たちは、このことを知っていたのか。

当然、知っていた。

 

ユダヤ人は選民であると話した彼らは、

本当にユダヤ民族を幸福にしたいと願っていたのだろうか。

 

その目的がまったく別だったことは、歴史が証明している。

 

何世紀にもわたり、ユダヤ民族は、

人々の注目をそらすための盾として、

「ゲームを楽しんでいる」者たちに利用されてきたのだ。

 

イスラエルとパレスチナのあいだでは、

衝突が続いている。

 

イスラエルは高い軍事技術とアメリカの支援を利用してパレスチナを占領し、

パレスチナ人たちに自分たちの要求をのむよう強要できるが、

これでは、隣り合って暮らす2つの民族の間で、互いへの経緯が生まれるはずがない。

 

むしろその反対で、ユダヤ人への攻撃的なエネルギーの量が、

イスラム世界全体で急激に増大してしまうのだ。

 

このエネルギーは、イスラエルやアメリカの領土で、やまないテロのような形を含め、

必ず発現するのだ。

 

もし、大衆の前に、真の原因についての情報があらわれたらどうなるだろう?

 

この惑星の、重苦しい状況を作り出した真の悪者を、

人々に示すリーダーがあらわれ、

悪者たちのゲームや目的、任務を解明したとしたら?

 

まさにこのことを、世界的なイデオロギーを主導している者たちは恐れてきたのだ。

 

だから、全人民の怒りが自分へと向かないよう、

彼らはすでに検証済みの、ユダヤ人というカードを切るのだ。

 

全部ユダヤ人が悪いのだ、

彼らを捕まえろと言って。

 

怒りに燃えた人々は、ユダヤ人とみれば手当たり次第に襲いかかる。

 

そんなことが、何世紀にもわたり、幾度も行われてきた。

 

しかし、実際には、うっぷんを晴らしているに過ぎないのだ。

 

 

アナスタシアの祖父の話は、その特異さと裏付けのシンプルさで、わたしをひどく驚かせた。

 

「我々がいうところの紀元30年から100年までのあいだに、現在でいうイスラエル(パレスチナ)地域とローマ帝国内に暮らしていた異端者たちと、ユダヤ教徒による複数の小集団が、ユダヤ教内部から派生した独自の思想により団結し始めた。

 

それがイエスキリストの遺訓を強く信じ、

彼(キリスト)がじきに復活することを信じる、小さなキリスト教共同体のはじまりだった。

 

この事実は、聖書を含め、数多くの歴史的文献においても裏付けられる。

 

要するに、

強力なキリスト教の教えは、

ユダヤ人の小さな共同体が集まってはじめられたという事実が裏付けされたことになる。

 

では、判断してみよう。

 

この小さな共同体の教えが、いったいどのようにして、

突然にローマ帝国、現在のヨーロッパやロシアに取り入れられたのか?

 

そもそも、イスラエルでさえ、一部の人にしか知られていなかったのに、

どうしてこれほど多くの国々に知れ渡るようになったのか?

 

アナスタシアの祖父の話によると、当時ユダヤ教徒たちを掌握していた神官たちは、

キリストの教えに対して、

一定の仕上げ、より正確には、一定の細工をすれば、

操りやすい奴隷型の人間をつくることができるということに気がついた。

 

このタイプの人間は、自分自身の論理的思考を部分的または完全に停止させて、聖職者やその他の者の言うことを信じるようになる。

 

さらに言えば、課せられた暗示のプログラムに従うバイオロボット型人間となるのだ。

 

そして、自分たちに必要なたぐいの教えを大衆に根づかせるための、

知識と実戦経験を有した、当時のユダヤ教の司祭たちが、

キリスト教徒の中から何百人もの宣教師を養成し、資金を与えてあらゆる国へと送り込んだ。

 

紀元2世紀の終わりに、ユダヤ人キリスト教共同体が、

突然に、様々な国で、大々的な布教活動を展開した。

 

この活動に先行して、熱心な福音伝道(キリスト教信仰のユダヤ人による聖書の出版と、その多部数の複写)が行われている。

 

だれもが知っていることだが、本の出版には今日でもお金がかかる。

 

遠い昔の時代には、1冊の本の製造には、さらに膨大なお金がかかった。

 

また、布教のための外国への旅にも、かなりの資金が必要だった。

 

そのような旅ができるのは、裕福な家の人たちだけだった。

 

ではいったいどうやって、主に農村の住民たちで成り立っていた共同体に、そのような大金がかかる大規模な作戦を遂行できたのだろうか?

