日本に帰国した先月、瓦礫撤去と農業支援のボランティアに参加した。
荒浜近くの農地一帯の瓦礫撤去作業は今も続いている。
朝8時半にボランティア基地集合。長靴に履き替え、軍手の上からゴム手袋をはめる。
マスクして帽子をかぶり自転車で現地まで行く。
学生ボランティア、名古屋から来たという若者、東京から来た68歳のおばさん2人、現地の人達。いろんな人達がいた。他県からもたくさんの人達が来ていた。
私たちは自転車で一列になって東部道路方面へ向かう。
津波は東部道路で止まったそうだが、実際に見て驚いた。
東部道路を超えた所は広大な空き地が広がっていた。想像以上だ。
そして、人がいない。
家はほとんどが流されてなくなっているけど、何件か建っている。
農地に行き、一人づつスコップを渡されて一人横幅1メートルを分担してスコップで畑を掘り返す。屋根の瓦、ガラス、枝、切り株、石・・・ありとあらゆるゴミが大量に出てくる。大きな瓦礫が重機で撤去された後、このような小さなゴミを全て撤去しないと畑は復活できないそうだ。
美味しい小松菜の畑が、瓦礫でいっぱいだった。
「見て・・・お茶碗がでてきたよ・・・」
「そうですね。家が流されてるわけですからね」
「見て・・・スプーンがぐんにゃり曲がってる・・・」
「どれだけの力がかかったか想像できますね」
「見て・・・こんなものまで・・・」
「及川さん、さっきからぜんぜん進んでないですよ、どんどんお願いします」
「はーい・・・」
だって、あまりにもいろんなものが出てくるから驚いてしまって。
しかしそんなことを言っていてはいけない、一日も早く小松菜畑を復興させなくちゃいけないもんな!
昨晩は雪だったので畑の土も凍っている。もう腕も痛いし、腰も痛い。
長靴の中の足は凍るように冷たくて感覚がなくなってくる。
のろのろしてる私に東北大学の学生が耳元でささやく。
「及川さん、がんばってください。私、農地掘ってて50万円見つけたことありますよ」
「なんと・・!」
そこからなんか気合が入ってなんとかみんなに追いついてお昼の休憩。
みんなでテントを張って休憩する。
ラジオは常につけておく決まりだ。地震が来たら東部道路まで避難することになっている。休憩中も少し揺れた。ラジオからは津波の心配はありませんと流れた。
作業している農地のおじさんがあったかいお茶を入れてくれた。
どうもありがとうと何度も言われ、正義の味方スーパーヒーロー気分になった。
1時間休憩して、午後もひたすら瓦礫を集める。農地は広大だ。気が遠くなる。
あっという間に3時、すこし休憩して4時半まで作業。
午後には犬らしきものが出てきた。掘り起こすのが怖くなり、そっと埋めた。
もしも人骨の場合は警察を呼ぶそうだ。
基地に戻る前に、みんなで荒浜にある慰霊塔まで行こうということになった。
つづく
今日で震災から一年。これからも復興のための作業はずーーーっと続きます。
日本国家は何もしてくれないけど、国民ひとりひとりは素晴らしい人達ばかりです。他県からボランティアに来る人達の多さに驚きました。
荒浜周辺の田んぼが稲を植えられるようになるにはあと2年かかるそうです。あの土地を去らずに必死で復興させようとがんばっている農家のおっさん達に心を打たれました。
黙祷