いつぶりの更新か気になって見たら、M-1予選の前に書いて以来でした
御察しの通りM-1落ちました
計り知れないショックと挫折ともやもやした暗黒面に取り込まれていたのでブログ書く気も起きませんでした

人生うまくいかないなー
とか
才能ないっぽいから辞めた方がいいのかなー
とかいろいろ考えました 

M-1落ちてから約1ヶ月
もう乗り越えました
逆にコンビとして成長できました
俺らに挫折を与えちゃったら成長しちゃうぜ~

ほんとです

最近やっとふらたにてぃのネタの方向性が決まってきました
コンビを組んで1年半 いろいろ試してきました
そろそろ発進する時です



この1ヶ月でいろんな映画を見ました
漫画もたくさん買ったし小説も読みました
そこらへんは気が向いたらまた書きます

とりあえず今年の3月に買ってよーやく読み終わった小説
フィリップ・K・ディックの
【アンドロイドは電気羊の夢を見るか?】
について書きます


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SF小説の名作と呼ばれている作品で
SF好きの香月としてはとりあえず読んでおきたい作品でした

映画【ブレードランナー】を見たことある方は知ってると思いますが、あれの原作の小説です
ストーリーなどが少し違うみたいなのですが僕はブレードランナー見たことないのでなんとも言えません



そう遠くない未来
第三次世界大戦の影響で地球は死の灰に包まれます

多くの人類は火星に移住しましたが、様々な理由で移住できなかった者は地球でゆっくり死の灰に飲み込まれるのを待ちながら暮らしていました

そんな地球で細々とバウンティハンターをしている主人公リック・デッカード
彼に 火星から逃げてきたアンドロイド8人を処理する任務が与えられます
その賞金で機械仕掛けの偽物ではなく本物の動物を飼うために奔走する話です

「ムードオルガン」
や「エンパシーボックス」
などのありそうでない近未来の道具が、オリジナルの世界を創り上げていて面白かったです

やっぱりSFの面白さはどれだけ独自の世界感を創り出せるかにかかっているなと思いました

物語全体に漂う退廃的な雰囲気を、これまたオリジナルの言葉で
「キップルに侵された」
と表現するのが粋でした

キップルとは からっぽのマッチ箱 とか 昨日の新聞のように役に立たないものの例えだそうです

この物語に出てくる人物は、おたずね者のアンドロイドを含め全員がいずれ来る死をゆっくりと待っているような感じがしました

そして主人公のリックは自分の命よりも
本物の動物を飼う
ということの方が重要なように思えました
偽物の電気羊を捨て、本物の山羊を飼うために…


この時代では動物は戦争により激減してとても高価なものとなっていました

本物そっくりの電気動物も売られているのですが、本物の動物を飼うことが一つのステータスとなっています

しかし、なぜリックはこれほどまでに山羊にこだわったのか
その理由は読んでいくとなんとなく理解できました


いくら人間そっくりに作られていても、アンドロイドは感情移入(エンパシー)能力に欠けます
作中でも


人間型ロボットはクモなんかと同じ独居性の捕食者 たいていの人間より優れた知能を備えるが、動物になんの愛情も持たず、ほかの生き物の成功には歓びを、敗北には悲しみを共感する能力を欠いているもの〈殺し屋〉の具現だ


と書かれています
こういったアンドロイドが普及している時代だからこそ人間は動物を飼いたがるのでしょう

アンドロイドとは違い人間は、他の生き物へ愛情を注ぐことができるから

それが人間の人間たる所以だからでしょう


もう独自の世界感どころか物語中に独自の思想、宗教まで作り上げてしまってるんですよ
ここがこの小説の名作と呼ばれるわけなのかなーと思いました。

この世界の登場人物はみんな、マーサー教という宗教を信じています
ウィルバー・マーサーというジジイを信仰しているのですが、こいつが何者かは大事なネタバレなので控えておきます

みんな毎日エンパシーボックスを使い、ウィルバー・マーサーと融合します
マーサーと共に坂道を登り、石を投げつけられる
世界中の人と感覚を共有し合い心を落ち着かせる

何を言ってるのかわからねーと思いますが 僕も読んでて意味わかりませんでした
最初は
(メッカに向かってお祈りするみたいな感じかな?)
と思っていましたが なんかしっくりこなかったんです

読み進めていくうちにわかってきたのですが、
物語の途中でリックは本物の山羊を手に入れます
家に持って帰って妻に見せて、2人で大喜びします
妻が
「この感謝をマーサーとわかち合わないのは不道徳だわ」
と言ってエンパシーボックスを使おうとします
世界中の人に、エンパシーボックスを使ってこの喜びを分けてあげようとするのです
しかしリックはこれを止めます

「向こうは俺たちの喜びを手に入れるかもしれない
だが、俺たちは失う
俺たちの気分と、彼らの気分を交換するわけだ
この喜びはなくなっちまう」

エンパシーボックスとはマーサーや世界中の人と融合して、喜びや哀しみを分けあうものだったみたいです

このデッカード夫妻の場合は、どちらの選択が正しかったのでしょうか

マーサー教にどっぷり浸かって感覚を共有することが正義と信じる妻と
自分たちの喜びを独り占めにしようとする夫


僕は夫の行動の方が人間的で良いと思います
喜びや哀しみは本来、個人の物です
分かち合おうとすること自体が不自然な気がします

それに、
常に喜びや哀しみを世界中の人と共有した結果、思考までも世界中の人と同じになってしまうんじゃないかと思います

なんだか現代のtwitterとかに似てるなと思いました

twitterやInstagramも 喜びや哀しみを共有することができます

自分が悲しいツイートをすれば誰かがリツイートしたりリプライで共感してくれます
それで哀しみは癒せるのかもしれませんが根本的な解決にはなっていないと思います

哀しいことは誰にでも起きます
僕はどんな哀しいことも結局は自業自得だと思っています
だから哀しいことがあったらその原因を突き止めて解決する努力をしなければまた同じことを繰り返すんです

そしてアホみたいにネットで喜びを共有しあってばかりじゃー頭ん中お花畑で現実に殺されるぞ!気をつけろ!


話が逸れましたが、僕はエンパシーボックス然りtwitter然り
あまり感情や思考を不特定多数と共有するのは、思考停止に繋がるので良くないんじゃないかと思います

本などを買うとき、ネットのレビューばかり気にして自分の目で見て体験しようとしない

ネットで話題のアニメしか見ない
自分の意見を持たない
もはやアンドロイドと何も変わらない

ほんとに危険ですよ
逆に言えば人海戦術でネットの意見を操作できれば何の中身も無い干からびたクソみたいなな作品でも
「今、ネットで話題沸騰!」
なんて謳い文句と共に売り出すことができる世の中なんですよ

とにかく俺はそんなものに騙されない!
自分の目で見て耳で聞いて判断できる人間になるぞ!


ちなみにこの小説を買おうと思ったのはamazonのレビューで星4つだったからです