マイケル ジャクソンじゃないですが、子供が大好きです。 


旅で、ホントに無垢でかわいい子供たちとたくさん会ってきました。

今回は、「子供特集」で、アジアのかわいい子供たちを紹介します☆

マイケル ジャクソンも必見です。 笑


ご存知だと思いますが、写真はクリックすると、拡大できます。

① 桂林で会った子。 2歳。 おばあちゃんと散歩をしている途中だった。

  「ニーハオ」と声をかけたら、恥ずかしそうに ニコッ と笑ってくれた。




②中国のバスで前の席に座っていた子。

 マルコメ君もびっくりのツルツル君。

 カメラにビビッてた。

 にして、かなりきれいなスキンヘッドでした。




③ カンボジアで親切にいろいろ話してくれた女の子。

  雨が降り出したと思いきや、葉っぱを傘にして、

  外ではしゃぎ始めた。 

  こんなにかわいいと、 トトロもジェラシー。



④カンボジアのアンコールワット内で知り合った男の子。

 典型的なクメール人の顔をしている。

 笑顔が素敵。 歯が真っ白。 キシリトール!?



⑤ラオスのパクベンという小さな町で水遊びをしている子供たち。

 素っ裸でとにかくはしゃいでいる。 なんか、昔の日本のようだった。

 そして自分も素っ裸になって参加・・・・・  はしてません。



⑥ラオスの小さな町で一緒に遊んだ姉妹。

 貧しいが、笑顔は豊か。

 無邪気な笑い声が、今でも忘れられない。



⑦ タイ北部の少数民族の村にて。

  夕方、町をぶらぶらしていたら、声をかけてくれた。

  4人で鬼ごっこをエンジョイした。

  こっちが寄り目をすると、大爆笑してくれる。

  調子に乗ってやりすぎたら、若干目が痛くなった 笑

  前の子は、カメラを相当不思議そうに見ていた。

  


⑧ エイズ孤児院(正確にはHIV感染者孤児院)で仲良くしてくれたゴイちゃん。

  かなりの美人です。すぐボディータッチしてきます。魔性の女です。

  前向きな性格に、こっちがエネルギーをもらった。



⑨ ラサ郊外で朝食を食べているとき。

  かわいい兄弟(姉妹?)が入ってきた。

  ホッペが赤く、おいしそうに肉まんを食べていた。

  チベット人は、日本人に似てますねぇ



⑩ 西チベットのド田舎にて。

  チョコを食べいたら、嬉しそうに寄って来たのが、

  この鼻水小僧。 チョコをあげると、満面の笑み。

  標高4500m以上で、はしゃいで走り回っていた。

  恐ろしい・・・  

  





後半の旅もたくさん子供と遊んできまーす☆

昨日、内定式に出席してきました。

会社と書類の交換をし、「正式」に内定を頂いたということになりました。


内定式とその後の飲み会で、同期のみんなや社員の方々と話をして、

(社長とも話せました・・・汗)

改めて、面白い仕事ができそうだなと思った。


同じ内定者には、すごい個性派が多い。

そして、飲み会ではみんな馬鹿みたいに騒いでいるけど、

実はすごかったりする。


ゼミで特許を申請していたり、

研究内容を海外の学会で発表していたり、

海外の大学から来た奴がいたり、

なんかの日本一がいたり、

部活で日本一を目指していたり、

バイクでユーラシア大陸とアフリカを横断・縦断していたり、

・・・


なかなか全部は紹介できないけど、とにかくみんな、すごい!


自分はといえば、実質は、最近流行のニートです。

一応大学には籍を置いているものの、実際はNEETなんです・・・

(実質は、教育を受けてないから・・・)


後半の旅も、有意義なものにしなくては、普通のNEETで終わってしまう・・・><


ところで、来年からはサラリーマンです

(相当、仕事はきつそう・・・)


旅先では、様々な人に会う。


よく会うのが、


自由人。


半年は国内でバイトして、半年は世界を旅している人たち。

数年間も旅を続けている人たち。


サラリーマンと、まったくの逆の立場にあるとも言えるだろう。

ムーミンに登場するスナフキン状態。


考えてみたが、自分はそれは無理だ。


帰れる場所があるからこそ、旅したいと思うし、

旅をして、日本いるだけでは気づかない様々なことの

ありがたみというのも感じたし。


「刺激」や「変化」を求めて旅を始めた。

確かに、様々な国の人たちと話せるし、

世界を見ることは、時たま麻痺してしまうほど刺激がある。


旅先で、数え切れないほどの人たちと会ってきた。

時には、親友のように仲良くなり、

時には、大激論になるほど歴史や文化について討論をする。

だが、所詮は一期一会。

次の日には違う方向へとお互いが旅立つ。

そして、また新たな場所で同じ会話が始まる。


「どこの国から来たの?」

「旅のルートは?」

「これからどこへ?」

「名前は?」


それが旅の醍醐味でもある。


しかし、それが3ヶ月以上も続くと、次第に、


「変化しないもの」

「確かなもの」

に恋しさを感じはじめる。


「変化しないもの」、「確かなもの」

それらが自分にとっては、日本にあるんだと確信した前半の旅でもあった。


だからこそ、日本をますます好きになったし、

日本の国益のために働きたいと思うし、

何より、

旅から必ず無事に帰ってこようと思う。




みなさんにとって、


「変化しないもの」

「確かなもの」


は、なんですか?








