先週の日曜日、岐阜県の垂井に行き、レンタサイクルで散策しました。
今日は、その後半をアップします。
 第一回目の記事は こちら です:
 https://ameblo.jp/shanehashi/entry-12826497195.html






垂井駅前でレンタサイクルし、垂井宿を通り、北西にある竹中陣屋跡を訪れました。
その陣屋跡から北に200mほどの所に、竹中氏の菩提寺・禅幢寺(ぜんどうじ)があります。




この禅幢寺は、竹中氏の菩提寺で、竹中半兵衛のお墓もありました。

禅幢寺は、竹中半兵衛の居城だった菩提山城跡のある菩提山の麓にあります。
濃尾平野の北西の端に位置していますが、この東側には広々とした景色が続いています。



禅幢寺からはこの景色の中、新垂井駅跡に向かいました。
新垂井駅は1941年に開設され、1986年に廃止になった駅です。

東海道本線は、大垣を出て西に向かうと、二つに分かれます。
一つは、大垣から真っすぐ進み、垂井を通り関ヶ原に至っています。
もう一つは、大垣を出て赤坂を過ぎると北に迂回するルートです。

 



大垣から垂井を通り、真っすぐ関ヶ原に向かう路線は、関ヶ原への上り坂を真っすぐ上るので、最大25‰という勾配になっています。
この勾配は、100メートル進むうちに2.5m高くなるという勾配です。電車にとっては苦も無く上る勾配ですが、蒸気機関車が牽引する長大な貨物列車にとっては厄介な勾配となる為、垂井の北側を通る迂回線が1941年に造られました。その迂回線に、垂井地区の住民の為、新垂井駅が出来ました。

この迂回線が出来た当初は、大垣 - 垂井 - 関ヶ原の下り線の線路を剥がして迂回線を造った為、すべての下り列車はこの迂回線を通っていました。
新垂井駅は垂井駅から北西に3.5km程離れ不便な為、当初は新垂井 - 垂井間を結ぶバスが運行されましたが、その後1946年に、関ヶ原 - 垂井 - 関ヶ原間を再び複線とし、下り列車は新垂井経由と垂井経由とに二分されることになりました。新垂井経由は、優等列車(特急・急行)と貨物列車と一部の普通列車、垂井経由の下り線はすべて普通列車でした。

その後、年が経つとともに、新垂井経由の下り普通列車は利用客が少なかったため、本数が減少し、1986年にすべての普通列車が垂井経由となり、新垂井駅は廃駅になってしまいました。
最晩年、新垂井駅の利用客は一日僅か18人だったそうです。



新垂井駅跡に向かう途中、丁度、金沢行きの特急「しらさぎ」が走り抜けて行きました。
いま、この迂回線を走る旅客列車は、一日8本の特急「しらさぎ」と、一日1本の特急「ひだ」、そして真夜中に走る寝台特急「サンライズ出雲・サンライズ瀬戸」の計10本のみです。


禅幢寺から15分程で、新垂井駅跡に着きました。
数軒の住宅と、会社が集まる集落の北側が駅跡でした。




ホームのあったと思しき所は、フェンスに囲われ足を踏み入れることが出来ませんでしたが、道路脇に廃駅になる際の様子を示した案内板が掲げられていました。




新垂井駅からは、なだらかな下り坂を快適に下って垂井の集落を目指しました。
周囲の景色はとても良く開けていました。西側の関ヶ原も、山に囲われた狭い谷間というのが良く判る景色が広がっていました。




途中、美濃国府跡に立ち寄りました。



国府は奈良時代から平安時代にかけて、各国に置かれた国の役所です。
美濃は、東西に広い国でしたが、その西の端に位置する垂井に国府があったというのはちょっと意外でした。
関ヶ原が、古来からの要衝の地だったため、その近くに国府が置かれたのでしょうか。

それにしても、一度は土に還ってしまった跡地の場所を突き止め発掘するというのは、並々ならぬ努力の賜物だと思い、頭が下がる思いがします。


美濃国府は垂井の集落にほど近く、相川を渡ると垂井の街中に入りました。



古い蔵造りの建物です。
この先で、南宮大社の石造りの鳥居をくぐります。





少し走ると、垂井の泉という湧水がありました。





この泉が垂井の名の所縁になったそうで、鎌倉時代の11世紀の書物に既にその名前が記載されているそうです。
この湧水を眺めて移動してしまったのですが、このすぐ南側のお寺が垂井城跡というのを帰ってから知りました。
今回、急に出かけることにしたため、事前の調査不足で、見逃してしまい残念です。。。

この南側で東海道本線の上を跨ぎ、そして東海道新幹線をくぐります。
新幹線をくぐったすぐ先に赤い大きな鳥居がありました。





この鳥居の神社が南宮大社です。
美濃一宮です。



1501年に再建された社殿は、1600年の関ヶ原の戦いで焼失し、1643年に徳川家光公が再び建て直したものです。
現在、その社殿の多くが残り、国の重要文化財に指定されています。




この日は、この後、少し電車に乗ったところにある墨俣城に行こうと思っていましたが、行きはスムーズに行けそうですが、帰りのバスがなく、3時間待つか、50分以上歩くかの二択を迫られることになりそうでしたので、ここでこの日の散策を終えました。

~ 完~

 

 

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