 

そう、彼らは、高度な理論的教育と、かなりの出資を受けていたのだ。

 

こうした司祭の階級からの特別扱いや精神的、物質的な支援は、普通の信心深い農民を狂信者に変えていった。

 

想像してみてほしい。

 

イスラエルの村人が、突然こう伝えられるのだ。

 

「君の内に、偉大な伝道者、そして宣教師の姿が見える。

少し勉強したら、資金を受け取って人々に教えるがよい。

 

ただし、この国ではなく、外国へ行って教えを広めるのだ」

 

そして彼らは勉強をし、資金を受け取って他の国々へと出発した。

 

それでどうなっただろうか?

 

すべての国で、ユダヤ人のキリスト教宣教者たちは拒絶された。

もちろん、人々もただ拒否していたわけではなく、

はじめは耳を傾けていた。

 

しかし徐々に、人々は、宣教師たちに自分たちの町から離れるように言うようになり、特にしつこく布教を推し進める宣教師に対しては、殴ったり、犬をけしかけてかみ殺させるといった仕打ちをするようになった。

 

このことは、大半の宣教師たちが派遣されたローマ帝国にも、数多くの裏付けが史実として残っている。

 

古代ローマは多神教であり、それがそのまま残っていた。

 

ローマ皇帝たちは、第一波の期間に訪れた宣教師たちを、友好的にあつかわなかった。

 

皇帝ネロは、あらゆる多神教の宗教的信仰を寛大に扱っていたが、

一神教であるキリスト教にだけは、敵愾心をあらわにしていた。

 

さらに、デキウスやディオクレティアヌス、ガレリウスといった皇帝たちにいたっては

自国の領域からキリスト教徒たちを追い出していた。

 

神官たちは、宣教師たちに、

キリスト教という信仰について美しく語れる方法、

そして、野心を持っている人につけこんで、その人に強力な影響を与えるための心理学的知識を身につけさせた。

 

第二波の宣教師たちの任務は、なによりも第一に、統治者たちに影響を与えることだった。

 

つまり、キリスト教を信仰させることで、統治者の権力が強化され、永遠のものにできること、さらには、国家を完璧にコントロールしながら、国を繁栄させることが可能になることを、統治者たちに確信させることだった。

 

この目的のために、

「すべての王権は神が与えたもの」」

「統治者は地上における神の代理人である」という教義が広められた。

 

その中でも懺悔(ざんげ)は、

国民ひとりひとりの思想や希望、行動をコントロールする道を開いた。

 

こうして、国家をキリスト教化すれば、統治者に最も都合のいい条件を作り出せるということを、宣教師たちは統治者たちに確信させたのだ。

 

宣教師たちの主張は、一見納得できるものだった。

 

しかし、それはあくまでも表面的なものだった。

 

この罠にかかった統治者たちは、実質的に他の勢力の支配下に落ちているのが、ほかならぬ彼ら自身なのだということなど、疑いもしていなかった。

 

国内にキリスト教の教会が存在することは、コンスタンティヌス帝にとって有益になると宣教師たちが説得できた312年から、ローマ帝国におけるキリスト教化が目に見えて強化されていった。

 

コンスタンティヌス帝は、ローマの神々をまつる神殿を保護しながらも、キリスト教を支援した。

 

その結果、ローマ帝国におけるキリスト教の状況は著しく好転し、その富はさらに増大し、後世になると、司教たちは、ローマ帝国の元老院議員に匹敵する権力を得るようになった。

 

今日もローマカトリック教会の権勢は強大だが、ローマ帝国はどうだ。

なくなってしまったではないか。

それは偶然だろうか?

 

この疑問への答えは、その後から今日にいたるまでの、様々な時代の、あらゆる国々の歴史が示している。

 

わたしたちの惑星において、キリスト教の伝来に伴って繁栄するようになった国の名前は、誰一人として、ひとつたりともあげることなどできない。

 

逆に、ローマ帝国と同じ、悲しい運命に襲われた国の名前なら、いくつも挙げることができるだろう。

 

それに、歴史的事実として、もうひとつ興味深いものがある。

 

キリスト教を受け入れたすべての国では、

間違いなく直後に、

非キリスト教信仰のユダヤ人たちが現れ、

はなはだ不可解な活動をして混乱を生んでいた。

そして、彼らはいとも簡単に富を築いていった。

 

