先日今の勤務先でお世話になっている通訳の先生に

久しぶりにお会いすることができました。

 

先生には今までも仕事の悩みを相談したり、

この言い回しはどう訳すべきか

教えて頂いたりしたのですが、

もう70歳を過ぎた方なので、

いつまで通訳のお仕事を続け、

いつまでお会いできるかがわからないと思い、

プライベートなことをいろいろ質問させて頂きました。

 

そう、先生は日中ハーフの先輩の先輩!なのです。

 

 

先生のご両親は父:上海人、母:日本人で、

先生自身は上海生まれ、上海育ち。

日本語専攻ではなく化学専攻で

系統的な日本語教育を受けていないにも関わらず、

日中共にネイティブで、

発音も使う表現も日本人と全く同じ。

通訳も万全にこなす凄い方です。

 

以前私のバイリンガル教育の持論を書きましたが、

先生はそれとは違う育てられ方をしたようです。

 

まず、家での中国語は一切禁止。

家では100%日本語、

外では100%中国語を徹底させられたそうです。

先生はすべてを現地校で過ごし、

時代柄、就職先は上に決められた国有企業。

 

当時中国は改革開放の時代で、

石油コンビナートとか製鉄所など、

日本の力を借りながら発展しようとしていた頃。

 

日中ハーフである先生は

「お前日本語しゃべれるだろう?」

の一言で、化学専攻なのに通訳として

数々のプロジェクトを渡り歩いたのだそうです。

 

いろんな日中ハーフの方にお会いしていますが、

私の知る限り、日中共に超ネイティブな方って

意外に少ない。

 

先生ご自身は時代に流されただけ、

とおっしゃられたのですが、

ことわざや故事成語もどちらもバッチリだし、

できることなら先生のお母様にお会いして

バイリンガル教育についていろいろお伺いしたいくらい

本当に凄い方です。

 

答えがあるようでないバイリンガル教育。

ウチの子は将来どうなることやら。