一人旅していると、他の旅人や現地の人と話す機会に恵まれる。

一人だと、話かけやすいし、話しかけられやすいんです。


前半の旅で、実に33カ国の人たちと話した。

列挙してみる。


中国

ニュージーランド

スウェーデン

フランス

イスラエル

韓国

イギリス

スコットランド

オーストラリア

ウェールズ

カナダ

イタリア

ノルウェー

ドイツ

スペイン

オランダ

アメリカ

ベトナム

アイルランド

タイ

コロンビア

ラオス

スイス

インド

カンボジア

フィリピン

ブラジル

アルゼンチン

シンガポール

オーストリア

(以下は中国人と区別して)

チベット

香港

台湾


世界が広がりまくった。

そして、ヨーロッパで、ただで泊まれる場所が増えた。笑


面白かったのが、それぞれの国のステレオタイプやイメージに

ドンピシャの人と会ったとき。


陽気なスペイン人。

自己主張の強いアメリカ人。

すぐ踊りだすブラジル人。

背の高いオランダ人。

紳士的なイギリス人。

山が大好きなスイス人。

カレーが好物のインド人。

お洒落なフランス人。

賢いシンガポール人

倹約家のドイツ人

ゴッドファーザー訛りのイタリア人

・・・・


書き出すときりが無い。

その国のイメージにそっくりの人に会うと、

「見つけた!!」 という感じで面白くてしょうがない。



でも、、、この数倍面白いことがあるんでっせ。


それは、その国のステレオタイプとまったく逆の人たちを見つけた時。


根暗なスペイン人。

自己主張が下手なアメリカ人。

ダサい、臭いフランス人。

無礼なイギリス人。

高山病にかかるスイス人。

オツムが弱いシンガポール人。
浪費しまくるドイツ人。


特に根暗なスペイン人には、少しショックだった。笑

飲みに誘っても来ないし、一日の大半を窓の外を眺めて過ごしている。

ラテンの血はどこいったんだい!!


唯一ステレオタイプやイメージと全く逆の人を

見つけられなかった国籍が、オランダ。


オランダ人とは、5人と知り合ったが、

全員身長185cm以上はあった。

かなり強いバスケのチームが組めたなぁ。

背の低いオランダ人はいないのでしょうか?


話していると首が痛いんだよ!

そして、なんといっても、外国人と話していて、一番面白いのが、


下ネタ。  


じゃなくて、


「日本」 の話になったとき。


「日本といえば?」


と聞くと、このような答えが返ってきます。



☆嬉しい答え☆


・富士山

・日本食・・・寿司、てんぷら、焼き鳥 (日本食をこよなく愛する外国人は多いです)

・侍、日本刀、忍者 (いかにもって感じですね・・・)

・自動車やエレクトロニクスに代表される卓越した技術力

・勤勉な国民性

・浮世絵 (北斎、広重ファンは多いです)

・黒澤監督の映画(「七人の侍」は、絶大の人気を誇っています)

・アニメ 

・北野武(フランス人は好きな人が多かった)


☆悲しい答え☆

・仕事、仕事、仕事・・・(家庭との両立が無理)

・流行に左右されすぎる国民 

(どうやら渋谷のコギャルのイメージが、外国人には相当強いみたいです)

・日本の氾濫したポルノ

・男尊女卑な社会

・物価が高い


そして、悲しい答えトップの座を飾った答えがあります。

これは、ヨーロッパ人とオーストラリア人に最も多い答えで、

確実に議論になっていました。


日本ではなかなか気づかないですが、


これに関しては、日本は世界中から強い批判を受けています。


さて、なんでしょう?


正解者には、スーパー仁くん人形を差し上げます。







答えは、捕鯨。


日本人が、絶滅の危機にある鯨までもを、「調査」という名目で

捕獲して、食料にしていると誤解している外国人が多かったです。


オーストラリアから来たドイツ人にこう聞かれたこともある。


日本のある大手ファストフード会社が、「Whale Burger」(鯨バーガー)の

発売を始めるってホントか?


そうそう、鯨バーガーは、なかなかの味で、ビッグマックよりおいしいよ。

価格もお手ごろで、日本に来たときはぜひ試してくれ・・・


って、そんなもんあるわけないやろ、ボケ!!!

何がWhale Burgerだっつーの  笑


それはどこで読んだの? と聞いたら、

オーストラリアの新聞に書いてあったのだという。


捕鯨に関しては、日本は誤解されていますね、相当。


後半の旅でまたいろんな人と意見交換をするのが楽しみです。



 

そうだ、京都へ行こう。


と思ったその次の日には、夜行バスに乗ってました。


旅先で世界最高級の寺院を見てきて、急に日本の寺や神社が恋しくなったのです。


おちょこ一杯の愛国心に酔って書かせてもらうと、

世界の同年代の彫刻や建築と比較しても、

日本のものは、世界トップクラスのものです。


清水寺の桧皮葺きの屋根や軒下の蔀戸、



三十三間堂をはじめとする日本の寺の耐震構造、


二条城内にある両面の透かし彫り、


平等院の鳳凰堂内における雲中供養菩薩像


(ネットからの引用 鳳凰堂内は撮影禁止)


金閣寺の3つの建築様式(1階は寝殿造、2層は武家造、3層は禅宗仏殿造)の見事な融合、



東寺の「立体」曼荼羅・・・

(ネットからの引用 講堂内は撮影禁止)



書き出したらきりが無いが、これらはアジア各地で

嫌というほどUNESCO級の寺院を見てきた自分でさえも、


「す、すげぇ」


と思わず声を出してしまうほど感動した。


京都は2回目だったが、今回は前半の旅で見てきた様々な

ものと比較できたので面白かった。


たとえば、、、

三十三間堂にある数多くの木像。

これらはヒンドゥー教の影響を強く受けているため、

ヒンドゥー教と同じキャラが見られる。

しかしそれは共通点を残しつつ、大きく違う。

その比較がまじ面白い。


アンコールワットでみるガルーダ




三十三間堂でみる迦楼羅(ガルーダの仏教名)

(ネットからの引用 三十三間堂は撮影禁止)

