昨日そして今日の土日は穏やかに晴れて、行楽日和となりました。
昨日の土曜日は家で仕事していたのですが、今日はこの陽気にどこかに出かけたくなり、急遽出かけました。





いつものように、最寄りのJR岡崎駅から快速電車でスタートです。



車窓から、金華山の岐阜城を眺めます。


大垣に到着の様子です。



乗車した快速電車は、米原行きでした。
大垣の次の垂井で下車しました。



垂井は、関ヶ原の一つ手前の駅です。
駅前の観光案内所でレンタサイクルして、今日の散策を開始しました。

駅から北に向かうと、中山道の垂井宿跡があります。
中山道57番目の宿場で、熱田の宮の宿とを結ぶ美濃路との追分で、賑わった宿場だったようです。



途中で、南宮大社の鳥居がありました。
南宮大社は美濃一宮で、重要文化財にも指定されています。




宿場には、今でも営業している旅籠もあり、いくつか当時からの建物も残っていました。




東西700m程にわたる垂井宿ですが、その西の端にあった見附です。



ここから中山道を離れ、北西に向かいました。
集落が途切れ、広々と大豆畑が広がりました。

南には南宮山と松尾山が見えています。



その右手の山あいが関ヶ原です。




行く手には、前衛の山々にその姿が隠れていますが、伊吹山も頂を覗かせていました。
天気は良かったのですが、伊吹おろしの北風が強く吹いていました。



この先に小さな集落があり、その集落に柿がなり、コスモスが咲いていました。
柿は渋柿のようですが、この辺りは富有柿の産地です。

 



こうした光景に、秋を感じます。

そして、竹中陣屋がありました。
陣屋の櫓門が残っていました。



秀吉の軍師だった竹中半兵衛の子、重門は江戸時代に入り、旗本となり、この地に陣屋を構えたのでした。
竹中半兵衛は、斉藤義龍、龍興に仕えていましたが、主君・龍興の居城・岐阜城を奪っています。
その後、信長の家来となり、秀吉の与力となっています。

この陣屋跡の北200mほどの所に、竹中氏の菩提寺・禅幢寺があります。
そこに向かう途中、東海道本線の線路を潜りました。




~ つづく ~

 

 

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