降ってきやがった、最悪だ


天気予報は見てきたけどこんな場所じゃあ当てにもならない


とにかくどこか雨を凌げる場所を探さないと


心が折れそうだ……











地平線の写真が撮りたくてバスを乗り継いだ後2時間歩いてこの場所に着いた


何も無い、どこまでも続くだだっ広い野原

誰の土地かもわからない手入れもされていない

歴史から隔絶された場所


足元まで伸びた雑草と遥か彼方まで見渡せる地平線はまさに俺が撮りたかった風景だ


本当は車で来たかったが、とにかく旅費は安く済ませたい

駆け出し写真家の辛いところだ




だだっ広い野原で一人

時間を忘れて無心でシャッターを切り続けた

どこまでも続く平原と交差する太陽に目を奪われていたら分厚い雨雲が広がっていることに気が付かなかった



太陽が雲に覆われてから雨が降り出すまでは一瞬だった

殴りつけるような大粒の雨

とにかくカメラを守らないと

カメラを鞄に入れて懐に抱え走り出す


来た道を戻る?

2時間歩いた道を?

雨宿りできる場所は?


そんなことをグルグル考えながらとにかく走っていたら、前方に大きな立方体が見えてきた


なんだあれ?

モンスターボックス?

来る時あったかあんなの?


近くまで来てようやく気づいた

大きな立方体の正体に

電話ボックスだ




今では街で見かけることも少なくなった電話ボックス

なぜこんな野原にポツンと置いてあるのか

こんな大きな物、来る時には無かったはずなのに

不思議に思ったけど雨を凌げればなんでもいい

慌てて中に入り一息ついた



電話ボックスの扉を閉めたら外の音が聞こえなくなり、外部と遮断されたシェルターに入った気持ちになった

さっきまでの大雨がまるで他人事のようで

ガラス越しに降り続ける雨を見て美しいとさえ思ってしまった



次からは雨具の準備もちゃんとしよう、と反省してカメラが無事だったことに安堵する

しかし上着のポケットに入れていたスマートフォンは水没してしまったようだ


でも大丈夫、一時的な水没なら電源を切ってしばらく乾かしておけば復旧できる

慌てる心配はない

雨が止むまでここで少し休ませてもらおう








どれくらい時間が経ったのか

スマートフォンの電源を切ってから時間の確認もできない

本も読めなければ音楽も聞けない

現代人はスマートフォンがなければ何もできないことを実感させられた


あまりにも暇すぎて今日の災難を誰かに話したくなったけど、友達の電話番号も覚えていない

いよいよ本格的にやることがなくなってしまった

雨はまだ止む様子もない



あらゆる連絡をLINEやメールで済ませてしまっている今、記憶している電話番号は実家の番号だけだ


もう5年近く帰っていない

連絡すら取っていない実家の両親


久しぶりの連絡が「今日」でいいのか

電話したらまた小言を聞かされるんじゃないのか

そんな心配が頭をよぎったが、気づいたら受話器を取って慣れた手つきで番号を打ち込んでいた





両親と疎遠になった理由も今思うとありふれたものだった

大学に進学させたのだから普通に卒業して就職してほしい親の願いと

大学をつまらないと吐き捨て、普通というのが何より嫌いで写真家になりたかった俺のわがままがぶつかった結果だった



母親は夢を応援してくれたが、厳格だった父親に半ば勘当される形で家を飛び出したので

母親に元気でやってることだけは伝えておこうと思っていた




久しぶりに持った公衆電話の受話器の大きさにビックリした

今日は平日だ

父親は家にいないはず

母親出てくれ……頼む……!





「もしもし」





最悪だ

なんで家にいるんだよ

父親の低く温度の感じられない声は無意味に相手を威圧してくる



「もしもし、俺だけど」


何言ってるんだ

オレオレ詐欺じゃないんだから

だけど、いざ実家に電話してみると咄嗟に出てくるのはこの言葉だった




「……裕介か」


名前言っちゃダメだろ

詐欺だったら騙されてるぞ

しっかりしてくれよ




「あー、ちょっと時間あったから電話しただけ」


急に気恥ずかしくなって会話を終わらせようとしてしまった



「……元気そうだな」


「まぁ元気だけど、なんで?」


「声でわかる」





驚いた


親父が俺の体調なんかを心配することも

親父が俺の声をそこまでちゃんと聞いていたことも


これならオレオレ詐欺に騙される心配もない





「仕事はどうた?」


「楽しいよ、しんどいことも多いけど」


「そうか……それならいい」



この一言で

なんとなく、許してもらえた気がした

「がんばってるならそれでいい」 と



たぶんお互い意地を張ることに疲れたんだと思う


それは親父が歳を取ったからなのか

俺が大人になったからなのか



25歳になって、初めて親父と分かり合えた気がした




それから少しだけ話をして、年末には帰る約束をして電話を切った

ガラス越しに外を見ると、いつの間にか雨は上がって雲の切れ間からは陽が差している



電話ボックスから出ると暖かい風が野原を吹き抜けた

なんとも言えない晴れやかな気持ちだ



また一人で歩き始める

靴はズブ濡れ地面はぬかるんで歩きづらいけど

もう心が折れることはない


年末に元気な顔を見せるために

へこたれてなんかいられないから