BEFORE AFTERのように見ると面白い 笑

ずいぶんかっこよくなったねー、あんた


*ガルーダ・・・ヒンドゥー教に登場する三大神ヴィシュヌの乗り物で、

         強さと勇気の象徴。鳥の頭に、人間の体を持つ。



すこしマニアックになってきたのでテーマを変えて。


日本の宗教。


外国人旅行客の大半が使う「Lonely Planet」というガイドブック

(日本でいう「地球のある歩き方」)には、日本の「宗教」をこう紹介している。


自分が信仰する宗教が一つしかない欧米人にとっては、日本人の宗教観には最初

戸惑うだろう。なぜなら、日本人の大半は最低2つ、多い場合には4つの宗教の

儀式を行うからだ。神道、仏教、儒教、そしてキリスト教までもが現代の日本社会において、

重要な役割を担っている。もしここにキリスト教が含まれているのが不思議と感じるのなら、

日本人の結婚式に顔を出すといいだろう・・・・(略)


たしかにそうだ、なかなか正確に説明しているな。


神道と仏教は、明治時代を除いて、いつも共存してきた。

神社のすぐ隣にお寺があるのも珍しくはない。


もともと神道が日本のオリジナル宗教だったが、奈良時代の高官が仏教を輸入し、


「これからみなさん、この仏様を拝みましょう」


と言い出す。


ここで、ひとつ矛盾が生じた。


「いきなり仏様ってのがやってきたけど、今までの神道の神々はなんだったの??」


そこで当時の支配層が考えたのが、いわゆる神仏習合というもの。


簡単に言えば、


「仏が、日本の人々を救うために神の姿に変身して、この国に現れていた」


要するに、


「古来から日本の地にあった神々は、実は「仏様」の仮の姿だった」

と説明し、半ば強引に、神道と仏教を融合させたのだ。 


神道と仏教の融合。

これをこの旅行で、意外なところで発見した。

旅から帰ってきて、ものすごい新鮮な視点で日本人を「観察」している

今日このごろですが、あるすごい面白いことに気づきました。

清水寺と八坂神社を見て回っているときに気づいた。


仏教の寺で、二拍して手を合わせる人たち。

神社で、二拍せずに合掌する人たち。


逆でっせ!


この二つはあまりにもうまく融合しているため、

あるいは、宗教が日本人にとってあまりにも生活に

密着していないためか、ほとんどの人が

拝み方さえ間違っているのです。


それに、寺で拝観した後に、神社でも拝観する。

それも間違った方法で。


これは極端に、そしてコミカルに書けば、、、、


イスラム教のモスクで、手で額と肩を触りながら十字架をきったあとに、

教会へ行き、地面に跪き上半身を床に投げだしながらイスラムのお祈りを

していることと同じです。


それが普通に行われる日本は、とても興味深い国です。


それにしても、改めて思うのが、「信仰心」の定義が、

日本と外国では驚くほどレベルが違う。


チベット仏教を信仰する人たちは、五体投地というものをする。

これは、チベット仏教の僧侶達が、巡礼のため聖地に赴く時、文字通り、五体を地面に投げ出し、尺取り虫のように、大地にひれ伏しては、また立上がりながら、進んでいくことをいう。

それを繰り返しながら、数百キロ先のお寺まで巡礼しに行く。

一日7キロしか進まないという。



(↑ ラサのジョカン寺)


これこそが、「信仰心」だなと納得させられる。


ちなみに、日本の僧侶は、結婚OK、子供を持つのもOK。 笑



再びテーマは変わるが、、、

日本の夜行バスは、この上なく快適です。

天国です。


1.時間通りに到着する。 (数時間遅れるのは当たり前 @どこでも)

2.車内が静か (変なテクノ音楽や、タイ音楽がかかってない @タイ)

3.バスがきれい (床にごみが落ちていない @中国)

4.運転が丁寧 (運転手がクラクションを連発しない、居眠りしない @ベトナム、中国)

5.乗客のマナーがいい (窓からごみを捨てない、床に唾を吐かない、タバコすわない そして足が臭く                            ない@中国)


そして意外と安かった。片道3700円。

今度も夜行だな。


ってことで、まったくまとまりのない記事になってしまいましたが、、、、


すこしだけ日本の文化に詳しくなった、とってもいい旅行でした。

また明日も記事を書きます。


日本に一時帰国しました。

来年から勤め始める会社の内定式に出席するために。

そのために、そのために、ネパールから帰ってきました。

「内定」が春に出て、「内定式」が秋にあるのが、どうも納得できない・・・


でも、日本を見直す、そしてしばし体と心を休めるいい機会だと思う。

そして何より、同期になる仲間に会えるのが楽しみ!


バンコク空港を経由して帰ってきたのだが、

ここでトランジットで6時間つぶさなくてはいけなかった。


時間があったので、じーーと座っていられず、

バンコク空港を制覇しようと試みた。


出発ロビーを隈なく見てまわった。(← つまらない 笑)

そしてDUTYFREEの店が並ぶホールも散策した。


眩しいほど輝く腕時計やモデルを宣伝に使用したブランドのバッグ。

それらはすべて、「物欲の世界へお帰り」と自分に言っているようだった。

チベットやネパールなど、宗教の濃い地域を旅してきて、

貧しいが、精神的に充足している人たちに会って来た。

それといま見ている光景があまりにも対照的に感じてしまった。

ブランド品、電子機器、腕時計・・・・ 買い物をしている人たちを

冷めた目で見ている自分がいた。いつもは、自分は反対の立場なのに。


バンコクで既に、「帰ってきてしまった」 と強く実感した。


生産要素としてのヒト、消費主体としてのヒト。

また大きな仕組みにはみこまれていく脅威が払拭できずに歩き続けた。


もともと物欲がそこまで無い自分だが、きっと社会人になると、

彼らと同じように、高価な腕時計やブランド品を欲するようになるんだろう。

それは決して悪いことではないが、チベット人などとはあまりにも

違う世界だな と感じる。




日本は最高だ。


でも、物価が高かすぎて泣きそうです。

コンビニで千円札を出す手は、いつもより強くそれを握っています。 笑


英世ーーー (T T)


そして、何を買うにも交渉する癖がついてしまった今では、

ふと、「安くなんないかな??」  と思ってしまう。

ドリーマーです。


それにしても、日本ほど、「お客様」を大切にする国はないのでは?


