本編のホームページに、豊岡陣屋跡の登城記をアップしました。

本編のホームページは こちら です:
http://shanehsmt.html.xdomain.jp/index.html





この日は、前日に京都府の夕日ヶ浦温泉に泊まり、朝に豊岡に来ていました。
豊岡からはまず、出石に向かい、出石城、有子山城と出石の街を散策し、その後に豊岡に戻り、豊岡陣屋に向かいました。

出石城の登城記は こちらです:
http://shanehashi.html.xdomain.jp/Oshiromeguri/Kansai/IzushiJyo.html

有子山城の登城記は こちらです:
http://shanehashi.html.xdomain.jp/Oshiromeguri/Kansai/ArikoyamaJyo.html

出石の散策記は こちらです:
http://shanehsmt.html.xdomain.jp/Travel/Japan/Kansai/Izushi.html


出石からのバスを豊田町のバス停で下車し、豊岡陣屋に向かいました。
近くには検察庁や裁判所があり、豊岡は今でも兵庫県北部の地方行政の中心地であることが分かります。



裁判所の北側には小高い丘があります。
この丘が、中世の豊岡城址のある亀山です。

ここから北に向かい豊岡陣屋跡を目指しました。
街中に入り、左に向かうと立派な門が見えています。




この門は、明治に豊岡陣屋跡に移築された豊岡県庁の正門です。
元々は、現在の京都府にあった久美浜県の県庁の門として造られ、1871年(明治4年)に久美浜県が豊岡県に合併された際に現在地に移築されています。



陣屋跡の南側には藩主だった京極氏の屋敷があります。
今も、子孫の方が住まわれているのか、 一般公開はされていませんでした。



白壁の土塀が歴史を感じさせていました。

豊岡陣屋の痕跡は残っていませんでしたが、旧豊岡県庁門の東側に、大石りくの生家がありました。
先ほど、裁判所から豊岡陣屋跡に向かう際に左に角を曲がりましたが、その角のすぐ東側です。



大石りくは、赤穂事件で吉良邸討ち入りを行った首謀者・大石内蔵助の正妻でした。
浅野内匠頭の凶行で、人生を大きく狂わされた犠牲者の一人です。
晩年は広島で過ごし、その地で亡くなっています。


陣屋の跡地には、当時の痕跡は残っていませんでしたが、豊岡陣屋の城門は、出石の福成寺に移築されています。




この門が、豊岡陣屋の城門と思います。
流石に、重厚な門でした。


今回紹介したホームページの豊岡陣屋跡の散策記はこちらです:
http://shanehashi.html.xdomain.jp/Jinyameguri/Kansai/ToyookaJinya.html
 

 

 

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