「ねえ、○○(妹)ちゃんって、特別にかわいい赤ちゃんだよね・・・
あとは性格だな!」
と、ひとりでうなずいている長男(小4)。
十人並だよ?(かわいいけど)
・・・ていうか
あなたたち、そっくりじゃないの!
しかし、そんな冷静(?)なわたしにも
長男の主張の正しさを認めざるをえないときがある。
彼の言うとおりだ、
長女(9か月)は特別にかわいい。
両手に、いちご
を持っているときに限っては。
いちごといっても、本物ではなくおもちゃ。
厳密には、
出産祝いに天野慶ちゃんがくれた
いちごドレッサー
に付属の
おもちゃの化粧品
(フタがいちご)
のいちごを
なぜか両手に持っている。
『恋する歌音』の中で、
この道は春に花降る道となる
パラダイスとは変化するもの
という短歌を、
18歳で作った天野慶さんを
〈人生で大切なものを早くから知っていた〉
と書いたけれど、
彼女は
女児にいちごが似合う
ということまでも知っていた。
中日新聞で「恋する歌音」を連載中、わたしは
第一子の妊娠・出産・子育てをしていた。
妊娠中に会った、天野慶ちゃんは
赤ちゃんにゆっくりと母乳をあげ、
やさしくおむつをとりかえ、お尻を拭いてあげていた。
後に、出産直後の慌ただしさの中で、わたしは
自分もそのうちに、
慶ちゃんのようにゆったりにこにこと
赤ちゃんのお世話をするお母さんになるのだと思っていた。
出産の少し前には、
慶ちゃんから、ご自身の「助産院での出産レポート」が届いた。
どんなふうにお産が始まるか、
慶ちゃんがどんなふうに過ごしたかが書いてあった。
わたしは不安もなく出産にのぞみ、
慶ちゃんがしたと言っていた、階段の昇り降りをえんえんとした。
えんえんと、と書いたけど、
慶ちゃんがそれをした時間を知っていたので、別に長いと思わなかった。
わたしが、夫不在の密室育児で
家事と乳児で寝る暇もなく、しかも
毎週毎週、恋愛がテーマのエッセイを書かなくてはいけないとき、
全然近くじゃない自宅まで、
天野慶ちゃんが、赤子を抱っこひもに入れて電車を乗り継いでやってきた。
「真由美さん、寝てください」
と言うので、
わたしは誰からもそんなこと何か月も言われたことがなかったら
言われるがままに朦朧として二階に行って寝ていたら、
階下から、赤ちゃんの泣き声がして目が覚めた。
泣いているのは、自分の子どもではなかった。
慶ちゃんが、自分の子ではなくわたしの子を抱いているので
慶ちゃんの子どもが泣いているのだった。
「家に閉じこもりっきりで、
恋愛がテーマのネタなんて浮かばない。
好きな短歌や有名な歌はもうほとんどとりあげちゃったし」
みたいなことを話して、
わたしは慶ちゃんが使っているのと同じ抱っこひもを買った。
何日かすると、貴重な歌集や、
短歌雑誌の恋愛特集号のバックナンバーが送られてきた。
「恋する歌音」連載の後半、『恋する言ノ葉』に収録されているあたりは
ほとんど天野慶ちゃんのおかげで書けたものばかりである。
どうしてこんなによくしてくれるのか、
過去に何度か聞いたところ、
何か「お世話になった」というようなことを言ってくれるのだけど
全然心当たりがないのだった。
昨年、わたしは急いでピアノを練習する必要があったが、
東京で自宅にピアノがある友人はあまりいないので、
また、天野慶ちゃん宅へお邪魔した。
四か月くらいの長女を連れて行ったところ、
三人いるはずの天野慶ちゃんのお子さんはおらず、
「真由美さん、ピアノを弾いてください」と言って、
慶ちゃんは、わたしの娘を連れて出て行った。
わたしは
三人も子どものいる人が、自分の子どもを預けて
わたしの子どもを預かってくれている状況に気づいて
赤くなったけれど、
「真由美さん、寝てください」と言われたときと同じに
言われるがままにピアノを練習した。
家では、泣く子をおぶって
借りたキーボードで練習しているのだった。
慶ちゃんはちっとも戻ってこなかった。
わたしは幸運な母親だった。
一人目と二人目の子どもが生まれる数か月前、
三人目の子どもが生まれる数年前に、
天野慶ちゃんが第一・二・三子の母になってくれていたのだから。