レストランでオーダーするときに、ウェーターが跪き、「はい!はい!」と元気よく

連呼しながらオーダーを取る。

電車が5分遅れただけで、お詫びの放送が流れる。


東南アジアでは、バスや電車は平気で数時間遅れる。

タイ北部で、バスの出発時間を聞くと、「みんなが集まってから」という答えが返ってくる。

ラオスで、船の到着時間を聞くと、「日が暮れるころ」という答えが返ってくる。


時間は相対的だといったのはアインシュタインだが、ここでもまた

違う意味でそれが成り立つ。


ラオスでの24時間は、日本での24時間と明らかに長さが違う。


昨日、都内に用事があり、通勤電車に乗った。

みんな、疲れ果てた顔をしている。

表情にはりがない・・・


きっと彼らの年収はラオス人の平均年収の数百倍。


でも、どっちが 「幸せ」 なんだろう??


そんなこと言えるほど甘くない。

カネがないと日本では暮らせない。

カネがないと、幸せになれない。


きっと働いている方はそう言うでしょう。

確かにそうだと思います。


でも学生だからこそ、働いていないからこそ思うのです。


なんか、おかしいぞ。


日本にいる間は、この前半の旅中に紹介できなかった

様々なことを、記事で紹介していくつもりです☆


いつも読んでくださっているみなさん、ありがとうございます。


カトマンドゥ


なんて表現しよう。


小さいが、忙しい。

貧しいけど、繁栄している。



うー、うまく表現できない。

ここは、とにかく 「濃い」 街なんです。



赤いレンガの建物の間を狭い道が迷路のように通り、

その道をリキシャやバイクやタクシーが、

クラクションを鳴らしながら走っている。




街を歩くのは、ヒンドゥー教徒や仏教徒や大勢の外国人旅行客。

女性は、美形のアーリア人が多い。

(「アラジン」の ジャスミン みたいな。)




街全体が、ほこりっぽくて、汚いというか

ごみごみしている。だが、ただ汚れているのではなく、

どこか独特の雰囲気を醸し出している。


そして、

50m歩くたびに、男が寄ってきて、


「はっぱ? はっぱ?」 (← 麻薬のこと)


と声をかけてくる。

これが、うざい。

ベトナムを思い出させる。




カトマンドゥの宿は、最悪だった。

シャワーは、ほとんどお湯が出ない。

東南アジアは、暑かったので、冷水で問題は無かったが、

ここはすこし涼しいので、お湯が出ないとシャワーが

修行に変わる。

それに、水が茶色に濁っている。

(これはカトマンドゥ全部らしい・・・)


安宿のマネージャーに「お湯が出ない」と文句を言うと、


「ノープロブレム、ノープロブレム!!」


と連発。


「明日には修理する」 と言う。


翌日。


誰も修理しに来ない。

誰か来る気配も、まったく無い。


ロビーでマネージャーの奴と目が合っても、彼は平然とした表情だ。


おい、おまえ 少しはキマヅイ顔しろよ!!


コーヒー用の熱湯を頼んでも、こない。

何回か催促して、やっと届けてくれる。


以前から聞いていた。

奴らの「ノープロブレム」には気をつけろと。


「ノープロブレム」。


それは、こう訳すのが適切です。


「おー それは問題だ。 でも俺にはどうしようもできない。

てか、めんどくさいから我慢してくれ。 ばいばいきーーん。」


「ノープロブレム」


それは、「プロブレム」の発生です。



ネパール人は、ホントに適当だ。

「24h営業」と3つの看板を通してアピールしているサンドイッチ屋さんも

深夜には閉店する。


でも、なんか憎めない。

適当だけど、ネパール人はとても親切です。

中国から来たから、それは余計に感じるのかもしれない。


みんな笑顔で接してくれる。

親日派も多い気がする。


この旅で、いくつもの首都を通ってきたが、

(ハノイ、プノンペン、バンコク、ビエンチャン・・・)

ネパールの首都が一番好きです。

ラサから、アメリカ人のSAMとオランダ人のMARTINと、

今一緒に旅をしているトシさんとランドクルーザーをチャーターして、

5日間かけてカトマンズに着きました。



SAMは、自己主張が激しく、MARTINは194cm。

それぞれの国のステレオタイプにドンピシャの人たちでした。笑


ラサから西チベットへの景色は、絶景でした。

すっげーぜ、まじで。








ルートの途中で、エベレストのベースキャンプも行きました。



世界一高い山を見てきた。

エベレスト。

チベットの名前は、チョモランマ。



シガチェという町から走ること15時間。

道がないようなところをランドクルーザーが走っていく。



にしても、

TOYOTAのランドクルーザーは、すごい。

25万キロ以上走っている車なのに、一度も故障しなかった。

さすが、日本車です。ちなみに、ネパール抜けを目指す人は、

みんなTOYOTAのランクルで行きます。

こんなところでも、日本車は大活躍。

↓ トラックは泥にはまって身動きとれず。

  ランクルは、しばらくしてから見事に脱出。

  このような道を5日間走り続けました!!