彼らの活動は、すべてのキリスト教国において、政府だけでなく、国民も気づかずにいられないほどの規模となっていた。

 

どの国でも、彼らの活動が最高潮に達するたび、国民はユダヤ人を攻撃し、その結果、政府はユダヤ人を国外へ追放するようになっていった。

 

この状況は常に、もう何百年も繰り返されており、いつも似通ったものなのだ。

 

つまりその状況があらかじめプログラミングされていたものであることは、

どう見ても明らかなのだ。

 

また、キリスト教世界の代表者たちと、ユダヤ人自身の両方が損害を被ったということは、

被害を受けていない第三者が存在するということである。

 

この第三者にとって、キリスト教世界の人間とユダヤ教徒たちは、いともたやすく操作できる、ただのバイオロボットに過ぎないのだ。

 

では、この第三者とは誰か?

 

歴史研究家たちは、ユダヤ人がすべてにおいて悪いのだと言う。

 

しかし、もし第三者が存在するのならば、ユダヤ人であれキリスト教徒であれ、どちらも、その第三者の勢力の手中にある、ただの操り人形のようなバイオロボットに過ぎないのだ。

 

しかし、今日、その第三者の特定が可能だろうか?

 

その存在を証明するものがあるだろうか?

 

もちろんあるし、特定も可能だ。

 

何によって?

 

歴史的事実によって。論理的思考によって。

 

 

ユダヤの階級の中に、ひとつのグループがある。

 

このグループのことを、一族、階級、民族、カースト、なんと呼んでもいいが、本質は名称ではないので、簡潔にするために彼らを「レビ族」と呼ぶことにする。

 

レビ族の祖は、エジプトの神官であったという歴史的文献がある。

 

旧約聖書を読むと、レビ族は独特な地位にいたことがわかる。

 

例えば、イスラエルの法により、彼らは軍事行為に参加する必要がなかった。

 

彼らはどこへも、いかなる税金も支払う必要はなかった。

 

旧約聖書で言及されているイスラエルの人口調査の際にも、レビ族は、そこには含まれていなかった

 

軍事作戦時には、5万から15万のイスラエル兵によって、レビ族の周りを取り囲むように陣営が配置され、レビ族一人ずつに対して、守る場所があらかじめ決められていた。

 

レビ族を守るために、陣営の東西南北のどこに野営をつくり、どこに護衛を配置するかまで指示されていたのだ。

 

そして、レビ族が配置されたのは、常に陣営の中央部だった。

 

事実上、イスラエルの全部族に、レビ族を護衛する義務があったのだ。

 

では、このレビ族という階級は、いったい何をする階級だったのか?

 

 

彼らの義務は、彼らの中から聖職者を指名すること、そして、ユダヤ人に定めた掟が守られているかを監視することだった。

 

これによって、レビ族は、ユダヤ民族の実質的な支配者となっていた。

 

それも、管理人として極めて腕のたつ人々だったと言える。

 

レビ族がユダヤ人だったかどうかは分からない。

 

全ユダヤ人が守らなければならないはずの掟の中にも、レビ族には適用されないものがたくさんあったのだから。

 

例えば、ユダヤ人にとっては必須の掟だが、それに反して、レビ族は、生後8日目の割礼をしていなかった。

 

このようにして彼らは、エジプトの神官たちの秘密の学問を知って、実験にいそしんだり、監視したりして、

じっくりと思案にふけることが可能であったし、兵役の義務からも、人々がするような通常の労働からも解放され、世代から世代へと現在にいたるまで、自分たちの知識を発展させてきたのだ。

 

現代にいたるまでと書いたが、レビ族という民族または階級のことなど聞いたこともないと、疑う人もいるかもしれない。

 

最も頭がよく、ましてみんなを率いているレビ族のことを知る人は、なぜか少ないのだ。

 

それはもちろん、エジプトの神官たちと同じように、彼らも影にいなければならないからだ。

 

いざとなれば、すべての反発を彼らの意思の実行者である、ユダヤ人たちに向けておけるように。

 

こうして、世界のあらゆる国々で、何千年もにわたって、ユダヤ人たちはひどく非難されるようになった。

 

何にたいしての非難なのだろうか?

 

ユダヤ人たちが、あらゆる手段を使って、少しでも多くのお金を手にしようとしていることに対してだ。

 

では、レビ族はこれと何の関係があるのか?

