人は、自分がもっていないものをもっている人に嫉妬したり、羨んだりする。
んじゃあ、︎︎ ︎︎ ︎︎自分が、
︎ ︎"全知全能"で"全て可能"で
"完璧"だとしたら、
嫉妬するだろうか?
羨んだりするだろうか?
会社で、No.1の営業成績をキープし続けている同期に、
その人よりもはるかに高い数字を、
いとも簡単にたたき出せる能力のあるおまいさんが、
嫉妬するだろうか?
オリンピックで歴代No.1の世界記録を持つ100m走の選手より、
5秒も差をつけてはやく走ることが楽に出来るおまいさんが、
他の選手に嫉妬するだろうか?
この世の全ての異性が全員、
他がみえないくらい盲目的におまいさんに夢中になっているのに、
他の同性に嫉妬するだろうか?
おまいさんの好きなときに、
自分が欲しいだけのお金や物を、
目の前に自由自在に出せるとしたら、
お金持ちに嫉妬するだろうか?
現実的にいうと、今大人のおまいさんらが、
幼稚園で園児達相手に相撲大会をして、
必死になって優勝を勝ち取ろうと思うだろうか?
おそらくわざと負けようとさえするのでは?
全知全能で全て可能な完璧な自分とは、
幼児相手に相撲を取る大人のようなものだ。
この世の誰にも、何にも、
嫉妬したり羨んだりすることなく、
むしろ圧倒的能力の差に、
退屈さえ感じるかもしれない。
だから他の人を応援したくなる。
その人の能力向上に協力したくなる。
心から相手の成功や幸福を願い、
共に分かち合いたくなるだろう。
自分が自分のためだけに何かを望むことはなくなり、
人が楽しそうに笑ったり、
喜んでいる姿をみると嬉しくなり、
誰かの幸せが自分の喜びとなり、
生きがいとなるだろう。
愚痴や悪口を言う意味もない。
貶めたり裏切ったりすることもない。
自慢したりマウントをとる必要もない。
むしろあえて自分を下げて見せるかもしれない。
心にゆとりができて、
いつも満ち足りていて、
人を許せるようになるだろう。
そして、そうやって、高く高く、
さらなる高みへと登っていくと、
だんだんと、何かが見えてきた。
大きすぎて今まで見えなかったものが、
前よりももっとずっと高い所から見ることができるようになったことで、
ついにはっきりと姿形を現したんだ。
そっかー、そーゆーことだったのかー。
自分の細胞が別の自分の細胞を、
自分の眉毛1本が、自分の別の眉毛1本を、
自分の右手が自分の左手を、
羨んだり嫉妬していただけだったんだ。
ようやく、気づいた。
そっかー、おまいさんは俺or私だったんだな。
俺or私は自分を羨んで嫉妬していただけだったんだな。
俺or私が全知全能で全て可能で完璧だから、
何もかも叶うし、退屈だったから、
不足を体験をしようっておもっておまいさんを作ったの、すっかり忘れてた。
ずっと協力して一緒に遊んでくれてたんだよな。
やっと思い出した、本当にありがとう。
全ては自分であり、
自分が全てであると思い出した今、
左手も右手も全ての眉毛も細胞も、
等しく愛おしく、大事なものであり、
祝福すべき自分なのだと思えるようになった。
ってか何の話だったっけ。
そうそう、ジェラスィー!
そしてこれは、決して例え話ではない。
もしこうだったら・・・という話ではない。
これが、本当なんだ。
必要なのは、自分が本当に、
"全知全能"で"全て可能"な、
"完璧"な存在なのだと知ること。
その本来の自然な自分を、
ただただ思い出していくこと。
誰かを羨んだり、嫉妬したりしたら、
全知全能で全て可能な完璧な自分なら、
どう感じる?どう対応する?
って、
"本当の自分目線"で、
物事を視るようにしてみるといい。
それを、繰り返し繰り返し、
練習していくといい。
その視点が、あたりまえになるまで。
尚も、そうする。
決してフィッシュ共が、
毎日ナッツ食べて水遊びして、
喋って寝るだけの生活でいいなって、
思ったりしない。
羨んだりしない。
だって尚は全知全能で全て可能で完璧だし!