エベレストのベースキャンプについたのは、暗くなってから。

高度5300mで、めちゃくちゃ寒かった。そして、何より空気が薄い薄い。

バックパックを背負って少し歩いただけで、マラソンを走った後のようになる。

はぁはぁ。



前回の反省を生かし、今回は高山病予防の薬を服用していたので、

激しい頭痛などには悩まされることはなかった。


「安宿」が「高かった」ので、ベースキャンプの近くにある

チベタンのお寺に泊めてもらうこと に。

暗くて汚かったぁ

(寝袋持ってきてよかったぁ・・・  息が白くなるくらいまじ寒かった)

その日は移動で疲れて早めに寝た。





朝起きて、寺を出て外を眺めると。


ドッカーーン。


そこには、エベレストがあった。



でかい。高い。そして、雪に覆われていて、美しい。



ここからは、ナルシスト話です。 笑



この旅で、「必ずやることリスト」に以下のような項目があった。



「エベレストを見ながら、熱いコーヒーを飲む」



お寺から熱湯をもらい、携帯しているインスタントコーヒーの粉を

(コーヒー大好きなんです 笑)

携帯用のコップに注ぐ。



湯気が立ち、コーヒーのアロマが顔を覆う。

チビチビとコーヒーを口にしながら、渋い顔をして

エベレストを眺める。(完全に役に入っています 笑)



↑ 髭ぼーぼーです、失礼!




エベレストとコーヒー。

この旅、最高の贅沢でした。



お寺からベースキャンプまで、あるいて8km。

4人で、ゆっくりと歩いていきました。


走ると、とんでもないことになるんです。



天気は、最高。

最後に小さな丘があり、そこを上りきると、

エベレストが再びドッカーーンと姿を現す。



丘を登り始めるころ、自分はMP3プレーヤーを取り出した。

テーマ曲は、「Kill Bill」のテーマ曲。

丘を徐々に登り、エベレストが姿を現す瞬間に曲のクライマックスが

くるように工夫した。(← 完全に役に入ってます 笑)



Hotei Tomoyasuのギターがビートを刻み、

あの 「ダーン タンタン!」でエベレストが目の前に姿を現す。



鳥肌が立った。

こんな迫力がある景色は、残りの人生であと何回見れるだろうか?

それにしても、これを登る人がいるんだから、クレイジーだ。



↑ 左から、SAM、俺、MARTIN、トシさん

  MARTIN,まじデカイっす。
  足の長さが、きっと俺の1.5倍はあると思われる。

チョモランマの絶景を満喫したあと、ベースキャンプを出発し、

2日間かけてネパールの国境へ向かう。

国境でドライバーの ラパさんとお別れを告げ、

いよいよネパールへ。

 



ネパール・・・


ネパールは治安が安定しない。

政府と、マオイストと呼ばれる反政府ゲリラグループが常に対立している。

数ヶ月前までは、マオイストの攻撃が続いていたが、

ちょうど一週間目にマオイストと政府が一定の合意にいたり、

「非暴力宣言」が宣告された。


とはいえ、国境からカトマンズまでの地域は、

海外安全情報によると、「渡航の是非を検討してください」という

部類に属し、カトマンズまで行くのに、何回も政府軍の検問を

通った。 幸いにも、マオイストも政府軍も観光客はターゲットに

していないので、パスポートを見せればまったく問題なし。

(観光客をターゲットにしていたら、行かないし)



山道をぐねぐね走り、夜にカトマンズにつきました。



前半の旅の目的地。

(10月3日の内定式のために、どうしても一時帰国しないといけないのです。)



ついたぁ!!!

なかなかの達成感。


カトマンドゥについては、また次の記事で書きます。


ここは、とにかく「濃い」街です。




ラサの宿で、とんでもない人たちに会った。

自転車で旅をしている人たち。


通称、チャリダー。


しかも2人。


一人は、なんとイスタンブールからチベットまでを自転車で。

もう一人は、桂林から無数の山を越えて、チベットへ。


脱帽というか、飽きれてしまうほどの忍耐力と情熱の持ち主だ。


彼らの勧めで、そして半分勢いで、

ラサから60km離れたガンデン寺というところへ

日本人6人とカナダ人1人で、自転車で行くことに。


ラサの標高は、富士山より少し低いくらいで、

酸素は、通常の67%しかない。

このような環境で、自転車をこぐことに多少抵抗感を感じていたが、

久しぶりに運動をしたかったので、遠足気分で行った。


最初は、快調に進んだ。

冷たい空気と、有酸素運動(少酸素運動・・・)をしている

感覚が、ものすごく気持ちよかった・・・



ガンデン寺は、チベット仏教ゲルク派の総本山で、

山の頂上に位置する。(4200m)

曇った日は、まるで天空に浮いているように見えるため、

日本人の間では、「天空の城 ラピュタ」と呼ばれている。


坂は、およそ10km。

果てしなく続く坂道を、時にはこぎながら、

時には自転車を押しながら上っていった。


↓ これを上りました。





予想外に時間がかかり、上ったことには、寺は閉まっていた。


しょうがなく、この寺で一泊させてもらった。


夜空が、信じられないほどきれいだった。

4200mで、「星が降ってくる」という表現の意味が理解できた。

星が、あまりにみ近いので、まるでそれが自分に迫って来るように感じられる。


翌朝起きると、寺で僧侶たちがお経を説き始めていた。

お寺に入ると、まるで映画で見たような世界だった。

赤い布に身をまとった僧侶たちが、列を組んで座っている。

中は暗かったが、上の窓から、光が差込み、僧侶たちを照らす。

お経の声が聞こえてき、なんともいえない神秘的な雰囲気をかもし出す。




チベット・・・神の国、仏教の国にやっときたんだなと実感した瞬間だった。



後に、山の頂上で楽器の演奏を練習している僧侶たちと少し

交わる機会があった。チベタン(チベット人)は日本人の顔が似ているが、

その無垢な、純粋な表情が、異国の地にいることを実感させてくれる。




チベットを満喫した後、帰ることに。

帰りは、4人だけになった。

残りの3人は、体力的に厳しいということで、ヒッチハイクで帰っていった。


カナダ人と、俺とチャリダー4人で、

上ってきた坂を一気に下った。

快感だった。


男4人ということで、行きに7時間かかったところを、

なんと2時間半で飛ばして帰った。(坂がなかったのが一番の理由)