 

イギリス、スペイン、ロシアにいるユダヤ人たちが活動して、国家または個人の資産のかなりの割合をなす額を銀行に振り込むことで、レビ族にどのような利益やメリットがあるというのだろう?

 

富のあるユダヤ人は、どの国にいようが関係なく、自分の収入の1部をレビ族に支払う義務がある。

 

証明するもの?

旧約聖書に、イスラエルの人々、つまりユダヤ人は、自分の収入の10分の1を、レビ族に渡さなければならないとあるのだ。

 

正確には、以下のように書かれている(長いので一部抜粋)

 

「わたし(神)は、イスラエルで捧げられるすべての10分の1を、レビの子らの嗣業として与える。

これは、彼らが臨在の幕屋の作業をする報酬である。

したがって、イスラエルの人々は、臨在の幕屋に近づいてはならない。」

 

レビ族たちが、世界中の銀行に、どれほど莫大な資産を有していることになるのかを想像してみてほしい。

 

ちなみに、レビ族たちは、自分の資産の保全と増大を心配する必要はない。

 

あらゆる国の銀行家の多くはユダヤ人であり、それは彼らの任務なのだから。

 

もちろんレビ族は、いつどこに投資するべきかをユダヤ人に対して示唆することもできる。

 

アナスタシアが以前話した、地球上のすべての人間社会を、たった数人の神官が操っているという情報に疑問を感じた人もいたかもしれない。

しかし、今となっては、論理的に思考することができる人ならば、よほど狂信的な人でない限り、彼女の話に疑いを持つことができなくなるだろう。

 

(中略)

 

神官たちに率いられ、およそ100万人のユダヤ人がエジプトを出た。

 

神官たちの側近だったのが、ユダヤ人を特定のタイプの人間に形成するという任務を担ったレビ族だった。

 

そのために、一連の儀式や独特の生活様式を提唱する、一定の思想を持った宗教が作り出されたのだ。

 

レビ族たちは、自身の任務を忠実に果たすこととなった。

 

こういて何千年か前につくりだされた思想は、今日も、ユダヤ人たちを支配している。

 

この思想の主要な教義のひとつが、

神が地球に住まわせた様々な民族の中で、選民として定めた民族はユダヤ人だけである、という主張である。

 

このようにして、この思想はユダヤ人とともに今日まで存在し続け、

衝突は終わらず、よく耳にする話となった。

 

しかし、レビ族たちは、いったいどこにいるのだろう?

 

さて、ここで想像してみてほしい。

 

地球上に、他の人々よりも高いレベルで、秘教の知識を有しており、

数千年、大衆へ作用する実践を絶えず積んできた、少数の人々の集団が存在する、と。

 

では、どこかしらの国家の研究所が、思想の形成において、彼らに太刀打ちできるものだろうか?

それは、いくつもの理由から不可能なのだ。

 

レビ族は、自身の子孫に、代々秘教の知識を伝え、それが今日も続いている。

 

一方、現代科学は秘教の知識を否定している。

したがって、レビ族が研究してきたことを、現代科学が真剣に取り扱うことはない。

 

(中略)

 

あなたや大部分の信者の意識に、イエス・キリストのイメージとして最も鮮明に浮かぶのは、

どのようなものだろうか?

 

アンケート調査によると、十字架に磔にされた、イエスキリストのイメージなのだ。

 

いったい誰が、どんな目的で、そのようなオカルトな手法を考え出したのだろう。

 

われわれが創造しているのは、復活ではなく、はりつけの方なのだ。

私たちがキリストを、十字架にかけたままにしているのだ。

 

これは最もシンプルなオカルトな手法であり、人間の集合意識のエネルギーを利用して、イメージを形成し続けているのだ。

 

宗教を作り出した当初から、神官たちは、自分達が考えたオカルトな儀式や教理を、全員にたたきこもうと懸命だった。

 

どんな宗教も、たとえ最も高潔で、善と品格を感じさせるものであっても、

神官たちがつくりだした微妙なニュアンスが入った時点で、彼らにとって最強の武器になる仕組みなのだ。

 

その仕組みを利用して、彼らはすべての民を支配下に置き、民が完全に自己崩壊するところまで互いに争うよう、けしかけてきた。

 

このようなことが過去に起き、そして現在でも起き続けているのだ。

 

シベリアの老人(アナスタシアの祖父)はこう言った。

 

人々が互いを殺しあうことも、君たちがテロリズムと名付けるのも、

神官たちが、無数の大小の宗教集団に持ち込んだ教理による結果だ。

 

