今、チベットのラサにいます。
ここまで、何回か死にそうな思いをしてたどり着きました。
31日の夜行バスで敦煌を出発し、1日の朝にはゴルムドにつきました。
(ドライバーがクラクション鳴らしまくりで、あまり寝れず)
当初の予定だと、情報を集めるために、そして高い標高に慣れるためゴルムドで一泊
するはずだった。
しかし、
宿を探す際に、「今日、ラサへ、闇バスで向かう」という韓国人の4人組と知り合う。
通常だと、ゴルムドには、闇バスでラサへ向かう外国人が多いらしいが、
現在の状況では、駅からこの宿まで誰一人会わなかった。
(ラサでは、自治区成立40周年記念ということで、政府の高官が
集まるらしく、テロ行為を防ぐためという名目で、外国人の入国は一切禁止されている)
チベットには、通常、外国人は、「許可証」を取得しないと入れない。
それが今回は、その許可証さえ発行していない。
つまり、外国人は入れないというこ とである。
この異常事態は、9月5日まで続くだろうといわれていたので、そこまで待てない自 分は、
無理してでも、挑戦することにした。
外国人を見つけ、これはチャンスだと思い、眠く、しかも少し風邪気味だったが、
彼らと行くことに。
これが、地獄の始まりだった・・・・
闇バスをアレンジしているのは、中国人仕掛け人、数人。
彼らについて行き、ゴルムド郊外へ向かう。
ゴルムドを出るには、まず2つの検問がある。
中国の公安局が立っていて、そこを通る自動車、バスはすべてこの検問を通る。
この検問を通るときにバスに乗ってては、見つかるので、検問をすり抜けて、
後でバスに乗車するという作戦だ。
検問数百メートル前で、降ろされる。
韓国人4人組の中に、一人中国語をしゃべれる人がいたので、
彼ら4人は、タクシーに乗って、中国人のふりをして検問を通ることに。
「えっ、俺は?」
「お前は、歩いていけ。荷物は、バスの中においていけ、そして中国語で声をかけら
れても 絶対に、振り向くな。」
おい、ばかだろ、それ!
絶対見つかるだろ・・・
と思いながら、ひたすら下を見ながら、指示された道を真っ直ぐ突き進んだ。
その間、中国人の仕掛人は、ひたすら公安局の人に話しかけている。
その際に、自分はひたすら進む。
心臓がバクバクと鳴っている。
見つかったらどうしよう・・・
冷や汗が出てきた。
とりあえず、ひたすら歩いた。
一度も振り向かず、ひたする歩いたところで、
急に、後ろから肩を叩かれた。
背筋が凍った。
恐る恐る振り向くと、
仕掛け人のやつだった。
彼も検問を突破し、俺に追いつき、「もう大丈夫だ」といってくれた。
後から聞くと、俺が歩いている間、公安に賄賂を渡していたという。
なるほど。素通りできるわけないもんな。
そして、第二の検問。
これもまた、数百メートル前からバスを降りる。
今回は、検問迂回作戦。
くそ暑い中、そして高度が3000mに近い中、
仕掛け人たちと、検問の周りを、公安に見つからないように走っていく。
仕掛け人一号が、まず先頭を走り、公安がいないのを
見ると口笛を吹き、それを合図に進む。
何キロ歩いただろうか・・・
息を切らせ、汗ダクダクになりながら、検問を突破し、
先で待っているバスに乗ろうとする。
しかし、
最初についている韓国人たちが、どうやら運転手ともめている。
話を聞くと、金を全部、「前払い」で払えという。
これは、まずい。
普通は、無事にラサについてから、残りの半額を払うシステムらしいが、
今回は、仕掛け人たちは、全額を前払いで要求してきた。
前払いにすると、どこかで捨てられてもおかしくない。
これは、まずい。
「前払いで、全部はらうもんか」と俺たちは主張したが、
それを見ては、仕掛け人たちと運転手たちは、
「じゃぁ、バイバイ」と俺たちの荷物をバスから降ろしだし、
バスはエンジンをつける。
ここは、ゴルムドから数十キロ離れた、何もないところ。。。
ここで、ポツンと残されては、困る。
非常に困る。
彼らも、商売の仕方がわかっている。
仕方なく、「わかった、払う」といい、バスを止め
乗り込むと、
なんと・・・・
席がない。
寝台バスの、通路しか空いていない。
これで、ラサまで30時間・・・
韓国人4人組は激怒し、こんなでは金は払えない と言い出し、
バスから降りた。
俺は、金をすべて前払いにするのは、相当なリスクであると