120kmを完走した達成感は爽快だった。


ラサに帰ってきて、人間の体の恐ろしさを実感した。

ラサの最初の数日間は、空気が薄くて、軽い頭痛と倦怠感を感じていたのが、

4200mから帰ってきて、ラサで、「空気が濃い」と感じた。

人間の体の順応力って恐ろしいです。



たくさん考えさせられる一日でもあった。


考えさせられたのが、「物欲」について。


ガンデン寺の僧侶は違ったものの、

いまでは、チベットの僧侶も携帯電話を持ち、

若者は、ネットカフェでEーMAILをしている。

町も、中国のほかの都市に徐々に似てきているし、

僧侶のような格好をするチベタンを少なくなったという。

若者の多くは、普通の洋服を着ている。

それを見て、最初はすこしがっかりだった。


「チベットらしさ」はどこ行ったのか? と。


携帯電話、インターネット、洋服・・・

これらは、すべて、「物欲」の象徴だと考えると、

物欲などの煩悩を捨て、精神的に満たされることを目的とする仏教文化は

失われつつあるのかと思った。


チベットが独自の文化を失っている理由のもうひとつに、

漢民族が無神経な開発を行っているからだと主張する人も多い。


それは、しかし漢民族のせいというよりは、物欲主導の

資本主義の文化による侵食とも考えられる。


物欲・・・

これは、人間に先天的にあるものなのか?

自分は、そうなのだと思う。


そして、それを乗り越えられてこそ、

立派な仏教徒、僧侶になれるだなと思う。

そのような人間はチベットでは、減っているのでないかと

感じさせられる。


チベット文化が、徐々に侵食されていく。

残念だなぁ


そう思って、ふと気づいた。


自分はどうだろう?

日本の伝統的な文化を継承しているだろうか?


自信を持って答えられない。

チベット文化について、どうこう言える立場に自分はないことに気づかされた。

自分を棚上げにし、他国の文化について考えるのは、

観光客が陥りやすい穴だが、そこは居心地がよすぎてなかなか

自分がそこにいることには気づけない。


「日本文化をもっと知って、もっと大切にしよう」


そう改めて感じさせられた。


次の目的地は、前半の旅の最終目的地、カトマンズです。

4泊5日かけて移動し、途中のエベレスト ベースキャンプにも

寄るつもりです。


世界で一番高い山を見に行きます。

体調は、絶好調。


最後に、ラサのポタラ宮の写真で終わります。






今、チベットのラサにいます。

ここまで、何回か死にそうな思いをしてたどり着きました。



31日の夜行バスで敦煌を出発し、1日の朝にはゴルムドにつきました。

(ドライバーがクラクション鳴らしまくりで、あまり寝れず)

当初の予定だと、情報を集めるために、そして高い標高に慣れるためゴルムドで一泊
するはずだった。

しかし、

宿を探す際に、「今日、ラサへ、闇バスで向かう」という韓国人の4人組と知り合う。


通常だと、ゴルムドには、闇バスでラサへ向かう外国人が多いらしいが、

現在の状況では、駅からこの宿まで誰一人会わなかった。

(ラサでは、自治区成立40周年記念ということで、政府の高官が

集まるらしく、テロ行為を防ぐためという名目で、外国人の入国は一切禁止されている)

チベットには、通常、外国人は、「許可証」を取得しないと入れない。
それが今回は、その許可証さえ発行していない。

つまり、外国人は入れないというこ とである。
この異常事態は、9月5日まで続くだろうといわれていたので、そこまで待てない自 分は、

無理してでも、挑戦することにした。



外国人を見つけ、これはチャンスだと思い、眠く、しかも少し風邪気味だったが、

彼らと行くことに。



これが、地獄の始まりだった・・・・



闇バスをアレンジしているのは、中国人仕掛け人、数人。

彼らについて行き、ゴルムド郊外へ向かう。



ゴルムドを出るには、まず2つの検問がある。

中国の公安局が立っていて、そこを通る自動車、バスはすべてこの検問を通る。

この検問を通るときにバスに乗ってては、見つかるので、検問をすり抜けて、

後でバスに乗車するという作戦だ。



検問数百メートル前で、降ろされる。

韓国人4人組の中に、一人中国語をしゃべれる人がいたので、

彼ら4人は、タクシーに乗って、中国人のふりをして検問を通ることに。



「えっ、俺は?」



「お前は、歩いていけ。荷物は、バスの中においていけ、そして中国語で声をかけら

れても 絶対に、振り向くな。」



おい、ばかだろ、それ!