人間の真の神なる生が、地上ではなく、どこかの異なる次元にあるという教理を思いついたのは、彼らだ。

 

神により創造された楽園は、地球の外にあるというイメージを思いついたのは、彼らなのだ。

 

この教理のおかげで、宗教の狂信者たちの間で、地上の生をないがしろにすることが発生しているのだ。

 

彼らはほんのちょっとした心理作用を受けただけで、いとも簡単に自身や他者を殺す覚悟ができてしまう。

 

今日起こっている戦闘とテロの発端を、注意深く考えてみてほしい。

そうすれば、おぞましい教理の作用が、はっきりと見て取れるだろう。」(引用終わり)

 

~~~☆彡~~~☆彡~~~☆彡~~~☆彡

 

さすがはアナスタシアのおじいちゃま!

とても分かりやすいです。

 

 

古代エジプトの神官だった「レビ族」たちが、

ユダヤ教とキリスト教の教えを支配して、

ユダヤ人を盾にして、ゲームを楽しみ、利益を得ていると・・。

 

キリスト教宣教師を養成し、宣教師を送り込んで、

国家をキリスト教化し、

キリスト教化したら、

 

次にユダヤ人を送り込み、

混乱を引き起こし、

ユダヤ人が大きな富を得る、

そして、レビ族も、ユダヤ人から10分の1を受け取るという流れなのですね。

 

・・レビ族って、ユダヤ人に契約を結ばせた、旧約聖書の神(もしくはその子孫、支配者層)と考えるのは、

飛躍しすぎでしょうか!?

 

レビ族は、生後8日目の割礼をしていなかったということなのですけど、

支配するために割礼をさせるのでしょうから、

支配する側は、割礼なんてしないですよね?

 

 

・・ところで、旧約聖書の神は、変なのですよ。

昔書いたのですが。

旧約聖書の「神」と新約聖書の「神」が違う気がする件について | プラシャンティジョーティー~平安と喜びの毎日へ~ (ameblo.jp)

旧約聖書の神について~契約を結び、恐怖で支配する神~ | プラシャンティジョーティー~平安と喜びの毎日へ~ (ameblo.jp)

旧約聖書を読んでいると、価値観がひっくり返る^^; | プラシャンティジョーティー~平安と喜びの毎日へ~ (ameblo.jp)

 

旧約聖書の中で、人間に契約を結ばせた存在は、神ではない気がするのです・・。

 

話は戻りますけど、今、レビ族はどこにいらっしゃるのでしょうね?

 

「イスラエルの法により、彼らは軍事行為に参加する必要がなかった。

彼らはどこへも、いかなる税金も支払う必要はなかった。

旧約聖書で言及されているイスラエルの人口調査の際にも、レビ族は、そこには含まれていなかった。」

 

「兵役の義務からも、人々がするような通常の労働からも解放され、

世代から世代へと現在にいたるまで、自分たちの知識を発展させてきたのだ。」

 

ってことですけど、

海外の貴族たちのことでしょうか。

 

税金を払わずにすんで、国籍もない、兵役の義務からも労働からも解放されている存在って・・

日本では、皇族とか八咫烏くらいしか思いあたらないのですけど・・

 

まさか、ねえ^^!?

 

わたしのつたない知識では、

昔々の日本に、レビ族(やユダヤ人達)がやってきて、

で、彼らが出雲族と天孫族として呼ばれるようになったと理解しているのですが・・

 

どうなのでしょう!?

 

その時に、すでに日本国には、古神道を行う存在達が住んでいたのではないかと思うのですけど、

彼らとレビ族がうまいこと融合して、

日本を守ってくれて・・いる・・いればいいですね^^!

 

(日本はまだ、多神教なので)

 

悪の世が廻りて来た時には、
悪の御用するみたまを作っておかねば、
善では動き取れんのだぞ、


悪も元をただせば善であるぞ、
その働きの御用が悪(悪の役割)であるぞ、


御苦労の御役であるから、悪憎むでないぞ、
憎むと善でなくなるぞ、
天地濁(にご)りて来るぞ、
世界一つに成った時は憎むこと まずさらりと捨てねばならんのぞ、

 

この方 悪が可愛いのじゃ、
御苦労じゃったぞ、もう悪の世は済みたぞ、
悪の御用結構であったぞ。
早う善に返って心安く善の御用聞きてくれよ。(日月神示)

 

ありがとうございました♡