自分に言い聞かせながらも、ここまで来たのは無駄にしたくないと、
思い切って、このバスに乗ることに。
30時間耐えれば、いいんだ。
韓国人4人組は、タクシーを捕まえて、ゴルムドへ帰ることにしたみたいだ。
自分は一人で、中国人に混じって、バスに乗車した。
通路に体育座りし、バスはひたすら走る。
しばらくは、検問はないみたいだ。
狭い。
そして、相変わらず臭い。
中国語を一切しゃべれないのに、一人で、このバスに乗り込んでしまった。
しかも、金は全部前払いで、運転手に払ってしまった・・・
もし、何もないど真ん中で、急に降ろされたらどうしよう・・・
もし、公安に捕まったらどうしよう・・・
もしかしたら、俺は トンだ間違いをしたかもしれない・・・安心した自分が愚かだった。
一人では抱えきれないほどの不安を胸に、バスは走り続けた。
どうしよう、どうしよう・・・
めちゃくちゃ狭い中、窮屈さがどんどんストレスになっていく。
夜になり、まわりは暗くなる。
バスはひたすら走りまくり、高度がどんどん上がっていく。
徐々に寒くなってきた。
夜12時頃、バスが急に何もないところで止まった。
何人かがトイレにいったので、バッグなどすべてバスに残し、自分もトイレに行くこ
とに。
バスに戻ろうとしたら、バスの運転手は、閉めたドアを開けない。
「やばい、はめられた」
と思い、半分パニックになっていたら、
同じバスの他の2人の中国人が俺の肩を叩き、
こっちだと指図する。
どうやら、この先検問があるらしく、この2人も違法でチベットに入ろうとしている
らしい。
3人で、再び、「検問迂回作戦」だ。
歩き出す前に、2人に、
「お前は何があっても絶対にしゃべるな。中国人のふりをするんだ」
といわれた。
堅く口を閉じ、検問を迂回するように歩き出した。
しばらくし、後ろから、赤と青の光が見えてきた。
やばい。
公安だ。
パトカーから、興奮気味の公安が降りてきた。
一人一人尋問をはじめる。
周りは、電気もなにもないところで、真っ暗だ。
これなら、俺の顔も見えないだろう。
どうにか、2人に誤魔化してもらうしかない。
心臓はばくばくいっている。
こに国の警察が、たまにいかに理不尽なことをするかは、
いろんな人に聞かされていた。
中国人2人の尋問が終わり、自分に番になってしまった。
やばい。。。
自分は、まるでつぶやきシローのように、
うつむいて、口を堅く閉ざしていた。
興奮している公安は、それでも質問を続けている。
自分は、何もしゃべらない。
徐々に、公安の声が大きくなっていく。
すごい圧迫感だ。
そして、公安がしゃべるのをやめたと思った次の瞬間・・・
バシッ!!
と俺の顔をビンタした。
そして、次の瞬間、俺の首をつかんで、パトカーに押し付けた。
どうやら、俺がずっと彼を無視していると思い、激怒したらしい。
(それは、無理もないや)
これは、さすがにやばい。
この旅で、初めて身の危険を感じた。
一線を越えてしまった気がした。
そして、何より怖かった。
これはさすがにまずいと思い、
「我是日本人!!」
とでかい声で叫び、パスポートを出した。
その警官は、それを見ては自分を押し付けていた手を緩め、
もう一人の公安を呼んできた。
その公安がは、英語がしゃべれた。
お前は、許可証があるのか? と聞いてきた。
そこで、自分は、最後の切り札を出した。
それは、敦煌で、チベットから来た女性の方からいただいた
使用済みの許可証だった。許可証には、名前は書いておらず、
日にちと発行所のみ書いてある。
この許可証は、8月の中旬のみ、成都からチベットに入ってもいいというものだっ
た。
俺が持っていては、矛盾だらけの許可証だった。
公安に見せた。
旅行会社に問い合わされれば、一発でアウトだ。
しかも、日にちと発行場所が違うのは、一目瞭然。
公安に早速突っ込まれた。
「これは、8月中旬のものじゃないか。今日は、9月1日だ。
しかも、この許可証は、成都からではないか」
自分は必死に言い訳をした。
「確かに、これは成都で発行した。
だが、発行した後、急に敦煌に行きたくなり、予定を変更し、
敦煌→ゴルムド 経由でラサに入ることにしたんだ。」
と子供のような言い訳をした。
公安の人は、しばらく考えていた。
こんな言い訳が通じるワケないなぁと思いながら、
最悪の状況を覚悟した。
許可証なしで入ろうとして捕まると、最悪、公安局に一日拘束だと
聞いていた。