絶対見つかるだろ・・・



と思いながら、ひたすら下を見ながら、指示された道を真っ直ぐ突き進んだ。

その間、中国人の仕掛人は、ひたすら公安局の人に話しかけている。

その際に、自分はひたすら進む。



心臓がバクバクと鳴っている。

見つかったらどうしよう・・・

冷や汗が出てきた。

とりあえず、ひたすら歩いた。

一度も振り向かず、ひたする歩いたところで、

急に、後ろから肩を叩かれた。



背筋が凍った。



恐る恐る振り向くと、

仕掛け人のやつだった。

彼も検問を突破し、俺に追いつき、「もう大丈夫だ」といってくれた。

後から聞くと、俺が歩いている間、公安に賄賂を渡していたという。

なるほど。素通りできるわけないもんな。



そして、第二の検問。

これもまた、数百メートル前からバスを降りる。

今回は、検問迂回作戦。

くそ暑い中、そして高度が3000mに近い中、

仕掛け人たちと、検問の周りを、公安に見つからないように走っていく。

仕掛け人一号が、まず先頭を走り、公安がいないのを

見ると口笛を吹き、それを合図に進む。



何キロ歩いただろうか・・・

息を切らせ、汗ダクダクになりながら、検問を突破し、

先で待っているバスに乗ろうとする。



しかし、

最初についている韓国人たちが、どうやら運転手ともめている。

話を聞くと、金を全部、「前払い」で払えという。

これは、まずい。

普通は、無事にラサについてから、残りの半額を払うシステムらしいが、

今回は、仕掛け人たちは、全額を前払いで要求してきた。

前払いにすると、どこかで捨てられてもおかしくない。

これは、まずい。



「前払いで、全部はらうもんか」と俺たちは主張したが、

それを見ては、仕掛け人たちと運転手たちは、

「じゃぁ、バイバイ」と俺たちの荷物をバスから降ろしだし、

バスはエンジンをつける。

ここは、ゴルムドから数十キロ離れた、何もないところ。。。

ここで、ポツンと残されては、困る。

非常に困る。

彼らも、商売の仕方がわかっている。



仕方なく、「わかった、払う」といい、バスを止め

乗り込むと、



なんと・・・・



席がない。

寝台バスの、通路しか空いていない。

これで、ラサまで30時間・・・



韓国人4人組は激怒し、こんなでは金は払えない と言い出し、

バスから降りた。



俺は、金をすべて前払いにするのは、相当なリスクであると

自分に言い聞かせながらも、ここまで来たのは無駄にしたくないと、

思い切って、このバスに乗ることに。



30時間耐えれば、いいんだ。



韓国人4人組は、タクシーを捕まえて、ゴルムドへ帰ることにしたみたいだ。



自分は一人で、中国人に混じって、バスに乗車した。


通路に体育座りし、バスはひたすら走る。

しばらくは、検問はないみたいだ。



狭い。

そして、相変わらず臭い。

中国語を一切しゃべれないのに、一人で、このバスに乗り込んでしまった。

しかも、金は全部前払いで、運転手に払ってしまった・・・

もし、何もないど真ん中で、急に降ろされたらどうしよう・・・

もし、公安に捕まったらどうしよう・・・

もしかしたら、俺は トンだ間違いをしたかもしれない・・・安心した自分が愚かだった。



一人では抱えきれないほどの不安を胸に、バスは走り続けた。

どうしよう、どうしよう・・・



めちゃくちゃ狭い中、窮屈さがどんどんストレスになっていく。

夜になり、まわりは暗くなる。


バスはひたすら走りまくり、高度がどんどん上がっていく。

徐々に寒くなってきた。



夜12時頃、バスが急に何もないところで止まった。

何人かがトイレにいったので、バッグなどすべてバスに残し、自分もトイレに行くこ
とに。

バスに戻ろうとしたら、バスの運転手は、閉めたドアを開けない。

「やばい、はめられた」



と思い、半分パニックになっていたら、

同じバスの他の2人の中国人が俺の肩を叩き、

こっちだと指図する。


どうやら、この先検問があるらしく、この2人も違法でチベットに入ろうとしている
らしい。

3人で、再び、「検問迂回作戦」だ。



歩き出す前に、2人に、

「お前は何があっても絶対にしゃべるな。中国人のふりをするんだ」

といわれた。



堅く口を閉じ、検問を迂回するように歩き出した。

しばらくし、後ろから、赤と青の光が見えてきた。



やばい。



公安だ。




パトカーから、興奮気味の公安が降りてきた。

一人一人尋問をはじめる。

周りは、電気もなにもないところで、真っ暗だ。

これなら、俺の顔も見えないだろう。

どうにか、2人に誤魔化してもらうしかない。



心臓はばくばくいっている。

こに国の警察が、たまにいかに理不尽なことをするかは、

いろんな人に聞かされていた。



中国人2人の尋問が終わり、自分に番になってしまった。

やばい。。。



自分は、まるでつぶやきシローのように、

うつむいて、口を堅く閉ざしていた。



興奮している公安は、それでも質問を続けている。

自分は、何もしゃべらない。


徐々に、公安の声が大きくなっていく。

すごい圧迫感だ。

そして、公安がしゃべるのをやめたと思った次の瞬間・・・



バシッ!!



と俺の顔をビンタした。

そして、次の瞬間、俺の首をつかんで、パトカーに押し付けた。

どうやら、俺がずっと彼を無視していると思い、激怒したらしい。

(それは、無理もないや)

これは、さすがにやばい。

この旅で、初めて身の危険を感じた。

一線を越えてしまった気がした。

そして、何より怖かった。

これはさすがにまずいと思い、

「我是日本人!!」

とでかい声で叫び、パスポートを出した。



その警官は、それを見ては自分を押し付けていた手を緩め、

もう一人の公安を呼んできた。



その公安がは、英語がしゃべれた。

お前は、許可証があるのか? と聞いてきた。



そこで、自分は、最後の切り札を出した。



それは、敦煌で、チベットから来た女性の方からいただいた

使用済みの許可証だった。許可証には、名前は書いておらず、

日にちと発行所のみ書いてある。

この許可証は、8月の中旬のみ、成都からチベットに入ってもいいというものだっ
た。



俺が持っていては、矛盾だらけの許可証だった。



公安に見せた。

旅行会社に問い合わされれば、一発でアウトだ。

しかも、日にちと発行場所が違うのは、一目瞭然。



公安に早速突っ込まれた。



「これは、8月中旬のものじゃないか。今日は、9月1日だ。

しかも、この許可証は、成都からではないか」



自分は必死に言い訳をした。



「確かに、これは成都で発行した。

だが、発行した後、急に敦煌に行きたくなり、予定を変更し、

敦煌→ゴルムド 経由でラサに入ることにしたんだ。」




と子供のような言い訳をした。



公安の人は、しばらく考えていた。

こんな言い訳が通じるワケないなぁと思いながら、

最悪の状況を覚悟した。

許可証なしで入ろうとして捕まると、最悪、公安局に一日拘束だと

聞いていた。



半分あきらめながら、そして神経が麻痺したのか、

「なんでも来いや」と思っていると、

思いがけない公安の答えが返ってきた。



「確かに、敦煌はいい場所だからな。

日にちが違うが、よかろう、バスに乗れ」



意味わからない意外な答えに驚いた。


しかし、それを表情に見せるわけにはいかず、

「当然だ!」という振る舞いで、すかさずバスに乗り込んだ。



バスの通路に座り、急に、自分がつい数分前まで

おかれていた恐ろしい状況に気づき、手が震えだした。


これで後は、ラサの検問だけのはずだ。


と、

ゴルムドーラサ間のルートの間には、なんと5300mの峠がある。

その峠に近づくにつれて、急に寒くなってきた。

バスは、暖房もなく、だんだん息が白くなってくる。

席のあるみんなは、寝台バスなので、毛布が与えられている。

俺はといえば、サマーセーターとウィンドブレーカー一枚。

めちゃめちゃ寒くってきて、バスの通路で体育座りでうずくまっていた。


寒さだけではない。

高度が上がるにつれて、高山病の症状が出てきた。

息が苦しい。

頭が割れそうな頭痛。

吐き気。


バスは、峠にさしかかった。


狭い。

寒い。

頭が痛い。

吐き気がする。


最悪の気分で、ふと、窓の外を見ると、鳥肌が立った。


オリオン座が「横に」見えた。

上ではない。

横に。


それだけ高いところに来ていたのだ。

改めて5300mの高さを肌で感じた。

こんなに星空に近くなるのは初めてだった。



「ラサに着けばいい。それだけでいい。」


そんな思いで、どんな苦しみにも耐えてやろうと思った。


とはいっても、峠の夜の温度は氷点下。

通路で死にそうにしていたら、隣の中国人が、

毛布を半分分けてくれた。


仏様のように感じたぁ。


体温が戻り、うとうとし始めたころだった、


体が一瞬、宙に浮いた。

バスの車体が急に左側へ傾き、右のタイヤが

一瞬浮いて、女性の乗客が悲鳴を上げた。

バスの車体は、このまま左に横転するのではないかと思うぐらい、

一瞬宙に浮き、乗客はパニックに陥った。

この一瞬の間に、なぜか自分は、

「死ぬかも。」と冷静に考えていた。


結局は、バスは横転しなかったが、

道のはずれの泥の塊に突っ込み、抜け出せなくなった。


なにもないど真ん中だ。


全員バスからおろされ、作業が始まる。

男はスコップを持って、タイヤの下の泥を彫る。

女は、バスを後ろから押す。


激しい頭痛で、しかもクソ寒い中、

何回か吐きながら、作業を続けた。

運転手がエンジンをふかすが、いっこうにバスは動かない。


どうするんだよ。。。

ガンバって、一つに固めていた気持ちが、一気に四方八方に

飛び散りそうになる思いだった。


2時間ほど作業を続けていたころ、トラックが通りかかり、

それに牽引してもらい、ようやく脱出した。


再び、

バスは走り続けた。


激しい頭痛と吐き気の中、

まったく眠れなかった。


「ラサに確実に近づいている」という思いがただ、

精神の糸を辛うじて繋ぎとめてくれていた。


バスは26時間走った。

ラサの最後の検問に近づいた。


これが最後の関門だ。

ここで、捕まってゴルムドに戻れといわれたら、

俺は狂っていたと思う。


意地でも突破してやる。

枯れかけていた心に、数時間ぶりに勢いがついた。

しかし、その勢いとは逆に、バスは、検問を数キロ前にして

急激に速度を落とし、勢いを失った。


どうやら運転手が、携帯電話で誰かと連絡を取り合っている。

バスは、忍び足で徐々に検問へ近づく。


何してんだ!?


と思った次の瞬間、


バスは悲鳴を上げるエンジンを酷使し、

体が後ろに投げ出されるほど加速し始めた。


公安の隙を狙って、バスごと検問をスピード突破する作戦だ。


なんてことをするんだ!


と、運転手の度胸とその手馴れさに驚かされたが、

無事に最後の砦を突破できたことが、

身振りがするほどうれしかった。

しかし、そこには達成感はなかった。

言葉では表現できないほどの安堵感が自分を満たしてくれた。


ラサに無事に着いた。


体調が微妙なまま、「病み」バスに乗ってしまい、

しかもゴルムドで高度に順応せずに一気に来てしまったため、

体調は最悪。

空気が薄くてつらい。

ラサは、富士山よりほんの少し

低いくらい。


2日間、ラサで寝込んでいた。


今は、大丈夫。

完全復活。


そして、二度とこのような危険なことはしないと心に誓いながら、

毎晩、暖かいベッドで寝れることに、無限の幸せを感じています。 笑




敦煌の写真をアップします。

今回は、言葉より写真で。

百聞は一見にしかず!



↓ 砂漠だぁ!! おぉーーー



↓ 風が強いと、このように波ができます。



↓ 果てしなく続く砂漠。こんなとこで迷子になったら終わりだな。



↓ 生まれて初めてラクダに乗ったよ☆

  すごくおとなしい動物でした。

  イェーイ!



↓ 朝日を見に行ったが、曇りで見れず。

  でも、朝の砂漠はなかなかよかった。

  上まで上るのが、足が砂に取られて、かなり大変。。。

  階段を上りきったロッキー気分。



↓  月の砂漠! 神秘的!





莫高窟


NHKの シルクロード スペシャルでもご存知かと思います。

「東方芸術の宝庫」といわれている莫高窟には、492の石窟が断崖の三、四層に分布してある。

壁画の総面積は約4万5000平方メートルで。

彩色の土人形が2100体余り。


その精緻な手法、豊かな想像力に圧倒されました。

とても一日では全部は回りきれないほど、石窟の数が多かったです。





で、

今はなんとラサにいます。


何回か死にそうな思いをして、チベットに昨日着きました。

そのことは、また次の記事で書きます。