半分あきらめながら、そして神経が麻痺したのか、
「なんでも来いや」と思っていると、
思いがけない公安の答えが返ってきた。
「確かに、敦煌はいい場所だからな。
日にちが違うが、よかろう、バスに乗れ」
意味わからない意外な答えに驚いた。
しかし、それを表情に見せるわけにはいかず、
「当然だ!」という振る舞いで、すかさずバスに乗り込んだ。
バスの通路に座り、急に、自分がつい数分前まで
おかれていた恐ろしい状況に気づき、手が震えだした。
これで後は、ラサの検問だけのはずだ。
と、
ゴルムドーラサ間のルートの間には、なんと5300mの峠がある。
その峠に近づくにつれて、急に寒くなってきた。
バスは、暖房もなく、だんだん息が白くなってくる。
席のあるみんなは、寝台バスなので、毛布が与えられている。
俺はといえば、サマーセーターとウィンドブレーカー一枚。
めちゃめちゃ寒くってきて、バスの通路で体育座りでうずくまっていた。
寒さだけではない。
高度が上がるにつれて、高山病の症状が出てきた。
息が苦しい。
頭が割れそうな頭痛。
吐き気。
バスは、峠にさしかかった。
狭い。
寒い。
頭が痛い。
吐き気がする。
最悪の気分で、ふと、窓の外を見ると、鳥肌が立った。
オリオン座が「横に」見えた。
上ではない。
横に。
それだけ高いところに来ていたのだ。
改めて5300mの高さを肌で感じた。
こんなに星空に近くなるのは初めてだった。
「ラサに着けばいい。それだけでいい。」
そんな思いで、どんな苦しみにも耐えてやろうと思った。
とはいっても、峠の夜の温度は氷点下。
通路で死にそうにしていたら、隣の中国人が、
毛布を半分分けてくれた。
仏様のように感じたぁ。
体温が戻り、うとうとし始めたころだった、
体が一瞬、宙に浮いた。
バスの車体が急に左側へ傾き、右のタイヤが
一瞬浮いて、女性の乗客が悲鳴を上げた。
バスの車体は、このまま左に横転するのではないかと思うぐらい、
一瞬宙に浮き、乗客はパニックに陥った。
この一瞬の間に、なぜか自分は、
「死ぬかも。」と冷静に考えていた。
結局は、バスは横転しなかったが、
道のはずれの泥の塊に突っ込み、抜け出せなくなった。
なにもないど真ん中だ。
全員バスからおろされ、作業が始まる。
男はスコップを持って、タイヤの下の泥を彫る。
女は、バスを後ろから押す。
激しい頭痛で、しかもクソ寒い中、
何回か吐きながら、作業を続けた。
運転手がエンジンをふかすが、いっこうにバスは動かない。
どうするんだよ。。。
ガンバって、一つに固めていた気持ちが、一気に四方八方に
飛び散りそうになる思いだった。
2時間ほど作業を続けていたころ、トラックが通りかかり、
それに牽引してもらい、ようやく脱出した。
再び、
バスは走り続けた。
激しい頭痛と吐き気の中、
まったく眠れなかった。
「ラサに確実に近づいている」という思いがただ、
精神の糸を辛うじて繋ぎとめてくれていた。
バスは26時間走った。
ラサの最後の検問に近づいた。
これが最後の関門だ。
ここで、捕まってゴルムドに戻れといわれたら、
俺は狂っていたと思う。
意地でも突破してやる。
枯れかけていた心に、数時間ぶりに勢いがついた。
しかし、その勢いとは逆に、バスは、検問を数キロ前にして
急激に速度を落とし、勢いを失った。
どうやら運転手が、携帯電話で誰かと連絡を取り合っている。
バスは、忍び足で徐々に検問へ近づく。
何してんだ!?
と思った次の瞬間、
バスは悲鳴を上げるエンジンを酷使し、
体が後ろに投げ出されるほど加速し始めた。
公安の隙を狙って、バスごと検問をスピード突破する作戦だ。
なんてことをするんだ!
と、運転手の度胸とその手馴れさに驚かされたが、
無事に最後の砦を突破できたことが、
身振りがするほどうれしかった。
しかし、そこには達成感はなかった。
言葉では表現できないほどの安堵感が自分を満たしてくれた。
ラサに無事に着いた。
体調が微妙なまま、「病み」バスに乗ってしまい、
しかもゴルムドで高度に順応せずに一気に来てしまったため、
体調は最悪。
空気が薄くてつらい。
ラサは、富士山よりほんの少し
低いくらい。
2日間、ラサで寝込んでいた。
今は、大丈夫。
完全復活。
そして、二度とこのような危険なことはしないと心に誓いながら、
毎晩、暖かいベッドで寝れることに、無限の幸せを感じています。 笑